「やめろ、裕樹・・やめろって・・」
聖良は裕樹を押し退けようと彼の胸を押すが、鍛えられた厚い胸板はビクともしなかった。
「お前は今夜だけ俺のオンナになるんだ。」
裕樹は聖良の両手首を掴むと、聖良のネクタイを外してベッドの枠に縛り付けた。
「嫌だ、嫌ぁっ!」
「大丈夫だ、優しくしてやっからよ。」
裕樹はそう言って行為を再開した。
それから聖良が長いと思っていた悪夢はあっという間に過ぎ去り、聖良はベッドで力無く横たわった。
ニコチン特有の臭いがして隣を見ると、半裸になった裕樹が気だるそうに煙草を吸っていた。
「どうして、あんなことを・・」
「お前を抱きたかったんだよ、一度だけ。お前が俺の手の届かない所に行く前に。」
裕樹はニコチンを吐き出しながら言った。
「お前とはいつも一緒だった。けどお前が警官になって、あの事件や暁人のことが起きて、お前が何処かの国の皇子だと知った時、お前はもう俺の元に戻って来ないと悟ったんだ・・だからあんな酷い言葉をお前に投げつけた。」
「裕樹・・」
「馬鹿だよな、俺。相手はその気じゃねぇのにずるずると初恋ひきずって前に進めねぇなんてよ。」
自嘲めいた笑みを浮かべ、裕樹はゆっくりとベッドから起き上がった。
「一夜だけでも、お前と関係を結べてよかったぜ。」
彼はそう言って、聖良の首筋にキスをして部屋から出て行った。
“白百合の家”を出た裕樹は、勤務先のホストクラブへと向かった。
「遅かったな、ヒロキ。今まで何処行ってた?」
店のナンバーワンホストである美晴がそう言って彼を睨んだ。
「ちょっとこれと楽しんでたんすよ。」
裕樹は小指を立てながら笑った。
美晴は何も言わず、客が待つテーブルへと向かった。
「ヒロさん、例の人が見えてますよ。」
「わかった、今行くわ。」
裕樹はある客が待つテーブルへと向かった。
「久しぶりね、裕樹。」
テーブルには、艶やかな黒髪を結いあげた和風な美女が座っていた。
「お久しぶりです。」
「後で話、いいかしら?ちょっとあれのことで。」
「わかりました。」
店が閉店の時間を迎え、朝日の光が新宿の街を照らし始める頃、裕樹はテーブルに座っていた美女と近くの喫茶店で待ち合わせた。
「ヒロ、うちの人がね、あんたに頼みたい仕事があるって言うんだけど、引き受けてくれないかしら?」
「わかりました。」
仕事の内容は聞かなくても危険なものだと分かっていた。
「じゃぁこの時間に、お願いね。」
美女は店のナプキンに走り書きし、それを裕樹に握らせて店を出て行った。
裕樹はメモに書かれた時刻に都内某所にある美女の夫が経営している事務所へと入った。
「失礼します。」
「おう、裕樹か。」
黒いスーツに身を包み、いかつい顔をした男は、新宿界隈に縄張りを持つ暴力団の頭だった。
「俺に頼みたい仕事って、何ですか?」
「まぁ、座れや。」
黒革のソファーに裕樹が腰を下ろすと同時に、頭は彼に拳銃を向けた。
「一体何を・・」
「おめぇ、この前の事警察にチクッただろ?その所為で商売あがったりだ。だからてめぇに落とし前つけねぇと気が済まねぇのよ。」
眼前で銃を突き付けられているというのに、裕樹は恐怖も何も感じなかった。
脳裏には、長年想い続けてきた愛しい人の笑顔が浮かんだ。
裕樹は護身用に隠し持っていたナイフを取り出し、頭に突進した。
1発の銃声が事務所内に響いた。
腹部を撃たれた裕樹は床に崩れ落ち、爪でリノリウムの床を引っ掻いた。
いつも死など恐れなかったのに、このときだけは何故か生きたいと思った。
ここで死んだら、聖良に永遠に会えない。
あの笑顔を、もう見ることができなくなってしまう。
(聖良、聖良・・)
裕樹の眼前には、初めて出逢った頃の聖良が立っていた。
天使のように襟元をレースの白薔薇で飾ったワンピースを纏い、白いリボンを付けた聖良が自分に手を差し伸べていた。
『ねぇ、僕と遊ぼ?』
裕樹は聖良の小さい手を握ろうと必死に手を伸ばしたが、後少しというところで、彼の手は力なく床に落ちた。
「あばよ、聖良・・」
裕樹は幼い頃から聖良にプレゼントされた手作りのロザリオを取り出し、それをしっかりと握り締めながら果てた。
「笑っていやがるぜ、こいつ・・」
事務所内から裕樹の遺体は東京湾へと運び出され、海の藻屑となって消えた・・
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