冬の厳しい寒さに、千尋は思わず肩を竦ませた。
「こら、さっさと歩くんだよ!」
女衒は苛立った様子で、千尋を急きたてた。
背中まで伸ばしている金髪は歩く度に揺れ、着古した着物から覗く手足は象牙のように白く、きめ細かい。
金色の睫毛に縁取られた蒼い瞳は憂いの光を帯びていたが、それすらも男達の欲を誘う。
千尋は異人と日本人女性との間に生まれた混血児で、生まれてすぐに英国人が経営する孤児院の前に捨てられ、そこで育った。
だが数ヶ月前に孤児院は火事で全焼し、身寄りがない千尋は路上生活を送りながら毎日の生活を凌いでいた。
そんな中、腐った食べ物を食べた千尋は食中毒となり、半日も生死の境を彷徨った末、こうして女衒に遊郭へと売り飛ばされそうになっていた。
「なぁに、お前さんみたいな美人なら、すぐに売れっ子になるさ。綺麗なおべべ着て美味い白い飯食えるんだ。もう路上で野垂れ死ぬことはないさ。」
女衒はそう言って愛想笑いを千尋に浮かべたが、千尋は俯いたまま何も言わなかった。
「チッ、可愛げのねぇ餓鬼だ。おら、とっとと歩け!」
無表情の千尋に苛立ちが増したのか、女衒は千尋の小さな背中を小突いた。
「あっ」
バランスを崩した千尋は強かに地面に転び、膝小僧を擦り剥いた。
「早くしやがれ!」
「うぅ・・」
千尋は涙をぐっと堪えながら立ち上がろうとしたが、膝が痛くて地面にへたり込んだまま泣き出した。
「世話の掛かる餓鬼だ、早く来いっつってんだろ!」
女衒が乱暴に千尋を立ち上がらせようとした時、彼の腕を1人の男が掴んだ。
「おい、その餓鬼を何処へやるつもりだ?」
「何だてめぇ!」
声を荒げた女衒が己の腕を掴んでいる男を睨むと、彼は切れ長の黒い瞳に剣呑な光を宿した。
「こんな餓鬼を廓に売り飛ばす算段でもしてたんだろう。違うか?」
「旦那には関係のねぇこった。」
黒貂のコートを羽織った身なりの良い男を睨みつけながら、女衒は頭の中で彼に千尋を売ったらいくら金が自分の懐に入るのかと、算盤を弾いていた。
「おいそこの餓鬼。お前だよ、お前。」
千尋が涙に濡れた顔を上げると、そこには色白で長身の男が立っていた。
男の美しさに、千尋は泣くのを忘れて彼に見惚れた。
黒貂のコートに、漆黒のスーツ。
短く切った艶やかな黒髪が夜風に揺れ、黒い瞳がじっと自分を見つめている。
(綺麗・・)
この世にはこんなに美しい男が居るのかと、千尋はじっと彼の顔を見つめていた。
「おい、てめぇ何て名前だ?」
「千尋・・です・・」
「おい親父、そいつを俺に売れ。」
「は?」
鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をして、女衒が男を見つめた。
「どこぞの女郎屋のけちな女将から金貰うよりも、俺がその餓鬼を買ってやるって言ってんだ!」
男はそう言うと財布を取り出し、札束を女衒に押しつけた。
「とっとと失せな。」
「ありがとうございやす、旦那!」
女衒は千尋を男に押し付けると、元来た道を戻っていった。
「俺とともに来い、千尋。」
男はそう言うと、千尋に向かって手を差し伸べた。
「はい・・」
千尋は黒の手袋に包まれた逞しい男の手を、ぎゅっと握った。
「旦那様、その子は・・」
「こいつは俺が買ったメイドだ。」
男はそう言うと、運転手に車を出すよう命じた。
これが、歳三と千尋の運命の出逢いだった。
突発的に書き始めてしまった「螺旋(せかい)の果て」の千尋メイドパラレル。
「螺旋の果て」では両性ですが、ここでは女の子です。
時代設定は明治末期~大正初期です。
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