総美(さとみ)が軽井沢のサナトリウムへと入所してから2ヶ月の月日が経ち、季節は夏を迎えた。
「千尋、今度の休みに葉山の別荘に行かねぇか?」
「葉山に、ですか?」
「ああ。家の事は斎藤達に任せて、俺達2人だけで。」
土方はそう言うと、千尋の手をそっと握った。
「はい。では失礼致します。」
千尋は頭を下げると、ダイニングから出て行った。
「旦那様に誘われたのか?」
「ええ。」
千尋がそう言って斎藤を見ると、彼は少し険しい表情を浮かべていた。
「あの、どうかなさったんですか?」
「千尋君、あくまでも土方さんの奥様は総美様だ。それを忘れてはいけないよ。」
「はい・・」
総美が留守にしているとはいえ、彼女は土方の正妻で、自分はその愛人なのだ。
立場を弁えなければいけない。
「旦那様、今宜しいでしょうか?」
「いいぜ、入れ。」
土方の書斎に入ると、彼は仕事の手を休め、総司を膝の上に乗せてあやしているところだった。
「旦那様、葉山のことですが、お断りしても・・」
「駄目だ。」
「でも、わたくしは奥様を差し置いて・・」
「斎藤に何か言われたんだろう? あいつの言う事は気にするな。」
「ですが・・」
「これは命令だ。」
土方は獲物を狙う猛禽類の目で千尋を睨みつけた。
「旦那様・・」
千尋が恐怖で身を竦めていると、総司が目を覚ました。
「総司、どうしたんだ? 俺の抱っこは気に入らねぇのか?」
あやしても一向に泣き止まない総司を前に、土方は困っていた。
「総司君をかしてください。」
「ああ。」
千尋は土方から総司を受け取ると、彼の小さな身体を優しく揺すった。
総司はまだぐずっていたが、いつの間にか千尋の腕の中で眠ってしまった。
「女親が居ねぇと、駄目なのかねぇ。」
「そんな事ありませんよ。」
落ち込む土方を、千尋はそう言って励ました。
女学校が夏休みに入り、千尋は土方とともに葉山の別荘へと向かった。
「うわぁ、綺麗・・」
車窓から見える海を眺めながら、千尋は初めて見る海に瞳を輝かせ、子どものようにはしゃいだ。
「ここが俺の別荘だ。」
車から降りた千尋は、白亜の瀟洒な別荘を見て溜息を吐いた。
「ここへは良く総美と週末2人きりで過ごす為に来たな。」
「そうなんですか・・」
「これから、総美がどうなるか解らねぇが、この海をあいつとまた見たいもんだ。」
そう言って窓から海を眺めた土方の横顔は、どこかさびしげだった。
「お茶を、淹れて参ります。」
千尋は居た堪れなくなって居間から厨房へと向かい、茶を淹れながらこれからの事を考えていた。
軽井沢に居る総美から時折手紙が届くが、余り体調が芳しくないようで、字が曲がっていたり、読めないものが最近多くなっていた。
(奥様、大丈夫だろうか?)
千尋が溜息を吐きながら薬缶の湯が沸くのを待っていると、突然土方が彼女を背後から抱き締めた。
「旦那様!?」
「済まない、千尋・・暫くこうしておいてくれねぇか。」
「おやめ下さい、旦那様!」
土方から逃れようとした千尋は、誤って沸騰した薬缶の湯を右肩に被ってしまった。
「千尋!」
千尋が火傷をしてしまいました。
はじめは顔に火傷を負う、という設定にしたのですが、女の子に顔の傷は付けたくないので、没にしました。
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