どうしてここに奈緒子が居るのか―直輝がそう思いながら苦虫を噛み潰したかのような顔をしていると、彼の隣に立っている恵子が奈緒子と直輝を交互に見た。
「直輝さん、あれがあなたの実母の・・」
「ええ、わたしを捨てた母です。お義母さん、あの人に構わず行きましょう。」
恵子の手をそっと引いた直輝だったが、彼女はその場から動こうとはしなかった。
「直輝さん、あの人の事はわたくしに任せなさい。」
「ですが・・」
「いいから、見ておきなさい。」
恵子はそう言うと、つかつかと奈緒子の方へと歩いていった。
「あなた、確か直輝さんのお母様でしたわね?」
「ええ、そうですけれど、お宅は?」
「初めまして、直輝さんの継母の、恵子と申します。ここでは何ですから、わたくしと二人きりで話しません事?」
「いいけれど・・」
突然の直輝の継母の登場に戸惑いを隠しきれずに奈緒子が直輝の姿を探したが、彼は何処にも居なかった。
「あなたのご要望は既に主人から聞いております。息子さんが移植の必要がある病気をお患いになっているんだとか・・」
恵子に連れられたのは、ホテルの近くにあるコーヒーショップだった。
「そうよ、わたしは直ちゃんに、ドナー検査をして貰うよう頼みに来たのに、あの子ったら冷たくて・・」
「わたくしは今の主人とは、直輝さんが9歳の時に再婚致しましたの。主人は寡黙な人で、あなたと離婚した経緯は詳しく話してはくれませんでしたけれど、直輝さんが実の母親に疎ましがられて捨てられた噂は耳にしておりましたわ。」
「そんな・・あたしは・・」
「いいこと、奈緒子さん。」
恵子の声のトーンが急に低くなり、奈緒子はビクリと恐怖に身を震わせた。
「あなたは確かに直輝さんをお腹を痛めてお産みになったでしょう。けど我が子を平然と捨てた事は事実ですのよ。その事に、直輝さんは未だに傷ついていることがおわかりになりませんの?」
「そんな・・だってあの子は・・」
「あの子が人間ではないことは、わたくしも知っております。ですがわたくしは直輝さんの事を実の息子のように愛情を注ぎ、育てて参りましたの。あなたはご自分と血が繋がった息子さんの方が大事なようね。」
「あんた、一体何が言いたいの?あたしにお説教しにここに連れてきたわけ?」
「いいえ、これを渡しに参りましたの。」
恵子はさっとバッグの中から一枚の小切手を取り出すと、奈緒子の前に置いた。
「これは手切れ金です。あなたのご家族が一生遊んで暮らせるほどの額がここに書いてありますわ。もうあなたと直輝さんとはとうに親子の縁が切れております。これ以上見苦しい真似はおよしなさい。」
「何よあんた、偉そうに・・」
「これ以上直輝さんに一歩でも近づいてごらんなさい。その時は法的処置を取らせていただきますからね。」
恵子はそう言うと、怒りで震える奈緒子を残してコーヒーショップを後にした。
「お義母様、お帰りなさい。」
「直輝さん、あの人の事は心配要らないわ。」
「申し訳ありません、お義母様にご迷惑をおかけしてしまって・・」
「何を言うの、わたくしはあなたの母親ですよ。子どもの為の苦労なら、いくらでもするわ。」
恵子はそう言って直輝に微笑んだ。
実の母親に捨てられ、深い絶望を抱いていた時に、父は恵子と再婚した。
『あなたが直輝さん?初めまして、わたくしは恵子。』
初めて顔を合わせた時、直輝はこの人は信用できると直感でわかった。
血の繋がりはないが、恵子とは本当の親子のようになっていった。
「あの人はご自分の家庭だけが良ければそれでいいと思っているようね。」
「あの人の話はもうやめましょう。」
「そうね。」
これで奈緒子が自分の事を諦めてくれればいいのだが―直輝はそう思いながらベッドに入った。
一方、ルドルフとユリウスは被災地で炊き出しをしていた。
「ルドルフ様、まだご飯は大丈夫ですね。」
「そうか。」
2人は店を暫く閉じ、東北の被災地に赴いて無償で被災者たちにカレーやビーフシチューを振る舞っていた。
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