第一幕
北の王国・ローレル王国。
1年の内の大半を雪と氷で覆われた不毛の国を治める国王・ユリシスの元に、1人の女性が輿入れした。
その女性の名はリリア=テレーズ=フォン=システィナ。
南の大国・システィナ皇国の第1皇女であり、ユリシスとの結婚は不毛地帯で大した産業もない弱小国・ローレルと、観光や産業、貿易で潤う大国システィナとの和親条約締結を狙っての政略結婚であった。
物心ついたときから燦然(さんぜん)と輝く太陽の下、珊瑚礁に囲まれたエメラルドグリーンの海で遊んでいた南国育ちのリリアにとって、1日の大半を雪で閉ざされ、厚い雲で覆われた北国での生活は馴染むのには時間がかかり、もし出来るのなら故国に帰りたいとさえ彼女は毎日思う様になった。
だがそんな彼女を夫のユリシスは辛抱強く支え、リリアに北国ならではの自然の荘厳さや美しさ、独自の文化などを忙しい公務の合間を縫って彼女に紹介し、天候が良い時は彼女を狩りに連れ出したりした。
はじめは塞ぎ込み、望郷への思いを募らせているばかりだったリリアは、次第にユリシスによって北国の美しい自然の風景や文化などに魅力を感じるようになり、この地に骨を埋める覚悟を決めた。
政略結婚で結ばれたユリシスとリリアだったが、2人は心から互いに理解し合い、愛し合っていた。
だが彼らには子宝には恵まれないという悩みがあった。
大陸中の名医に数え切れぬ程リリアは診てもらったが、不妊の原因はわからずじまいであった。
「余り思いつめることはない。子どもは神様からの授かり物だ。いつか必ず出来るさ。」
ユリシスはそう言って落胆するリリアを慰めていたが、リリアの暗く沈んでいる心は夫の優しい言葉によって晴れることはなく、逆にますます彼女を追い詰めていった。
そんな中、常日頃からリリアを目の敵にしているオ―レリア王太后は、夕食の席でリリアと離縁し、別の女と再婚するようユリシスに持ちかけた。
「リリアではお前を幸せに出来やしないよ。南国育ちの姫よりも、厳しい自然の中で産まれ、逞しく育った北国の女がお前には相応しかろう。システィナとの和親条約は締結したし、リリアは国元に帰した方が良かろうよ。」
オ―レリアは満足げにそう言うと、孫の答えを待った。
「わたしはリリアとの離縁は考えておりません。わたしはリリアを心から愛しておりますし、子どもが出来ないからといってリリアと離縁すれば、システィナが黙っておられませんよ。」
ユリシスは祖母に冷たく言い放つと、父親譲りの真紅の瞳で彼女を睨んだ。
「わたくしはお前のために言っているのだよ、ユリシス。老い先短いわたくしの話をきいてくれてもいいだろう?」
「あなたとは、もうこれ以上話すことはありません。失礼します。」
ユリシスは乱暴に椅子から立ち上がり、ダイニングから出ていった。
「おお、何ということだろう。愛しいわたくしのユリシスが、わたくしに向かってあんな口を利くとは・・南国育ちの姫君を嫁に貰った所為に違いないわ。」
オーレリアはリリアに対する嫌味をあからさまに口にした後、侍女を引き連れてダイニングを後にした。
リリアは屈辱と怒りに震えながら葡萄酒が注がれたグラスをじっと見つめていた。
(故郷から遠く離れたこの地でユリシス様と骨を埋める覚悟できたというのに・・未だにローレル王家の一員にもなれず、このまま跡継ぎにも恵まれなかったのならユリシス様と離縁されてしまう。何としてでも跡継ぎを授からなければ・・)
蝋燭(ろうそく)の仄(ほの)かな灯りが、ユリシスの元に嫁ぐ前に“大陸一の美姫”と謳われたリリアの顔を照らした。
この国に来て2年半の歳月が経ったが、その間に目尻には小皺(こじわ)ができ、慣れぬ異国での生活による心労、そして子を産めぬ苦しみが、かつての美貌を徐々に衰えさせていた。
(わたくしはこのまま、オーレリア様に苛め抜かれる人生など送りたくはないわ!何としででも跡継ぎを産まなければ!)
絶対にこの国の跡継ぎを産むと決意したリリアは、ゆっくりと顔を上げた。
翌朝彼女は、ごく数人の供を連れて城を抜け出し、とある場所へと向かった。
「王妃様、一体どちらへ向かわれるのです?」
「着けばわかることです。お前達はわたくしとはぐれないようついていらっしゃい。」
城から離れ、普段魔物が棲むと言われている森の中へと馬を進めながら、リリアはそう言って供の女官達に微笑んだ。
「一体王妃様はどうなさったのかしら?」
「こんな人気のないところにわたくし達を連れて来て、何処へ向かわれようとしていらっしゃるのかしら?」
「もしかして気が触れられたのでは・・」
ひそひそと女官達が囁きを交わす中、リリアは鬱蒼と茂った森の奥へと進んだ。
彼女の脳裡には、ローレル国へ嫁ぐ前、妹・ミリアと話した夜の事が浮かんだ。
「ローレルへ行ってしまわれるのね、お姉様。」
自分の輿入れが決まった時、妹はそう言って寂しそうな顔をした。
「ローレルへ嫁いでもわたくし達はいつも一緒よ、ミリア。そんな悲しい顔をしないで。」
「お姉様、ローレルには恐ろしい魔女がいるって、女官達が噂していたわ。その魔女は、お城から遠く離れた森の奥に住んでいるんですって。決して森には行かないで、お姉様。行ったら、魔女に呪い殺されてしまうわ。」
「魔女というものが本当に住んでいるのなら、わたくし会ってみたいわ。」
「やめて頂戴、お姉様。」
あの時は冗談交じりで言った言葉だったが、数年後その魔女に会う為に森に行くなどあの時の自分は想像もしていなかった。
魔女の力を借りてでも、リリアは跡継ぎを産みたかった。
このままユリシスのお荷物扱いされるのは嫌だ。
森の奥へとリリア達は辿りついたが、そこには小屋どころか、人が住んでいる痕跡すらない。
やはりただの噂話だったのか。
「王妃様、戻りましょう。ここは薄気味悪いですわ。」
女官の1人がそう言って手綱を引いて元来た道を引き返そうとした時、遥か向こうからうっすらと煙が見えた。
「今煙が見えたわ。あそこまで行ってみましょう。」
リリアは手綱を引き、馬の横腹を蹴った。
煙が上っている方へと向かうと、そこには煉瓦造りの小さな家が建っていた。
(もしかして、ここに魔女が住んでいるのかしら?)
馬から降りたリリアは、そっと木枠のドアをノックしようとした。
その時ドアが開き、中から澄んだラヴェンダーの双眸が彼女を見つめた。
「あなたが、森の奥に住む魔女なのですか?」
「よく来たね、リリア王妃。」
ラヴェンダーの瞳を持った老婆はゆっくりとリリアの前に歩み寄り、枯れ枝のような皺だらけの手でリリアの白魚のような手を握った。
「何故、わたくしの名前を知っているのです?」
「あたしにはこの世の事が全て見えるのさ。この瞳と、ここでね。」
老婆は左手の人差し指で自分の両目と胸を指しながら言った。
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