「ミハイル、今日はお友達を連れて来たの。入ってもいい?」
ルチアはそう言うと、ミハイルの部屋のドアをノックした。
「姉様、どうぞ。」
中から素っ気ないミハイルの声が返ってきた。
ルチアとレオナルドが部屋に入ると、そこには天蓋付きのベッドでじっと二人を見ているミハイルの姿があった。
「珍しいね、姉様が僕の部屋にいらっしゃるなんて。」
「言ったでしょう、今日はあなたにお友達を紹介するって。こちらはレオナルド、レオンよ。レオン、こちらはわたしの弟の、ミハイルよ。」
「お初にお目にかかれて光栄です、ミハイル様。」
レオナルドはそう言うとミハイルに頭を下げた。
「レオンって、あなたはもしかしてマシミアン公爵家の?」
それまで濁っていたミハイルのエメラルドグリーンの瞳が微かに光ったのを、ルチアは見逃さなかった。
「ええ、そうですが。それが何か?」
「ううん、何でもない。それよりレオン、今度姉様と三人で遊ばない?勿論僕が元気になったら、の話だけど。」
ミハイルはそう言ってレオナルドに微笑んだ。
「ええ、喜んで。」
「良かった、二人とも仲良くなれそうね。」
レオナルドとミハイルの会話を聞いていたルチアは、ニッコリと微笑んだ。
「ミハイル様、失礼いたします。」
乳母が部屋から入って来て、ルチアとレオナルドを見た。
「ルチア様、いらしていたのですか。それに、レオナルド様まで。」
「あら、レオンを知っているの?」
ルチアはそう言って弟の乳母を見た。
「ええ。マシミアン家に昔女中として働いていたものでして。」
気まずそうに乳母はそそくさと部屋から出て行った。
「変なの、別に隠さなくたっていいのに。」
「姉様、父上と母上は?」
「お庭で何かお話しされているわ。それに、レオンのお父様も。」
「ふぅん。一体どんなお話しをされているんだろうね?」
「さぁ、知らないわ。」
ルチアはそう言うと、ベッドの端に腰掛けた。
同じ頃、リリアとユリシスはレオナルドの父、ミハイルと王宮庭園で話をしていた。
「エステアで、ある噂が王宮内に流れているのをご存知ですか?」
「噂?」
「ええ。エステアの宮廷人達は、ルチア様がアシュレイ国王陛下のご落胤だと言っております。」
「何ということを!」
リリアはミハイルの言葉を聞いた瞬間気絶しそうになり、慌てて女官が彼女を支えた。
「一体何処のどなたなのです、そのような噂を流していらっしゃるのは?」
「噂を流している者の正体は掴めませんが、ローレルの神学校に在籍している者達が無責任にも流し始めたのではないかと・・」
そう言葉を切ったミハイルは、一枚の書類を取り出すとそれをリリアに手渡した。
「これは?」
「最近エステアで不穏な動きをしている連中のリストです。その中で、近々地下組織が動きだしそうな気配がいたします。」
「地下組織ですって?」
リリアは思わず、隣に立っている夫を見た。
「密かにその者達がエステアの過激派と繋がっていることは知っている。五年前一斉に地下組織は軍によって摘発を受け、その大半は壊滅に追い込まれたと聞くが、まだ残っていたものがあったとは。」
「王太后様の息がかかった者達でございましょう。最近の王太后様は誰にも告げずに外出なさるそうです。」
「母上が?」
ユリシスの眦が少し上がった。
「ミハイル、母上が何処へ、誰と会っているのかを調べよ。もし母上が地下組織の者と繋がっているのであれば、我が王国の一大事だ。」
「承りました。」
ミハイルはユリシスに頭を下げると、王宮庭園から出て行った。
「あなた、お義母様が前々からわたくし達のことを気に入られていないことはしってましたけど、まさかこの王国を潰すおつもりじゃぁ・・」
リリアはそう言うと、溜息を吐いた。
「母上はそんな事をお考えになっていない。母上の狙いが何なのか、暫く様子を見る必要がある。」
ユリシスの言葉には、氷のような冷たさが宿っていた。
「レオナルド様、お父様がお帰りになられますよ。」
ミハイルとルチアと三人で色々な事を話していたら、すっかり日が暮れてしまったことに気づいていないレオナルドに、ミハイルの乳母が躊躇い気味にそう言って彼を見た。
「ミハイル様、ルチア様、もうお暇しなければならない時間になってしまいました。」
レオナルドはミハイルとルチアに向かって頭を下げた。
「また来て頂戴ね、レオン。今日はあなたとお話しできて嬉しかったわ。」
ルチアはレオナルドに微笑みながら弟の乳母と共に部屋から出てゆく彼に向かって手を振った。
「レオナルド、ルチア様とお会いできて嬉しかったか?」
帰りの馬車の中で、ユリシスはそう言って一人息子を見た。
「ええ、とても楽しかったです。それに、ミハイル様ともお話しいたしました。」
「そうか、それは良かったな。お二人と仲良くするのだぞ、レオナルド。」
「はい、父上。」
(レオナルドよ、ルチア様はお前と血が繋がった兄妹なのだ。ルチア様をお前がお守りするのは、兄としての役目でもあるのだぞ。)
無邪気な笑みを浮かべる一人息子の横顔を見ながら、ユリシスは心の中でそう呟いた。
夜の帳が下りたカレディナの街は、昼の街とは違う表情を見せていた。
売春宿に勤める娼婦たちは派手に着飾り、道行く客を引いては宿へと連れ込み、地下組織の者達は密かに国王一家殺害を企てていた。
闇の住人達が蠢きだす王都の片隅にある酒場で、一人の男がリュートを奏でながら歌っていた。
赤褐色の腰まである長い髪をなびかせながら、少し低い渋めの声で人生の悲哀を歌い紡ぐその姿を見ると、彼が二十であると言っても誰も信じぬだろう。
男の名はエルムント、放浪の吟遊詩人である。
生まれ育った場所も、家族も、故郷も知らぬ孤独な彼は、街から街へと渡り歩いてはリュートを奏で、歌う。
その人生を決めたのは彼自身であり、誰にも束縛されずに自由に生きることこそが彼そのものだった。
彼が歌い終わると同時に、酔客達は椅子から立ち上がり彼に喝采した。
彼は客達一人一人に頭を下げ、また次の街へと向けて旅立っていく。
だが、今夜だけは違っていた。
エルムントがリュートを肩に担ぎながら酒場を出て夜の街を歩いていると、後ろから誰かに声を掛けられ、彼は振り向いた。
「久しぶりだな、エルムント。」
そこには、懐かしい顔をした男が立っていた。
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