「皇太子様のご容態は?」
「峠は越えました。」
黒髪の侍従が靴音を響かせながらルドルフの寝室へと向かうと、刺繍をしながら何かを話していた皇太子付きの女官達が慌てて姿勢を正した。
「そうか。君達はもう下がりなさい。わたしはこれから皇太子様と大事なお話がある。」
彼はそう言って皇太子の寝室をノックした。
「ルドルフ様、失礼致します。」
「入れ。」
寝室のドアを開けて黒髪の侍従が中に入ると、寝台の上で上半身を起こしたルドルフが、蒼い瞳で彼を見つめていた。
「いかがですか、お加減は? 峠は越えたようですが。」
「ああ。お前がくれた“薬”が役に立ったようだ。」
ルドルフはそう言うと自嘲的な笑みを口元に浮かべた。
「そうですか。原料が良かったからでしょうね。それよりもルドルフ様、あなたにお話ししたいことがあります。」
「話したいこと?」
ルドルフの美しい眦が少しつり上がった。
「近々ヴァチカンの使節団がこちらに来られます。」
「そうか・・少し厄介な事になるな。」
ルドルフはそう言うと、溜息を吐いた。
神聖ローマ帝国の御世から、ハプスブルク家はローマ=カトリックとともにあり、その関係は若干変化しているものの、親密な事には変わりない。
ルドルフとアフロディーテが魔物として生を享けた事は、彼らを出産したエリザベート、今は亡き皇太后ゾフィー、出産に立ち会った医師と女官達、そして皇帝フランツ=カール=ヨーゼフと、今ルドルフの前に居る黒髪の侍従―アレクシスだけだ。
カトリック国の皇子が魔物だったとヴァチカンに知られたら、大事になるのは解っていた。
「アレクシス、上手くやれ。」
「解りました。では失礼致します。ああ、ちゃんと“お薬”をお飲みになってくださいね?」
「早く行け。」
ルドルフは鬱陶しそうにアレクシスを手で追い払うと、彼はくすくすと笑いながら寝室から出て行った。
彼と入れ違いに、漆黒のグレート・デンが寝室に入ってきた。
「マクシミリアン、これから厄介な事になりそうだ。」
ルドルフは愛犬の耳を撫でると、溜息を吐いた。
「ルドルフ様、失礼致します。」
皇太子付の女官が“薬”を載せた盆を持って寝室に入って来ると、それをサイドテーブルに置いた。
「下がれ。」
ルドルフがそう言って女官を見ると、彼女は微動だにせずじっとルドルフを見つめていた。
「どうした、下がれと言ったのが聞こえないのか?」
「ええ、聞こえましたが、わたくしが居なくなってお薬を捨てるのではないかと思いまして。」
「僕がそんな事をする訳ないだろう。」
ルドルフはさっさと“薬”を飲んでしまおうとワイングラスを掴もうとした時、それを女官が先に掴んで中の液体を飲んだ。
「お前、何を・・」
「黙って。」
女官は妖しげな笑みを浮かべると、ルドルフの華奢な腰を引きよせて彼の唇を塞いだ。
「うぅっ」
“薬”をゆっくりと嚥下したルドルフは、息苦しさから呻くと、女官を突き飛ばした。
だが彼女は動じることもなく、ヘーゼルの瞳に挑戦的な光を湛えながら、ルドルフを見つめた。
「では、また参ります。」
女官が寝室から出て行くと、ルドルフはシーツに顔を埋めた。
目を閉じて思い浮かべるのは、イギリスに居る恋人の顔だった。
(ユリウス・・会いたい・・)
夜になり、いつも添い寝をしてくれるユリウスが居らず、ルドルフは心細い思いで眠りに就いた。
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