聖良は夜勤前に仮眠室に入り、布団を頭から被って目を閉じた。
目を開けると、そこはまたあの庭園の中だった。
“この子をお願いしますね、神父様。”
数日前に夢の中に現れた女性がそう言って、自分を愛おしそうに見つめた。
『任せてください皇妃様、この子をわたしの命に代えても守り抜いてみせます。』
50代前半と思しき神父が自分に微笑みながら言った。
その神父は“白百合の家”の院長で、自分の養父でもある橘聖太だった。
養父が何故こんなところにいるのか、聖良には全く理解できなかった。
―おじさん、何処行くの?
聖良はそう言って、養父の法衣の袖を引いた。
『きみはこれからおじさんと一緒に日本に行くんだよ。日本に行って、おじさんと一緒に暮すんだ。』
―にほんって、いいところ?そこではだれもころされない?
無邪気な質問をすると、養父は眉を顰めて悲しそうな表情を浮かべていた。
『日本はとってもいい所だよ、きっと気に入るよ。』
自分に笑顔を浮かべた養父は、そう言って幼い自分を抱きあげて、庭園を出て行った。
そこからの記憶が一切ない。
あの女性が誰なのかが全く思い出せない。
ただ憶えているのは、庭園を出た時にあの女性が涙を浮かべて自分を見ていたことだけだ。
何故あの女性は泣いていたのだろう?
「橘、橘、起きろ!」
誰かに身体を強く揺さぶられ、聖良はゆっくりと目を開けた。
「もう夜勤始まってるぞ。」
同僚の鞆田がそう言って仮眠室を出た。
眠い目を擦りながら、聖良は仮眠室を出て行き、自分の席に着いた。
夜勤組は自分と鞆田の他20人近くいた。
書類仕事をしながら、聖良はこめかみを擦った。
「まだ眠気飛んでないのか?」
「うん、変な夢、見ちゃったから。」
「変な夢?」
「夢の中では、俺どっかのお城にある庭園にいてさ・・」
聖良が夢のことを同僚に話そうとしたとき、デスクに備え付けられていた電話が鳴り響いた。
「こちら築地署です、どうされましたか?」
『あの、女性が倒れてるんです。苦しそうにお腹押さえながら・・救急車呼んだほうがいいでしょうか?銀座の交差点の近くです。』
「すぐ行きますから。」
聖良は同僚と共に銀座の交差点へと向かった。
そこには腹を押さえて蹲っている女性がいて、通報者と思しき女性がおろおろした様子で辺りを見渡していた。
「大丈夫ですか、どうされました?」
聖良が蹲っている女性の方に近寄り、彼女に声を掛けると、女性はチラリと彼を見た。
「・・あなたが、あの金髪のお巡りさんね。あたしのヒロちゃんを奪った・・」
女性はボソリと聖良にしか聞こえない声で呟いた。
「え?」
次の瞬間、聖良は頬に鋭い痛みを感じた。
「ヒロちゃんを返せぇぇっ!」
女性は鬼女のような恐ろしい顔をしてカッターナイフを振り回し始めた。
鞆田が彼女から凶器を取り上げ、取り押さえようとしている。
頬の傷を押さえ、顔を上げると、通報者の女性と目が合った。
彼女は口端を上げて笑みを浮かべた。
その時初めて、彼女達に嵌められたのだと気づいた。
「あたしのヒロちゃんを返せぇぇっ、この泥棒猫ぉぉっ!」
女性の絶叫が、銀座の空に木霊した。
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