ルチアはコルセットでウェストを締めあげられてフラフラになりながらも、彼女が倒れぬようレオンが支えてくれたので、何とか大広間の前へと辿り着いた。
「ルチア様、コルセットを緩めましょうか?」
「ええ、お願い。このままだとわたくし、もう死んでしまいそうだわ。」
「では、失礼致します。」
レオンはそう言ってルチアの手を引き、人気のない廊下の角へと向かった。
彼の手によってコルセットが緩められ、ルチアは呼吸が楽になり思わず溜息を吐いた。
「ありがとう、レオン。少しマシになったわ。」
「では、参りましょうか。」
レオンとともに大広間に入ったルチアは、貴族達の好奇の視線に晒された。
―まぁ、ルチア様はまたレオン様と・・
―ルチア様は騎士様に夢中のようですわね・・
―寄りにもよってこのような場所に、しかも仲良く連れたって来るとは、非常識だこと。
宮廷雀達はルチアとレオンの姿を見るなり、ヒソヒソと扇子の陰で囁きをこいた。
「何だかやなカンジ。レオン様はルチア様の騎士だから一緒に居ても別に何ともおかしくないのにさ。」
アンダルスは眉を顰めながら大広間の隅に陣取って噂話に興じている貴婦人達をちらりと見ながら言った。
「今宵の夜会はルチア様の結婚相手を探す目的で開かれたものだ。当の王女殿下が騎士を連れて来ると国王陛下が聞いたら、心穏やかではいないだろう。」
「そうかなぁ、僕にとっちゃぁあの二人はお似合いだと思うけど? 何か問題でもある訳?」
「大有りだ。ルチア様のご結婚は、彼女自身の問題ではなくなる。このローレル王国の問題でもあるのだからな。」
「ふぅん。お偉いさん達は大変だねぇ、自由に恋愛も結婚も出来ないなんてさ。その点、僕らは自由すぎだね?」
アンダルスがそう言って恋人の頬にキスすると、ガブリエルは照れ臭そうに俯いた。
「今更恥ずかしがらなくてもいいでしょう? 一線を越えた仲なんだからさぁ?」
彼がガブリエルにしなだれかかると、ガブリエルはそっとアンダルスの髪を梳いた。
「それは解っているが、人前でイチャつくのは止めた方がいい。噂好きの暇人が色々と話を脚色してあっという間にわたし達の事を広めるからな。」
「はいはい、解ったよ。」
アンダルスは少し不満そうな顔をすると、ガブリエルから少し離れた。
一方、ルチアとレオンは大広間に集まっている貴族達がジロジロと先程から自分達の方を見ていることに気づいた。
「何だか、見られていないかしら、わたくし達?」
「それはそうでしょうね、あなた様の結婚相手探しの為の夜会に、あなた様がわたしを連れて来たのですから。」
「不味い事をわたくしはしたかしら? ただわたくしはあなたと一緒に夜会に出て踊りたかっただけなのに。」
ルチアはそう言うと、笑った。
(この方は、いつも周囲の思惑など気に掛けず、自分のしたいように為さる。ルチア様は強い意志をお持ちの方だが、果たしてそれが・・)
「レオン、あなたは結婚の事は考えているの?」
不意にルチアの紫紺の瞳に見つめられ、レオンは暫し返答に戸惑った。
「いいえ、わたしはまだ男として半人前ですし、ルチア様をお守りするだけで精一杯で、女性と付き合うなど考えた事もありません。」
「あなた、見かけは遊び人のようだけれど、実は慎重な方なのね。まぁ、むやみに突っ走らずに物事を見極める力があった方がいいけれど。」
ルチアはそう言うと、騎士に微笑んだ。
(ルチア様、その笑顔がわたしだけに向けられる日は、いつまで続くのでしょうか? いずれあなたが誰かの妻になる日が来るかもしれぬというのに、わたしはあなたの笑顔が自分だけに向けられる日が永遠に続けばいいとさえ思ってしまうのです。)
ルチアの笑顔を見るたびに、レオンの密かなる彼女への想いは徐々に募ってゆくばかりだったが、その想いに当の主は気づかなかった。
己の意思を常に持ち、針と糸よりも剣を持つ事が好きな王女。
そんな彼女を幼時により見守って来たレオンは、今回の夜会の事を聞いて心穏やかではいられなかった。
かつてルチアの母である現王妃が政略結婚の為この僻地ともいえる王国に嫁いで来たのと同じように、ルチアも意に沿わぬ相手との縁談が持ち上がり、友人や家族から離れた遠い国へと嫁ぐ日がいつか来るのだろう。
マシミアン公爵家は、ローレル王家にもひけをとらぬほどの家柄ではあったが、一国の王女との結婚となると、自分は大勢いる宮廷貴族の中の一人としか捉えられず、結婚相手としては不充分だろう。
王族の結婚は国同士との結婚であって、決して個々の意志は尊重されない。
レオンは叶わぬ恋に身を焦がしながらも、ルチアの騎士として彼女を守ろうと誓ったのだった。
「ルチア様、踊りませんか?」
楽団が音楽を奏で始めたことに気づいたレオンは、そう言ってルチアの前に右手を差し出した。
「ええ、喜んで。」
ルチアは騎士の手を取り、氷の上を滑るかのような優雅な動きで彼と共に踊り出した。
それを遠巻きに見ていた貴族達も、それぞれのパートナーの手を取って踊り出した。
「わたし達も踊ろうか?」
「うん!」
ガブリエルとアンダルスが踊りの輪に加わった時、アンダルスはちらりと大広間の隅に陣取っている貴婦人達の方を見ると、彼女達はちらちらと何かを見ていた。
「どうした?」
「別に。それよりも、今口を歪めてルチア様達を睨んでいる奴は誰?」
アンダルスの言葉にガブリエルが辺りを見渡すと、壁に身体を預けた軍服姿の少年が、恨めしそうにルチア達を見ていることに気づいた。
(不味い事になりそうだな・・)
「さぁな。」
嫌な予感を振り払うかのように、ガブリエルはアンダルスと再び踊り始めた。
「どうなさったの、お兄様?」
キャラメル色の巻き毛を揺らしながら自分を怪訝そうに見つめる妹姫を、エステア王国第一王子・アレクサンドリアはじろりと睨んだ。
「ルチア王女と踊っている奴は何処のどいつなんだ?」
「さぁ、知りませんわ。ねぇお兄様、そんな所に突っ立ってないで踊りましょうよ。」
自分の手を引こうとする妹姫のそれを、アレクサンドリアは邪険に払いのけた。
「俺はルチア王女と踊るんだ。お前は誰かを誘えばいい。」
「もういいわ、お兄様の意地悪。」
頬を膨らませながら、妹姫は兄から離れた。
「ふん、いつまで経っても餓鬼なんだから・・」
溜息を吐いたアレクサンドリアは、退屈そうにしながらラヴェンダー色の双眸を黒髪の王女へと向けた。
ルチアはこの時、アレクサンドリアが自分を見つめていたこと、彼が結婚相手であることをまだ知らずにいた。
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