王宮へと向かう一台の馬車が、王都を駆け抜ける。
その側面には、天馬と薔薇を象ったマシミアン公爵家の紋章が刻まれていた。
「レオン、もうすぐルチア様にお会いできるぞ。」
マシミアン公爵家当主・ミハイルはそう言って隣に座っている一人息子・レオナルドを見た。
「やっとお会いできるのですね、父上。」
レオナルドは空色の瞳を輝かせながら父親を見た。
「どんな方なんでしょう、ルチア様って?お綺麗な方なんでしょうか?」
「とても可愛らしい、天使のような方だよ。」
ミハイルは大きな手でレオナルドの金髪を優しく梳いた。
「早くお会いしたいなぁ。」
一方、夫と息子が王宮へ向かったのを見送ったアンナは、自室に引き籠っていた。
「奥様、お呼びでしょうか?」
躊躇いがちなノックの後、レオナルドの乳母であるナターリアが部屋に入って来た。
「ナターリア、お前に話があるの。お前はルチア様の実の父親が誰なのか、知っているわよね?」
ナターリアは女主人の言葉を聞いて静かに頷いた。
「ねぇナターリア、お前にとってレオンはどんな存在なの?」
「レオン様はわたくしにとって実の息子のような存在でございます、奥様。奥様は、レオン様のことをどうお思いになっていらっしゃるんですか?」
ナターリアは今まで女主人に対して抱いていた疑問を初めて本人にぶつけた。
「わたしが、レオンの事をどう思っているですって?」
息子の乳母の言葉を聞いたアンナは、口元を歪めて笑った。
「愛しているに決まっているじゃないの、ナターリア。わたしにとってレオンはこの世で唯一の心の拠り所なの。わたしにはあの子しかいないわ。」
そう言った彼女の琥珀色の瞳は、狂気で少し濁っていた。
「奥様、レオン様はいつか奥様の元を離れられる日が来ます。その時はどうなさるおつもりなのですか?」
「あの子がわたしの元を離れる日ですって?そんなもの、永遠に来ないわ。だってあの子はわたくしのものですもの。」
「奥様・・」
ナターリアは徐々に心を病んでゆく女主人を呆然と見つめた。
「ねぇナターリア、もしわたくしからレオンを奪おうなんて思わないでね。わたくしからレオンを奪おうとしたら、躊躇い無くあなたを殺してしまうかもしれないわ、わたくし。」
アンナは甲高い声で笑いながら、恐怖の表情を浮かべているナターリアを見た。
彼女の笑い声が、不気味に広い邸内に響いた。
一方、王宮に着いたミハイルとレオナルドは謁見の間にいた。
「お久しぶりね、ミハイル。隣にいらっしゃるのが、あなたの息子さんかしら?」
リリア王妃はそう言ってミハイルの隣で緊張で固まっているレオナルドを優しく見つめた。
「はい、王妃様。レオナルドといって、今年で7歳になります。レオナルド、王妃様にご挨拶なさい。」
「お、お目にかかれて光栄です、王妃様。」
レオナルドは緊張しながらリリアに挨拶を述べると、恥ずかしそうに俯いた。
「まぁ、緊張しているのね。可愛らしい事。大丈夫よ、そんなに緊張せずともわたくし達はあなたを歓迎していてよ。だからもっと、その可愛い顔を見せて頂戴。」
王妃の優しい言葉に、レオナルドは俯いていた顔をゆっくりと上げ、空色の澄んだ瞳で彼女を見つめた。
(綺麗な方だ。)
結いあげられたプラチナブロンドの髪はシャンデリアの光を受けて美しく輝き、自分を見つめるサファイアブルーの瞳は優しい光を帯びている。
いつも自分の部屋に閉じ籠り、陰鬱な表情を浮かべている自分の母親とは大違いだ。
(王妃様が、僕の母上だったらいいのに。)
物心ついた時から乳母に育てられ、母親に蔑ろにされてきたレオナルドは、優しい王妃に育てられているルチア王女が少し羨ましいと思った。
「王妃様、ルチア様はお元気ですか?」
ミハイルはそう言って長年の想い人を見た。
「あの子なら、庭園で遊んでいるわ。あなたにとても会いたがっているわ。」
リリアはミハイルに微笑みながらそう言って椅子から立ち上がったが、バランスを崩して躓(つまづ)きそうになった。
その時、ミハイルはリリアを抱き留めて彼女の身体を支えた。
「お怪我はありませんか?」
「え、ええ。ありがとう、ミハイル。」
そう言って父に礼を言う王妃の頬が紅く染まっていることに、レオナルドは気づいた。
(父上と王妃様はどういう関係なんだろう?)
レオナルドはそんな疑問を抱き始めたが、後で父に聞こうと思い、父と王妃の後に続いて庭園へと向かった。
王宮庭園には、王妃が好きな色とりどりの薔薇が咲き乱れており、王宮内とはまるで別世界のようだと、初めてそこに足を踏み入れたレオナルドは思った。
「レオン、どうした?早くこちらへ来なさい。」
「は、はいっ!」
我に返り、慌てて父の後を追ったレオナルドが見たものは、咲き誇る薔薇の中で長い艶やかな黒髪をなびかせながら歌う少女の姿だった。
「ルチア、こちらにいらっしゃい。あなたに紹介したい方がいるのよ。」
「はい、お母様。」
王妃の声に、少女はそう言って振り向いてレオナルド達の方へと走って来た。
「ルチア、こちらはお母様の大切なご友人でいらっしゃるミハイル様よ。ミハイル、こちらがルチアですわ。」
「初めまして、ルチア様。お目にかかれて光栄です。」
そう言って父は優雅に少女の前で跪いた。
「初めまして、ミハイルさん。」
少女は微笑みながら、ミハイルの接吻を手の甲に受けた。
「そちらの方は?」
少女の視線が、ミハイルからレオナルドの方へと移った。
美しい紫紺の双眸に見つめられ、レオナルドは魂を吸い取られそうだと思った。
「わたしの息子の、レオナルドと申します。」
「初めまして、レオナルドです。」
レオナルドの挨拶に、少女はにっこりと彼に微笑んだ。
「初めまして、ルチアです。これから仲良くして頂戴ね。」
少女―ルチア王女はそう言ってレオナルドに手を差し出した。
「ええ。」
レオナルドはそっと、王女の手を優しく握った。
それが、王女と騎士の運命の出逢いだった。
互いが血を分けた兄弟とは知らず、ルチアとレオナルドは庭園の中で無邪気に駆け回った。
「二人とも、楽しそうね。」
リリアはそう言って目を細めながら、庭園を駆けまわる二人の姿を見ていた。
「ええ。今までレオナルドには同じ年頃の友人が居なかったので、ルチア様と会って嬉しいのでしょう。」
「そうね。ルチアは普段は少し大人しい子なのよ。色々と我慢させているんじゃないかと思うと、少し辛くて・・」
リリアはそう言葉を切ると、レースのハンカチで目元を拭った。
にほんブログ村