「そなたのような者が暗殺に失敗するとは、許し難いぞ、テリュース!」
「・・申し訳ありません。」
枢機卿に頬を張られた男は、そう言って項垂れると、枢機卿は満足したかのように口元に嘲りの笑みを浮かべて言葉を続けた。
「そなたのような卑しい野良犬には、汚れ仕事が似合うのだから、仕事はちゃんとするのだな。」
男の背後に控えていた仲間が腰に帯びているサーベルを抜こうと立ち上がるのを、男は手で制した。
「それでは、これで失礼致します、閣下。」
「早う出て行け。」
男―テリュースが枢機卿の部屋から出ていくと、先ほどサーベルを抜こうとしていた若い男が彼に駆け寄ってきた。
「何故あの男の仕打ちに耐えておられるのですか、テリュース様!聖職者の風上にもおけぬ獣同然の男に・・」
「黙れ。ここがヴァチカンであるということを忘れるな。」
「申し訳ございませぬ・・」
若い男はそう言って俯いたものの、その顔には納得がいかないという表情が浮かんでいた。
「あの男はいずれ失脚することだろう。それまでの辛抱だ。」
「はい・・」
テリュースは黒衣の裾を翻しながら、廊下を歩いていった。
一方、崩落したビルの瓦礫の下敷きとなった直輝は、7日間の入院生活を経て退院し、警察庁公安部神秘課へと戻った。
「上島、怪我はもう大丈夫か?」
「はい。それよりも課長、ソウルの事件についてですが・・」
「騰蛇はどうやら、北上しているようなんだ。」
「北上、ですか?」
「ああ、これを見てくれ。最近騰蛇が目撃された場所だ。」
課長が机に広げた日本地図には、騰蛇が目撃された箇所が×印でつけられており、そのどれもが東北に集中していた。
「震災と関係があるんでしょうか?」
「かもしれんな。あれから1ヶ月は経つが、未だにガスや電気が復旧していないところもある。それに、原発の影響で一家離散する羽目になった家族もいっぱいいるだろうし・・」
ソウルのホテルで見た、街を津波が呑み込む映像が、直輝の脳裏から焼きついて離れない。
騰蛇は人間の負の感情に過敏に反応する。
「騰蛇がいつ現れるか、常に気を引き締めて注意しなければなりませんね。」
「そうだな・・」
「ところで、姫沢は何処に?」
直輝が姫沢の席を見ると、そこには空席のままだった。
「ああ、あいつなら実家の仙台に戻ったよ。家族が無事だっていうことが昨日わかってな。色々とすることがあるから、休暇を貰いたいと言ってな。」
「そうですか・・」
直輝は溜息を吐きながらオフィスから出て行き、喫煙室へと向かった。
「ここが、あんたの新しい家よ。」
福島から遥か遠い四国の山村に住む親戚の家に避難してきた少女は、不安そうな表情を浮かべて新しい“家”を見つめた。
震災では自分を含む両親や祖父母は無事だったのだが、原発事故の影響で父が必死に働いて貯めた金で購入した我が家を手放す羽目になり、生活の基盤を立て直す為に福島に残る両親と祖父母と離れ離れになった。
「宜しくお願いします。」
新学期を迎え、少女は教壇の前で軽く自己紹介して教室中を見渡した。
「お前、福島から来たんだってな?」
「放射能がうつるから余り近寄るなよ。」
転校初日にそんな心ない言葉を浴びせられた少女の顔が強張り、浮かべていた笑みが引きつった。
やがて同級生たちは、彼女を些細な理由で仲間はずれにしたりした。
“福島から来た”という理由だけで。
(何で、あたしがこんな思いをしなきゃいけないの?)
理不尽な目に遭わされる少女の心に、いつしか負の感情が溜まり始めていた。
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