ベルギーから戻った蓉からメモを受け取った翌日、セシェンは彼が居るマイヤーリンクの狩猟小屋へと向かっていた。
そこはかつて、蓉の父・ルドルフが所有していたもので、ルドルフが蓉の成人祝いに狩猟小屋を彼に贈ったのだった。
蓉はストレス解消の為、狩猟のシーズンになると1人でマイヤーリンクで毎年過ごしているが、父との衝突が起きて以来、彼はウィーンに戻るなり家族と顔を合わせることもなく、すぐさまマイヤーリンクへと向かった。
彼は暖炉に燃える薪をじっと見つめながら、足を組み変えた。
ベルギーでアマーリエ王女と一度会ったが、彼女は友人としては良い付き合いが出来ると思ったが、人生の伴侶―妻として共に生きるには無理だ。
彼女がもし、自分が同性愛者だと知ったら、父と同じように偏見と侮蔑の籠った真紅の瞳で見るのだろうか。
同性愛者と両性具有者といったマイノリティーに属する者達に対する社会的権利が得られるようになった今日でさえ、未だ彼らは偏見と差別の目に晒されている。
カトリック圏が多い欧州に於いて、蓉を含む同性愛者達は白眼視され、時に虐殺の対象となった時代があった。
それは今でも変わらない。
(セシェン・・)
ふと蓉の脳裡に、中東の国から来た異国の少年の姿が浮かんだ。
争乱の絶えぬ祖国から離れ、風習も宗教も知らぬ異国で家族も友人も居ずに宮廷で暮らす彼が最初哀れに思えて、蓉は彼に話しかけると、たちまちセシェンと意気投合し、友人として付き合うようになった。
彼と一線を越えたのは昨年の、今日のような吹雪の日だった。
あの衝突が起こる前に、ルドルフとの間でぎくしゃくとしていた蓉は閉塞感に耐えきれず、セシェンを誘ってこの狩猟小屋へと来たのはいいが、寒波の影響で車が動かせず、一夜を共に過ごすことになったのだった。
1個のパンを2人で分け合う内に、どちらからともなく互いに唇を塞ぐと、後は流れに任せるようにして肌を重ねた。
「ヨウ様、お待たせいたしました。」
不意にドアが開き、毛皮のコートを纏ったセシェンが部屋に入って来た。
「よく来たね。」
「あの、本当にアマーリエ様とご結婚なさるんですか?」
「さぁ、解らないな。彼女は友人としては最高だが、妻には出来ない。その意味、判るだろう?」
蓉の言葉に、セシェンは頷く事しか出来なかった。
今彼がどんな気持ちでこんな寂しい場所に居るのかが、セシェンには解っていた。
意に介さぬ結婚を強いられようとしている蓉の心が、折れる寸前であるということを。
「お前は、これからどうするつもり? ウィーンを離れるの?」
「いいえ。わたしには帰る場所がもう、ありません。それはリーシャ様がわたしの手を離された時から解っておりました。」
「そう。それじゃぁ俺も、君の手を離さないようにするよ。俺達の恋が、悲劇に終わらないように。」
「ええ。」
セシェンはにっこりと蓉に微笑むと、彼に微笑み返した。
「ヨウは何故あんな陰気な所が好きなんだろうな?」
ルドルフはそう言って溜息を吐くと、隣に座っている妻を見た。
「あなただってあそこが好きでしょう? それよりもアマーリエ王女はどうでしたの?」
「彼女は嫁として迎えるには申し分ないよ。ただ、彼女の兄に多少問題がありそうだが。」
「そうですか。レオンハルト王子とアマーリエ王女との間には以前良からぬ噂が流れたこともありますし・・急ぐ必要はないんじゃないかしら?」
瑞姫がそう言ってルドルフを見ると、彼は少し不機嫌そうな顔をした。
「そうだな、あんな無礼者が親戚になるなんて想像するだけでも身の毛がよだつよ。」
「あなた、蓉のことが心配なの?」
「答える必要はない。」
「意地っ張りね、あなたって人は。」
瑞姫はそう言うと、ルドルフにしなだれかかった。
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