「斎藤さん、ひとつお聞きしたいことがあるんですけど・・」
「何だ、総司?」
「いつも、わたしを見ているあの怖い人、誰ですか?」
総司の言葉に、一は動揺した。
(本当に、土方さんの事を憶えていないのか?)
総司が血を吐いて意識不明となり、昏睡状態から快復した時、彼は歳三の事を憶えていなかった。
安堵の表情を浮かべ、自分を抱き締めた恋人を、総司は拒絶したのだ。
「何だか怖いの、あの人・・いつもわたしを見てるし・・」
総司は茶色の瞳を伏せ、一に寄りかかった。
「総司、土方さんは怖い人に見えるけれど、本当は繊細な人なんだ。」
「土方さん・・あの人、土方さんっていうの?」
「ああ。俺達と土方さんと近藤さんとは、江戸の試衛館で知り合ったんだ。」
「そうなの・・」
総司がそう言った時、足音が聞こえて一が振り向くと、そこには歳三が立っていた。
「総司、来い。」
「いや・・怖い。」
切れ長の黒い瞳が鋭く自分を見つめていることに気づき、総司は恐怖で歳三から一歩後ずさった。
「何もしねぇから、来るんだ。」
「いや、いや~!」
総司は歳三に腕を掴まれ、彼から必死に逃れようと暴れた。
「総司・・お前は本当に俺の事を忘れちまったのか? 俺はお前をこんなに愛しているのに・・」
愛する者から拒絶され、歳三の美しい顔が苦痛に歪んだ。
「副長、今は止した方が・・」
「怖がらせて悪かったな。」
歳三は総司から腕を放すと、彼らに背を向けてどこかへ行ってしまった。
「斎藤さん、やっぱりあの人怖い・・」
「総司、少し土方さんと話をしてくる。」
一はそう言うと、総司から離れた。
「副長!」
背後から声が聞こえ、歳三が振り向くと、そこには一が立っていた。
「邪魔して悪かったな。あいつはお前にくれてやるよ。」
そう言った歳三の口調は、どこか投げ遣りだった。
「俺は・・こんな形で総司を手に入れたくはなかった! 昔から、あんたと総司との間には誰にも入る隙間がないことに気づいていたから諦めていた。なのに・・」
「総司は俺の事を恐れている。さっきの奴の顔、見ただろう?」
「土方さん・・」
黒い双眸を曇らせながら、歳三は深い溜息を吐いた。
「斎藤、もし総司の記憶が戻らなかったら、その時はあいつを宜しく頼む。」
「沖田先生、こんな所にいらしていたのですか。」
「千尋君。」
池の近くに佇んでいる総司に、千尋は声を掛けた。
「ねぇ千尋君、あの人・・土方さんはどうしてわたしの事を悲しい目で見つめるんですか?」
「それは、沖田先生が副長を怖がるからですよ。実の弟のような沖田先生から突然怖がられて、副長は悲しんでおられるんです。ですから沖田先生、副長を怖がらないでください。」
「千尋君?」
総司は、きょとんとした表情を千尋に浮かべた。
「わたしはこれで失礼致します。」
総司の記憶が一向に戻らぬまま、新しい年を迎えた。
その頃から、山南と歳三が、屯所の西本願寺移転について対立するようになった。
参謀として伊東がきてからというものの、総長である山南の存在は伊東の陰に隠れてしまっているようだった。
「千尋君、少しいいかな?」
「ええ。」
山南に連れられ、千尋は屯所近くの茶店へと向かった。
「わたしにはもう、何処にも居場所はないのかな・・」
「そんな事をおっしゃらないでください、山南先生。」
「そうやって励ましてくれるのは、あなただけですよ。」
元治2年2月、山南は「江戸へ行く」と置き手紙を残し、新選組を脱走した。
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