迎賓館の夜会で起きた騒動は、その場に居合わせた客達によって瞬く間に妖狐界中に広まった。
ユーリと匡惟は、気晴らしに近くの市場へと買い物に来ていた。
「匡惟、何だかみんながわたしを見ているような気がするんだが。」
布を頭から被り、伏し目がちに歩いてるにも関わらず、ユーリは市場を歩く度に人々の視線を感じていた。
「あの騒動からまだ数日しか経っていませんからね。」
匡惟はそう言うと、ユーリが被っていた布を剥ぎ取った。
「急に何するんだ!」
「別にあなたの美しい髪を隠すことはないでしょう。それにそんな姿でいたらかえって目立ちますよ。」
「そうだけど・・」
ユーリは匡惟を見た。
「それよりもユーリ様、彼とはどうなっているんですか?」
「彼というと?」
「アベルさんの事ですよ。まだ彼の事を思い出しませんか?」
匡惟の問いに、ユーリは静かに頷いた。
「そうですか。」
「余り彼の事は思い出したくないんだ。何故だか解らないけど・・」
ユーリの脳裡に再び、あの部屋が浮かんできた。
昔、父によって幽閉されたあの部屋が。
小さな窓と、ベッドしかない殺風景なあの部屋が。
あの部屋でユーリは、3年間も外の世界を渇望していた。
「ユーリ様?」
「わたしは・・二度とあんな所に閉じ込められたくない!」
ユーリはそう叫ぶと、両手の爪で頭を引っ掻き始めた。
みるみる銀髪に血が滲んできた。
「ユーリ様、おやめください!」
「嫌だ、もう嫌!」
ユーリは絶叫するとゆっくりと地面に倒れた。
「ユーリ様、しっかりなさってください!」
匡惟はジロジロと怪訝そうな顔をして自分達の方を見つめる人々をねめつけながら、ユーリの華奢な身体を横抱きにすると、迎賓館へと戻った。
「おや、またお会いいたしましたね。」
ロビーに匡惟が入ると、そこにはあの夜会で摩於と踊っていた鬼族の青年・香が立っていた。
「奥方様、どうかされましたか?」
香はそう言ってちらりと匡惟の腕の中で気絶しているユーリを見た。
「あなたには関係のない事でしょう、そこを退いていただけますか?」
「あ、あなたに渡すものがあって来たんだった。」
香はスーツの胸ポケットから1枚の封筒を取り出した。
「この中に、我が一族に伝わる秘薬が入っております。今夜、奥方様にそれを飲ませてはいかがです?」
「得体の知れない薬など、受け取れません。」
「警戒心が強い方でいらっしゃいますね。中に入っている秘薬の名は、“鸛(こうのとり)の巣”。子宿し薬ですよ。」
匡惟は香が嘘を吐いているのではないかと思ったが、彼の目はまっすぐに自分を見ている。
ユーリとはまだ結婚してひと月も経っていないが、いずれは子どもを作ろうと匡惟は考えていた。
「有り難く、頂いておこう。」
「有難うございます。これは妖狐族や人間にもよく効く薬なんですよ。」
香はそう言うと、匡惟ににっこりと微笑んだ。
部屋に入った匡惟は、ゆっくりとユーリをベッドに寝かせた。
「ユーリ様?」
そっと彼が手を握ると、ユーリは呻きながら握り返してきた。
「わたしは・・どうして・・」
「市場でさっき倒れたのですよ。一体どうなさったんですか?」
「胸が苦しい・・」
ユーリはゆっくりと身体を起こすと、口元を押さえて浴室へと入っていった。
匡惟は、香から渡された封筒の中身を取り出した。
するとそこには一粒のカプセルと、一枚の紙が入っていた。
“相手に薬を飲ませると、劇的な効果が得られる。”
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