「あの、どちらへ?」
男とともに黒塗りの車に乗り込んだ千尋は、不安な目で彼を見た。
「俺の家だ。遊郭へ売られるよりはマシだと思ったから、お前ぇを買った。」
男は切れ長の黒い瞳で千尋を見ると、彼女の頬をそっと擦った。
「お前ぇ、異人とのあいの子なのか?」
「はい・・孤児院におりましたが、数ヶ月前に火事で焼け出され、何処にも行くあてがありませんでしたので、路上で暮らしておりました。」
「そうか・・辛かったろう。お前、今年で幾つになる?」
「14になります。誕生日は孤児院の院長先生がご存知でしたが、彼が今何処に居るのか解らなくて・・」
「千尋、俺の家でメイドとして住み込みで働け。悪いようにはしねぇから。」
「ありがとうございます。」
ぺこりと小さな頭を下げる少女に、男は彼女を守ると決めた。
やがて2人を乗せた車は、とある邸宅の前で止まった。
「着いたぞ。」
男はドアを開け、千尋に手を差し伸べて彼女をエスコートしようとした。
「あの・・」
「悪いようにはしねぇって言ってるだろ。俺を信じろ。」
千尋は男の手を恐る恐る握ると、車から降りた。
「お帰りなさいませ、旦那様。」
「お帰りなさいませ。」
男とともに邸宅の中へと入ると、そこには飴色の螺旋階段と、高い天井には外国製のシャンデリアが垂れ下がっていた。
男を出迎えた使用人たちは皆洋装姿で、恭しく彼が纏っていた黒貂のコートや鞄を受け取ると、それぞれの持ち場へと戻った。
「旦那様、その子は?」
燕尾服を着た若い男がそう言って千尋を見た。
「ああ、こいつか。女衒に遊郭に売られそうになったところを俺が買った。この家のメイドとして雇うことになった千尋だ。千尋、執事の斎藤だ、挨拶しろ。」
「は、初めまして・・」
千尋が男の背中から顔を出して執事の斎藤に頭を下げると、彼はじろりと千尋を見た後、男の方へと向き直った。
「かしこまりました、旦那様。」
斉藤はちらりと千尋を見ると、自分の持ち場へと戻っていった。
「こっちだ。」
「まぁあなた、お早いお帰りですこと。」
男が千尋の手をひいて居間へと入ろうとした時、不意に階段の方から声がした。
千尋がそちらを振り向くと、そこには蘇芳色のドレスを着た若い女性が降りてくるところだった。
艶やかな黒髪を結い上げ、華奢な身体を揺らしながら、彼女は男と千尋の前に現れた。
「総美(さとみ)、今帰ったよ。」
男はそう言って女性に笑うと、彼女を抱き締めた。
「今日も廓で女を抱いていらっしゃるのかと思ったわ。あら、その子は?」
女性の視線が、男から千尋へと移った。
「総美、廓で拾ってきた千尋だ。明日から住み込みのメイドとして働くことになった。千尋、俺の妻の総美だ。」
「千尋と申します。奥様、これからよろしくお願いいたします。」
千尋はそう言って女性―土方総美に頭を下げた。
「顔をお上げなさい。」
「はい・・」
千尋が顔を上げると、総美の紫紺の双眸が冷たく自分を見下ろしていた。
「あ、あの・・」
「千尋さん、と言ったわね? ようこそ土方家へ。これから宜しくね。」
優雅な仕草で総美が千尋に手の甲を差し出したので、千尋は慌ててそれに口付けた。
「まぁ、礼儀正しいこと。あなたなら、間違いは犯さなそうね。」
総美はそう言って隣に立つ夫にしなだれかかった。
「何をしているの、千尋さん? 斎藤の所に行きなさい。」
「はい、奥様。」
千尋が慌てて居間へと向かうと、そこには斎藤が彼女を待っていた。
「奥様にはもうお会いしたか?」
「はい・・あの、わたくしは何をすれば・・?」
「こちらに来なさい。先ずは身だしなみから整えないと。」
斎藤は千尋に背を向けると、居間から出て行った。
土方さんの奥さん・総美(さとみ)さん登場。
沖田さんの名前を女性名にしようと、「総子」に一瞬しようかと思ったんですけど何だか味気ないので却下、今の名前にいたしました。
斎藤さんは土方家の執事長で、主である土方さんに忠実です。
斎藤さんの他に、執事の山崎さんも居ます。
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