「お帰りなさいませ、旦那様。」
土方と千尋が箱根から戻ってきたのは、新年が明けて2日が経った頃だった。
「斎藤、総美から連絡はあったか?」
「はい。奥様は順調で、良ければ来月辺りには退院できるとお手紙には書かれておりました。」
「そうか。」
土方は斎藤の報告を受けると、千尋を連れて書斎へと向かった。
「身体は大丈夫か?」
「ええ。月のものが終わりましたし。旦那様、奥様のお見舞いには行かれなくて宜しいのですか?」
「ああ。総美は強い女だ、自分の身の事よりも俺の身をいつも案じてくれている。」
「そうですか。では、失礼致します。」
土方の書斎から辞すと、千尋は制服に着替えて仕事へと戻った。
「美佐子さんはどちらに?」
「美佐子さんなら里帰り中だ。年末年始くらいは休ませてやれという旦那様のお言葉を受け、みんな里帰りしている。」
厨房で斎藤は里帰り中で不在の料理長の香山の代わりに、土方の昼食を用意していた。
その傍らには彼の部下であるロゼが不貞腐れながらも手伝っていた。
「吉田さんも見当たりませんね。彼女も里帰りなさったんでしょうか?」
いつも朗らかな笑顔で自分を迎えてくれる吉田さんの姿がないことに、千尋は不審を抱いた。
「さぁな。ここ数日、吉田さんと連絡が取れないんだ。彼女のご主人にもその事を聞いてみたんだが、彼女の消息は知らないと言ってきた。」
「そうですか・・」
斎藤が作った昼食の盛り付けをしながら、千尋は溜息を吐いた。
(吉田さん、何処に行ってしまったんだろう・・)
この時、自分に魔手が迫ってこようとは、まだ千尋は知らなかった。
「旦那様、失礼致します。」
「斎藤か、入れ。」
「失礼致します。」
斎藤が書斎に入ると、土方が窓際に立って何やら考え事をしていた。
「どうなさいましたか、旦那様?」
「斎藤、孤児院の件はどうなっている?」
土方がそう言って執事長を見ると、彼は一枚の書類を土方に手渡した。
「あの孤児院に在籍していた職員と、子ども達の名簿です。この名簿に載っている職員達に、孤児院の経営状況を聞いて参りました。」
斎藤の話によると、英国人が経営する孤児院は放火事件の半年前、経営資金などが滞り、逼迫していたらしく、職員の給料も碌に支払われていない状態であったという。
「火をつけたのは保険金目当ての院長だってことも有り得るな。若しくは、職場での待遇に不満を抱いていた職員の誰かかもしれねぇ。」
「院長にとってあの孤児院は自分の子どものようなもので、経営が悪化しても手放さなかったと職員達が皆口を揃えて言っておりました。院長は温厚な性格で、誰からも恨まれるようなことはなかったとか。」
「そうか。でも敵は多からず少なからずいるだろうよ。そこんところは当たってみたのか?」
「はい。院長に対して恨みを抱いていた人間が1人だけ居ます。」
「そいつはぁ誰だ?」
「それが・・」
土方の耳元で斎藤が何かを囁くと、彼はフッと笑った。
「そうか。斎藤、お前ぇはもう下がっていいぞ。」
「では、仕事に戻らせていただきます。」
斎藤が出て行った後、土方は書類に添付されていた一枚の写真を眺めた。
それは今から8年前に孤児院の前で撮られたもので、数十人の子ども達の中にはまだ幼い千尋とロゼの姿があった。
千尋はよそ行きのドレスを着て、院長の膝の上に抱かれていた。
「必ず見つけ出してみせるからな、院長さんよぉ。」
土方はそう言うと、咥えていた紙煙草に火を付けた。
「すいません、どなたかおりませんか?」
千尋が階段の手摺を拭いていると、外から突然人の声が聞こえたので、彼女が玄関ホールへと向かってドアを開けると、そこには外套を着た1人の男が立っていた。
孤児院の火事を調べている土方さん。
失踪した院長先生は何処に。
謎の男の正体は?
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