第二幕
カン、カンッ!
王宮の中庭では、今日も剣戟の音が響いていた。
「もっと肘を伸ばして! そう、そうです!」
剣術の師匠に向かって剣を振るっているのは、数日前に成人を迎えたルチアだった。
腰下まである長い黒髪を背中で一括りにして男物の服を着た彼女は、師匠の言葉通りに肘を伸ばし、彼に何度も向かっていった。
「今日の稽古はここまでにいたしましょう。」
「ありがとうございます、先生。」
「姫様は筋が良いですね。わたしは今まで星の数ほどの生徒を教えていましたが、姫様のような教え甲斐のある方は初めてです。」
「あら、それは先生の教え方が良いからですわ。少し喉が渇いたので、お茶にいたしませんこと?」
「いえ、わたしは忙しい身なので、これで失礼します。」
「お気をつけて。」
師匠を見送ると、ルチアは額に滴る汗を侍女が差し出した布で拭った。
「ルチア様、剣術の稽古などしても良いのですか? 他にやるべき事がおありでしょうに。」
そう侍女がルチアに苦言を呈すると、彼女は渋い顔をした。
「お母様はわたしが剣術の稽古をすると言いだしても何もおっしゃらずに許してくださったし、お父様だって自分の身は自分で守れるようになれとおっしゃったわ。それにただ一日中刺繍や噂話に明け暮れるよりも、身体を動かした方がいいと思わなくて?」
ルチアがそう言って侍女を睨むと、彼女は溜息を吐いて庭園から出て行った。
「また侍女達があなたの悪口を言いますよ?」
かさりと草叢が揺れる音がしたかと思うと、レオンが苦笑しながらルチアの元へとやって来た。
「あらレオン、さっきの遣り取りを聞いていたの?」
「ええ。ルチア様、剣術もいいですが少しは貴婦人としての嗜みを・・」
「あなたもまた爺臭いお説教をするつもりなの? お茶にしましょう。」
紫紺の瞳を煌めかせながら、ルチアはそう言ってレオンを見た。
「レオン、あなたのお母様の具合はどうなの? 最近床に臥せりがちだとお母様から聞いていてよ。」
「ああ、その事ですか・・」
レオンはルチアの口から母の事を聞かされ、少し顔が曇った。
数日前、彼がルチアの騎士となって以来、アンナは床に臥せりがちになった。
原因は愛する息子を憎い女の娘に奪われたということで、アンナはレオンに裏切られたような気がした。
夫のミハイルもあの女に奪われた挙句、あの女と夫との間に生まれた娘にまで愛する息子を奪われるとは、一体自分が何をしたと言うのだろう。
(わたしが何かしたのですか? 何故わたしだけにこんな苦しみを与えるのです?)
アンナは寝台の上で、シーツを涙で滲ませた。
「そう・・そんなに良くないの。」
「ええ。母は毎日泣き暮らしていて、一体何が原因なのかと・・」
「そっとしておいた方がいいんじゃなくて? こういう場所で言うのもなんだけど、お父様とお母様、上手くいっていないんでしょう?」
「ええ。母にとってはわたしが全て。そのわたしが父に続いて王妃様やあなた様にお仕えすることになって寂しく思う余りに気を病んでしまったのでしょう。」
「そう。」
ルチアが椅子からゆっくりと立ち上がろうとした時、何かが彼女の頬を掠めた。
「ルチア様、伏せて!」
「え?」
レオンの言う通りにルチアが身を地面に伏せると、彼女の近くに握り拳大程の石膏が落ちた。
「何者だ!」
レオンが腰に帯びている剣を抜き、ルチアに石膏を投げつけた犯人らしき女を捕まえた。
「お前か、これをルチア様に向かって投げつけたのは!」
彼に捕えられたのは、王宮に仕えてまだ日が浅い年端のゆかぬ女官の一人だった。
「い、いいえ・・あたいは何も・・」
「では何故逃げようとした? ルチア様に狼藉を働こうとしただろう!」
レオンが女官の胸倉を掴むと、彼女は強く首を横に振った。
「レオン、その辺にしておきなさい。彼女が怖がっているじゃないの。」
ルチアは慌ててレオンと女官の間に割って入った。
「ですがルチア様・・」
「いいのよ、わたしは怪我をしていないんだから。それに、この子はたまたま通りかかっただけでしょう? そうよね?」
「は、はい!」
女官はそう言って涙を流した。
「レオン、彼女を離してやりなさい。」
「わかりました。」
レオンは女官の胸倉から手を離した。
「あなた、お名前は?」
「イ、 イメルダですだ、ルチア様。」
「イメルダ、誰がわたしにあの石膏を投げたか教えて頂戴。それだけでいいのよ。」
「あ、あたいは何も見ておりません。神に誓って本当です! し、信じてくだせぇ!」
女官は涙で顔をぐしゃぐしゃに濡らしながら、ルチアの前に跪いた。
「そう。では犯人に心当たりはある? たとえば、わたしを恨んでいる人とか、憎んでいる人とか・・」
「それなら、メリッサが・・」
女官はそう言うと、気まずそうな顔をして口を噤んだ。
「メリッサ?」
「あ、あたいと同期の女官ですだ。そいつは、ルチア様のことをお高くとまっているとか、レオン様とデキてるって周りの女官達に言いふらしていて・・」
「そう。イメルダ、メリッサは何処に居るの?」
「あたいと同じ針子だから、今は仕事中で・・」
「ルチア様、参りましょう。」
「わかったわ。イメルダ、怖い思いさせてごめんなさいね。あなたも忙しいでしょうからお仕事に戻っていいわよ。」
「へ、へぇ・・」
中庭を後にしたルチアとレオンは、メリッサという女官がいる衣装部屋へと向かった。
そこには数十人もの女官達が、ルチア達王族の衣装を縫っていた。
「こ、これは姫様! あなたがこんな所にいらすだなんてお珍しい・・」
ルチアの姿を見た衣装部屋の責任者である女官が、そう言ってルチアとレオンに向かって頭を下げた。
「メリッサという子を探しているの。彼女は何処?」
「ああ、彼女なら向こうで・・」
「ありがとう。」
ルチアとレオンが衣装部屋の隅で衣装の仕上げにかかっている一人の女官の元へと向かった。
「あなたが、メリッサね?」
「はい、そうですが。」
そう言った女官は、敵意を隠そうともせずにルチアを蒼い瞳で睨みつけた。