「沖田先生、すいません・・」
千尋は布団に横たわりながら総司に詫びると、彼は苦笑した。
「そんな、謝らなくてもいいですよ。千尋君、何か食べられますか?」
「いえ、全く。先ほど昼餉の支度をしてご飯の臭いを嗅いだだけでも吐き気が込み上げて来て・・水で口を漱いだのですけれども、また吐き気がぶり返してきて・・」
「そんなにつらいのですか。わたしが土方さんに報告して、暫く休ませるようにお願いしときますから。」
総司がそう言って部屋を出て行こうとするのを、千尋は止めた。
「沖田先生、特別扱いはなさらなくて結構です。体調管理も隊務のひとつ。たかが胃痛で副長に報告など、無用です。」
「君がそう言うのなら、止めておきましょう。今日は休んでいてくださいね。」
「はい・・」
総司が去った後、千尋は布団にくるまって溜息を吐いた。
少し横になって楽にはなったものの、起き上がると同時に吐き気が込み上げて来ては厠で吐き、また横になっては吐き気が込み上げて吐くといった繰り返しだった。
「千尋君、入りますよ?」
夕餉も碌に取らずに千尋が何度目かの吐き気を堪えていると、総司の声が襖の向こうで聞こえた。
「大丈夫ですか?」
「一日中、吐いてばかりで苦しくて・・」
「薬湯は飲めますか?」
総司が盆に載せた薬湯の臭いを嗅いだ千尋は、吐き気を堪えながらそれを飲み干した。
「少し楽になりました・・」
「土方さんも心配してましたよ。一度医者に診て貰った方がいいんじゃないですか?」
総司は千尋を心配そうに見つめながら、彼の手を握った。
「ええ、少し体調が良くなったら診て貰います。風呂に入ってきます。」
布団から起き上がり、千尋は覚束ない足取りで風呂場へと向かった。
荒い息を吐きながら、脱衣所で夜着を脱いで湯船にゆっくりと浸かると、不思議と吐き気は治まった。
蛤御門の変以前に間者としての仕事が忙しく、不規則な生活を送っていた影響なのだろうか。
突然こんなに酷い吐き気に襲われたのは初めてで、医者に診て貰わなければと千尋が思っていると、不意に風呂場の戸が開いて伊東が入って来た。
「おや千尋君、ここに居ましたか。宴席に居なかったので、少し心配していたのですよ。」
心底千尋を心配しているような素振りを見せながら、伊東は千尋の反応を窺っていた。
「体調が優れず、先ほどまで寝込んでいたところです。沖田先生から薬湯を頂いて吐き気は少し治まりましたけど。」
「そうですか・・つわりが酷いのですね?」
伊東はしれっとした顔で千尋にそう言うと、水音を立てて風呂から上がった。
(つわり、か・・)
桂に抱かれて3ヶ月経ち、あの不快な下腹の鈍痛を感じなくなった。
その代わりに一日中吐き気に襲われ、布団から起き上がるのも辛くなっている。
まさかそんな事ないだろうと思いながら、千尋は床に就いた。
その夜、千尋は昔の夢を見ていた。
―ルクレツィア、どうした?
突然吐き気に襲われた自分の背中を擦りながら、兄は心配そうに自分を見つめた後、気まずそうな顔をしていた。
―俺の子か?
いつも自分に優しく微笑んでくれる兄が、突如として悪魔のような形相を浮かべていて、恐ろしかった。
―畜生、畜生!
兄は自分の首に両手を伸ばし、そして・・
(どうして、あんな夢を・・)
息苦しさで目を覚ますと、胸の上に何か重たいものが乗っている感覚がして、千尋が周囲を見渡すと、そこには口端を歪めて笑う伊東の姿があった。
「伊東・・先生?」
「静かになさい、千尋君。ここで取引をしませんか?」
「取引・・?」
「あなたの、腹の子についてです。あなたに子を宿した種の持ち主は、桂小五郎でしょう?」
伊東の言葉に、千尋の顔が怒りで攣(つ)った。
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