1050年、京。
豪華絢爛な宮中の外を見ると、そこには貧困と飢餓に喘ぐ平民達がただ死を待っていた。
筝を弾いている若い女も、その平民の1人だった。
女の名は瑠璃。
1ヶ月前に唯一の肉親である母親を亡くし、母の形見である筝を街角で奏でながら生計を立てていた。
彼女が奏でる音は貧困と飢餓、暴力が蔓延るこの世に救いの音であり、まるで天上から響いているかのような神々しい音だった。
その音に惹かれ、人々はいつの間にか彼女の周りに集まる。
だが、彼女の元に集まるのは人だけではなかった。
その夜、瑠璃はいつものように街角で筝を弾いていた。
夜の帳が下り、薄暗く不気味な雰囲気を醸し出す路地には、誰もいなかった。
だが瑠璃は盲しいている為、昼と夜の区別がつかない。
しかし、視力以外の五感が鋭くなった彼女は、路地に満ちるただならぬ空気に身を強張らせた。
「誰か、そこにいるのですか?」
助けを呼ぼうとして声をあげた瑠璃は、漸く周りに人がいないことに気づいた。
「誰か、誰かいませんか?一体何が起きているんですか?」
瑠璃が必死になって周りの状況を把握しようとしていた時、路地の向こう側から百鬼夜行の行列がやってきた。
濃い妖気と瘴気を辺りに撒き散らしながら、怪たちは我が物顔で路地を通っている。その行列の中に、豪華な装飾を施した牛車があった。
その中にいるのは、最近素行の悪さで親に勘当を言い渡された鬼族の若君・火鶯(かおう)とその友人達が乗っていた。
「本当にいいのか、火鶯?親父さんとこ飛び出しちまって?」
そう言って火鶯の友人が彼を見た。
「いいんだよ、あんな石頭親父の顔なんざ見たくもねぇや。」
火鶯が窓を開けて外を見ると、路上で盲目の女が筝を奏でていた。
筝の音を聞いた途端、火鶯は父から拒絶され傷ついた心が急に癒されるように感じた。
火鶯は走行中の牛車から飛び降り、女の前に立った。
「誰か、そこにいるのですか?」
人の気配を感じた瑠璃は、筝を奏でる手を止めた。
(美しい・・)
火鶯は目の前にいる女を見て息を呑んだ。
澄み切った黒曜石の瞳、艶やかな黒髪、そして雪のように肌理が細かくて白い肌。
火鶯はそっと女の手を握った。
女は彼の手を握り返し、安堵の溜息をついた。
「よかった、誰もいらっしゃらないと思ったので、怖かったんです。」
女はそう言って花のような笑みを浮かべた。
彼女の目が見えなくて幸いだったー火鶯はそう思った。
自分が都を騒がし、恐怖の坩堝に陥れる鬼だと彼女はわからないのだから。
金髪蒼眼の容姿ゆえに“蒼鬼”と呼ばれ、恐れられる自分のことを。
「あなたはどなたですか?」
今自分が危機的な状況に陥っていることに気づかない女は、無邪気にそう言って火鶯の手を握った。
「俺はお前の味方だ、俺と一緒に来い。」
女は一瞬躊躇ったが、片手に筝をしっかりと握りしめてゆっくりと立ち上がった。
「わたしは瑠璃。あなたは?」
「俺は火鶯。炎の鶯だ。」
「火鶯さん・・素敵な名前ですね。」
1人の女と鬼は、漆黒の闇の中へと消えていった。
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