「エレーナ、本当にあんたはここに残る気なのかい?」
「ええ。」
シャルルとナジャリスタ、両親は国外亡命を決意した日の夜、サラエボに残ると決意したエレーナに、シャルルはそう言って彼女を見た。
「わたしは、ここで傷ついた人達を置き去りにして逃げたくはないの。ごめんなさい、兄さん。」
「謝るな、エレーナ。お前がそうしたいのなら、わたしや姉さんは反対しない。ただ、なるべく早くスウェーデンに来るんだぞ、いいな?」
「解ってるわ。」
シャルルは、いつもお守り代わりに首に提げていたトパーズのペンダントをエレーナに渡した。
「これをわたしだと思って大切にしてくれ。」
「ありがとう、兄さん。」
エレーナはそう言うと、シャルルからペンダントを受け取った。
「わたしも、兄さんに渡したいものがあるの。」
彼女は宝石箱の中からそっと金の指輪を取り出すと、それをシャルルに渡した。
「これは、お祖母ちゃんの形見じゃないか。」
「ええ。母さんがいつかわたしに大切な人が出来たら渡してって、誕生日パーティーの後で言われたの。でも当分は兄さんがこれを持っていて。」
「エレーナ・・」
「いつかまた会う日まで、これを持っていましょう。再会した時に交換しましょうね、兄さん。」
「ああ。」
シャルル達は数日後にスウェーデンへと発つことになった。
「じゃぁ、行ってくるわね。」
「ああ、気をつけて行けよ。」
シャルルとナジャリスタはいつものように病院へと向かうエレーナの背中を見送った。
その姿が、もう二度と見ることが出来ない日が来るなんて、彼らは全く思いもしなかった。
エレーナはその日も病院で負傷者の治療や看病をしながら、病院内を走り回っていた。
日に日に戦況は悪化し、死傷者はますます増えるばかりで、病院内は病室のみならず廊下にまで負傷者が溢れていた。
「一体いつになったら、この戦争は終わるのかしら?」
隣でエレーナの親友・ナターシャがそう呟いて溜息を吐いた。
「もう子どもが死ぬところは見たくないわ。」
「ええ・・」
「2人とも、そこでおしゃべりしている暇があったら仕事なさい!」
看護師長の険しい声を聞いて飛び上がった2人は、慌てて廊下を走っていった。
彼女達はその瞬間から看護師としての顔となっていた。
食事をする間もなく、2人は独楽鼠のように働き、漸く一息吐けるようになったのは、黄昏がサラエボの街を包み込もうとする頃だった。
「そのペンダント、どうしたの?」
ナターシャがそう言ってエレーナのペンダントに目を留めた。
「ああ、これ? 兄さんから貰ったのよ。」
「そう。兄さん達、明後日ここを離れるのよね? 寂しくはないの?」
「ええ。わたしはここで多くの人達を救いたいの。それに、兄さん達とは二度と会えなくなるわけじゃないから・・」
エレーナがそう言った時、外で爆音が響いた。
「何、さっきのは!?」
ナターシャとエレーナが血相を変えて爆音がした方へと向かうと、そこには破壊された病院の待合室の残骸が転がっていた。
「酷い・・」
肉が焼けるような臭いに吐き気を催しながらも、2人は怪我人が居ないかどうか確認を始めた。
「誰か居ませんか~!」
「居たら返事をしてください~!」
歩く度に嫌な臭いがますます強くなり、エレーナはもうこれ以上ここに痛くないと思い始めた時、突然背後から誰かに羽交い絞めにされた。
「エレーナ!」
ナターシャに助けを呼ぼうと口を開こうとしたエレーナだったが、その前にチクチクとした顎鬚が彼女の唇に突き刺さったかと思うと、彼女は熊のような御男に組み敷かれた。
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