「危ないところでしたね。」
「あの、あなたは?」
警官達に暴行されそうになった自分達を助けてくれた謎の老人にそうユリウスが尋ねると、彼はにっこりと笑った。
「ああ、申し遅れました、わたしは矢崎と申します。下町で医者をやっている者です。すいませんが、お連れ様の怪我を診させて貰いますよ。」
「ええ、構いませんが・・」
ユリウスがちらりとルドルフの方を見ると、彼は溜息を吐いて老人を見た。
「頼む。」
「では早速、失礼しますよ。」
老人は慣れた手つきでそっと振袖の裾を割ると、怪我の有無を確かめた。
「右の太腿に火傷がありますね。あなた方がもしよければ、わたしの家に来て貰いませんか?」
「ああ、構わないが。どうせ行くあてもないしな。」
「では決まりですね。」
老人―矢崎とともに、ユリウス達は駅舎を後にして、彼が住む下町へと向かった。
「ここが、わたしの診療所兼自宅です。」
そう言って矢崎が案内したのは、武家屋敷のような立派な門構えをした一軒の民家だった。
「狭い家ですが、どうぞお入りください。」
「お邪魔します。」
矢崎に倣って玄関先で靴を脱いだユリウスとルドルフは、その足で自宅の隣にある診療所へと向かった。
ルドルフはさっと振袖の裾を捲り、右の太腿を露わにすると、そこの皮膚は少し焼け爛れて赤くなっていた。
「少ししみますから、我慢して下さいね。」
矢崎はそう言って消毒薬を染み込ませたガーゼを傷口に当てると、焼けつくような痛みが走り、ルドルフは思わず顔を顰めた。
「これでよしと。」
「あの、お聞きしたいことがあるのですが・・あなたは何故、わたし達を助けてくださったのですか? あの時彼らは、あなたを連行してもおかしくない状況でしたのに・・」
「わたしは弱い者いじめをする輩が許せないんです。昔わたしの父が申しておりました。“為らぬことは為らぬ。人の道に外れたことは決してするな”とね。」
矢崎の言葉を聞いたルドルフは、昔自分と親しくしていた日本人留学生達の姿が浮かんだ。
(まさか・・そんな・・)
あれからもう半世紀も過ぎているというのに、彼らが生きている訳がない―ルドルフはそんな疑問を抱きながらも、恐る恐る矢崎に質問をぶつけてみた。
「あなたの御親戚・・お父上やお祖父様は、昔欧州へ留学されたことはありますか?」
その問いに、矢崎老人は力強く頷いた。
「ええ。わたしの父・泰之進が、ベルリン大学で医学を学んでおりました。」
彼はそう言うと、近くの事務机に立てられていた写真立てを手に取ると、ルドルフに見せた。
そこに写っていたのは、紛れもなくあの留学生達の姿だった。
「お父上は御存命ですか?」
「いいえ・・3年前に風邪をこじらせてしまい、肺炎となって亡くなりました。父とは長い間反目していたのですが、わたしは父と同じ医学の道に進んで、こうして診療所を持てるようにもなりました。」
「そうですか・・あなたのお名前は?」
「ああ、下の名前はまだ名乗っておりませんでしたね。父の名を一文字頂いて、泰助と申します。」
「タイスケさんですか・・良い名ですね。わたしはルドルフと申します。これからお世話になります。」
「こちらこそ。」
自分達の窮地を救ってくれた老人が、あの日本人留学生の1人、矢崎泰之進の息子であったとは―何という奇跡だろうか。
ルドルフが隣に立っているユリウスを見ると、彼はルドルフに微笑んだ。
こうしてルドルフとユリウスは、泰助の診療所の手伝いをしながら彼と共同生活を送ることになった。
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