溪檎は首を回しながら、自分のオフィスでデスクトップのキーボードを叩いていた。
婚約者―もとい今日の見合い相手である松久麗華の母親である與利子に、ある事について調べて欲しいと頼まれ、彼はその事についてあるサイトを見ていた。
そこにはローゼンシュルツ王国に関する情報、特に22年前の内戦のことについて詳しく書かれており、街頭で公開処刑された軍関係者の写真や、反王党派による虐殺の犠牲となった国民の遺体が路上を埋め尽くす写真などが載せられてあった。
サイトのトップには、内戦当時の皇帝一家の写真が載せられていた。
がっしりとした体躯に漆黒の軍服を纏った若き皇帝の真紅の瞳には、強い意志が宿っていた。その傍らに立つ金髪蒼眼の美しき皇妃は、笑顔を浮かべながら夫に寄り添っている。
皇帝夫妻の前には皇妃と瓜二つの容姿を持った幼い軍服姿の皇太子は、母親譲りの金髪を背中まで伸ばし、紺碧のリボンで結んでおり、皇太子の隣にはあどけない笑顔を浮かべた皇女が立っている。
この写真を見る限り、皇帝一家には内戦の暗い影が差していないかのように見えた。
だが内戦勃発時、反王党派率いるゲリラ軍が王宮前広場に押し寄せ、彼らの手によって皇帝一家は処刑寸前まで追い詰められていた。
そんな緊迫した空気の中、突然皇太子が失踪した。
ゲリラ軍が皇太子の消息を掴むため国中を駆けずり回っている間、反王党派は皇帝軍により蹴散らされ、内戦は22年前の夏に終結した。
だが皇太子の消息は未だ掴めず、反王党派の筆頭であるガンネルト=クライシュタインは未だ政権の簒奪を虎視眈々と狙い、彼の支持者らが国中で物騒な花火を上げている。
もし行方不明の皇太子があの気に食わない聖良であったなら、世界は激しく動き出すことになる。
その前に、松久夫人の目的を知らなくては。
溪檎はサイトを閉じ、背もたれに背中を預け、眉間を揉んだ。
松久議員邸で開かれたパーティーの最中に武装した男達が乱入し、松久議員夫妻とその娘と、そして聖良とローゼンシュルツ王国大使の男が人質に取られている。
この男達の目的は聖良なのか、それとも松久議員なのか・・今の状況では松久邸で一体何が起こっているのかがわからないので、打つ手がない。
「鷹城警部補、お疲れ様です。」
そう言って自分のデスクにコーヒーを置いたのは、この春に入ったばかりの新人の警官で、事務を担当している女性だった。
「ありがとう。」
溪檎がそう言って女性に微笑むと、彼女は頬を赤く染めて走り去って行った。
「いいですね、いい男は何処に行ってもモテるんだから。」
隣のデスクで仕事をしていた自分より1年下の後輩が、恨めしそうに自分を見ながら言った。
「わたしは迷惑しているんだが。それに一生独身でいたいと思っている。」
「どうしてですか?先輩のような人ならいくらでも女性が寄ってきますよ。」
「彼女達はわたしよりもわたしの肩書や家柄にしか興味がないんだ。もっとも、あのわたしに嫌味を言う所轄の警官はそうでないらしいが・・」
「何か言いました?」
「・・いや、なんでもない。」
溪檎はそう言ってコーヒーを一口飲んだ。
数分後、彼は聖良が数年前に巻き込まれた築地署爆破事件に関する捜査資料のデータを見ていた。
資料によると、爆発が起こる数分前、聖良宛に宅配便が届き、聖良が書類仕事をしている最中にそれが爆発したのだが、本人は宅配便について全く記憶がないという。
(断絶的な記憶・・彼は自分の出生に関する記憶もない・・彼のことをもっと調べれば、彼や数年前の事件について何かわかるかもしれない・・)
この時、歯車が軋みを上げて静かに回り始めた。
溪檎はそのことも、これから自分の身に起こることも知らずに、仕事にただひたすら没頭していた。
同じ頃、松久邸から赤坂の高級マンションの最上階にある自宅に戻った暁人は、ほっとひと息ついていた。
シャワーを浴びようとした時、携帯の着信音が音割れしそうなほど部屋中に鳴り響いたが、暁人は携帯に出る代わりに携帯の電源を切って浴室へと入って行った。
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