「いやぁ、すいませんなぁ、道が少し混んでいて・・」
「それならば使いを出してこちらに連絡してくだされば宜しいのに。それをなさらなかったというのは、うちがそんなにお宅とは立派な家ではないということかしら?」
椿の言葉に、侯爵はうろたえた。
「そんなつもりは・・」
「お父様から縁談の事をお聞きして、どんな方かと思いまして今日来ましたの。申し訳ありませんけれど、この話はお断りいたしますわ。お父様、お母様、行きましょうか?」
椿はさっと振袖を捌くと立ち上がり、部屋を出て行こうとした。
「お待ちください!」
彼女が振り向くと、そこには自分に土下座する保の姿があった。
「この度は失礼な事をしてしまい、大変申し訳なく思っております!ですから、どうかわたくしどもの話を聞いてくださいませんか?」
「聞くも何も、お宅の財政が苦しい状態で、借金でにっちもさっちもゆかないことぐらい、把握しておりますのよ。お話を聞く前に、人としての礼儀を欠かれるような方達とは同じ空気も吸いたくありません。では失礼!」
椿はそう言うと、襖を乱暴に閉めた。
「椿、あんな言い方はないんじゃぇねのか?」
「あら、礼を欠いた相手に優しくする必要があって?」
「椿、お前なぁ・・」
「もうその辺にしておきなさいな、二人とも。」
口論になろうとしていた歳三と椿を千尋が取りなすと、二人は互いにそっぽを向いたまま家へと向かう馬車に揺られていた。
「椿の奴、俺の嫌なところがだんだん似てきやがる。俺は娘の教育を間違ったのかな?」
その夜、歳三は溜息を吐きながらベッドに入ると、隣で寝ていた千尋がそっと彼の髪を梳いた。
「間違ってなどおりませんわ。多分あの子は自分のお眼鏡にかなった相手としか結婚しないだろうけど。もしかして一生独身を貫くかもしれませんわね。」
「おいおい、洒落でもねぇこと言うなよ。総司の野郎が突然留学したいって言いだすし、巽の奴は学校を辞めたいって言いだすし・・今だって大変な時にこれ以上厄介事は御免だぜ。」
「子ども達の事は子ども達で決めさせればよろしいのですわ。もう彼らが自立する為の準備は整ったんですから。」
千尋はそう言うと、くすくすと笑った。
「ったく、お前ぇっていう女は、どこまでも楽天家なんだ。」
歳三は溜息を吐きながら、妻をより一層愛おしく思うのだった。
上総の四十九日が過ぎ、東京に春の気配が訪れる頃、歳三達はアメリカへと留学する長男・総司を見送る為に横浜港へと来ていた。
「しっかり食事を摂るのですよ。あと手紙も忘れずにね。」
「わかったよ、母様。」
「巽、お兄様に何か一言おっしゃい。」
千尋がそう促すと、巽は総司に抱きついた。
「兄上、僕も一緒に連れていってよ!」
「まぁ巽、我が儘を言っては駄目よ。」
「でも・・」
「巽、お仕事が忙しいお父様や、僕に代わってお母様達を守ってくれよ。」
「わかりました、兄上・・」
蒼い瞳に涙を溜めながら、巽は兄の言葉に頷いた。
「それでは行ってきます、お父様。」
「何処かで野垂れ死ぬなんてこと、承知しねぇぞ。」
「解ってます。」
出航を知らせる汽笛の音が港に鳴り響き、総司の乗った船が静かに港を離れていった。
「行ってしまいましたね・・」
「ああ。だがきっとあいつは戻って来るさ。」
「そうですわね。さてと、久しぶりに横浜に来たのだから、今日は外でご飯を頂きましょう。」
千尋はそう言って、夫と子供達とともに港を離れた。
彼らの姿を、遠巻きに一人の青年が見ていた。
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Last updated
2016.05.26 14:45:46
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