龍馬伝 第19回 「攘夷決行」
下関戦争という言い方になじみがなかったのですが馬関戦争といえば わかります。でもこのあたりは テストに出ないので さらっと年号や歴史上の人物だけを 暗記していたように 思います。下関戦争 * 前段: 1863年(文久三年)5月、攘夷実行という大義のもと長州藩が馬関海峡(現 関門海峡)を封鎖、航行中の米仏商船に対して砲撃を加えた。約半月後の6月、報復として米仏軍艦が馬関海峡内に停泊中の長州軍艦を砲撃、長州海軍に壊滅的打撃を与えた。長州は砲台を修復した上、対岸の小倉藩領の一部をも占領して新たな砲台を築き、海峡封鎖を続行した。 * 後段: 1864年(元治元年)7月、前年からの海峡封鎖で多大な経済的損失を受けていた英国は、長州に対する懲戒的報復措置をとることを決定し、仏 蘭 米の三国に参加を呼びかけて、艦船17隻で連合艦隊を編成した。同艦隊は8月5日~7日に馬関(現下関市中心部)と彦島の砲台を徹底的に砲撃、各国の陸戦隊がこれらを占拠・破壊した。(wikipediaより引用)圧倒的に戦備が違うのに 向かって行った長州藩、無謀とも思えるけど 気迫はすごいと思います。長州藩と戦って 戦争が終わってから 長州のことを好きになったとイギリス側通訳のアーネスト・サトウが話していたらしいのですが 内閣総理大臣が山口県出身の人物が一番多いのも 納得です。さて、5月10日の攘夷決行を信じていた武市半平太すっかり山内容堂の企みに ひっかかってしまいましたね。もともと 下士と言えば 人間扱いされていなかった土佐で下士が集まって 事を起こそうなどということがそういう身分制度の上に君臨していた 山内容堂にとって気分のいいはずもなく・・以蔵は勝麟太郎を切りに行って逆に 勝の用心棒をしている状態だったのですが龍馬と居酒屋で酒を飲んでいるときに 平井収二郎に出くわして 責められているところへ 平井を捕える土佐の藩士が来て、龍馬は 以蔵に平井を連れて逃げるように言い、平井は逃げて初めて自分が愚かだったことを悟り 龍馬の仲介で武市半平太と密会しますが・・・自分の愚かさをわびる平井収二郎しかし 武市半平太は平井に土佐に戻るように話します。結局攘夷は実行されず、武市半平太は一人・・自分がどこが違っていたのか・・龍馬は いっしょに海軍をやろうと 誘いますがもうきっと精魂尽き果てていますよね。龍馬が止めるのも聞かず 武市も土佐へ戻ります。なかなか手に入らない『龍馬伝』特別セットです!【龍馬伝】芋・米・麦 3本セット胡麻・大豆 玄米生活(30本)発芽玄米ごはん(30食分)緑黄野菜(24本)***************************************************ランキングに登録しております。一日一回応援して頂くと喜びます。にほんブログ村