「何でしょうか?」
「トイレの床が汚れてるぞ。もっと丁寧に磨けよ!」
男は歳三に対して横柄な口調でそう言うと、トイレから出て行った。
(なんだ、偉そうに!)
一瞬男を殴ろうかと思った歳三だったが、仕事を失くしたら路頭に迷ってしまう。
「土方さん、あんた今朝、言いかがりをつけられたんだって?」
「篠塚さん・・」
昼休み、篠塚に誘われて近所の蕎麦屋で昼食を取った歳三は、蕎麦を食べながら思わず彼を見た。
「いつ知ったんだって顔してるな。まぁこの仕事やってりゃぁ、嫌な事ばっかりあるさ。けどよぉ、生活の為なら我慢しないといけねぇことは沢山ある。お前ぇだって息子の為に我慢したんだろ?」
「ええ。俺ぁ息子とは長い間会ってなかったんですよ。別れた女房に任せっきりで、父親らしいことをひとつもしてねぇんです。それでもあいつはぁ俺のこと慕ってくれるんですよ。」
歳三はそう言いながら、煙草を吸った。
「まぁ、頑張れよ。」
「はい・・」
篠塚に励まされ、歳三は陸の為にも頑張ろうと思いながら、蕎麦屋から出て行った。
はじめはキツかっただけの仕事だったが、身体が慣れて来ると徐々に要領よく仕事ができるようになった。
「土方さん、はいこれ。余ったからあげるわね。」
「すいません。」
職場の同僚とも仲良くなり、おばさん達からは時々菓子のお裾わけを貰ったりしていた。
「ねぇ土方さん、もうすぐ息子さん中学の入学式なんですって?」
「ええ。公立でも、制服と体操服代が高くて・・これからどうしようかと思いましてね。」
同僚の江藤さんと歳三が話していると、事務所のドアが開き、篠塚と社長の江田が入って来た。
「土方さん、ちょっと。」
「はい、何でしょうか?」
「実はねぇ、この前取引先から苦情が来たんだよ。何でも君が、社員に対して生意気な態度を取ったとかで・・」
江田の言葉を聞きながら、歳三の脳裏には数日前男子トイレで言いかがりをつけてきたブランドスーツ男の顔が浮かんだ。
「土方さんはきちんと仕事してますし、社員の方に対しても礼儀正しいですよ。一体どういう苦情なんですか?」
「それがだねぇ・・君が、臭いと。」
「社長さん、俺ぁ毎日風呂入ってますがね。それに身だしなみには気ぃ使ってるんですが。」
「とにかく、一緒に来てくれないか?」
「わかりました。」
数分後、社長と共に取引先へと向かうと、そこにはあのブランドスーツ男が待っていた。
「初めまして、海外事業部主任の蔵内です。本日はお忙しい中来ていただきありがとうございます。」
「いえいえ、こちらこそ・・それよりも、うちの社員に言いたい事があるとかで・・」
江田はそう言いながらブランドスーツ男を見ると、彼は眼鏡のフレームを調整すると歳三を見た。
「実はですね、お宅の社員が煙草を吸っているのを見たという報告を受けたんですよ。」
「うちの社員には、煙草は休憩時間内にと言い聞かせてますよ。」
「そうですか・・どうやらこちらの勘違いのようだったようですね。では、お帰り下さい。」
「は、はぁ・・」
歳三達は若干戸惑いながらも、蔵内のオフィスを後にした。
「社長、すいません。俺の所為で・・」
「謝るなよ、歳。誰だって間違いはあるもんだよ。さてと、気を取り直して仕事頑張ろうか!」
江田はそう言うと、歳三の肩を叩いた。
「ただいま。」
「お父さん、お帰りなさい。」
その日の夜、歳三が疲れた身体を引き摺りながらホテルへと戻ると、陸が読んでいた本から顔を上げ、彼に駆け寄ってきた。
「お仕事、どうだった?」
「今日も忙しかったぜ。それよりも陸、ちゃんと風呂入ったか?」
「うん。ねぇお父さん、入学式には来てくれるよね?」
「ああ、勿論だ。」
数日後、歳三はスーツを着て中学の入学式に出席した。
「良く似合ってるぞ、陸。」
「そうかなぁ?だってブカブカじゃん。」
「すぐにデカくなるから、心配すんな。それよりも、勉強頑張れよ。」
「わかった。」
陸が中学生となり、ホテル暮らしは何かと金がかかるので、歳三は休みの日を利用して不動産屋を回り、二人で暮らせるアパートを探していた。
「陸、気に入ったか?」
「うん!」
苦労した末に歳三が見つけたのは、隅田川沿いのアパートだった。
近くに安い銭湯があり、風呂がなくても気にしなかった。
「お父さん、これからずっと二人で暮らせるね。」
「ああ。お前の弁当、毎日作ってやるからよ。」
「そんな、無理しなくてもいいよ。お仕事で疲れてるのに。」
「コンビニ弁当はもう飽きただろ?」
銭湯の脱衣所で服を脱ぎながら歳三が陸と話していると、誰かに肩を叩かれた。
「久しぶりだね、土方さん。」
「誰かと思ったら東さんじゃねぇか?こんな所でのんびりしてる暇はねぇんじゃねのか?」
「その事で、君と話がある。」
東弁護士はそう言って歳三を見た。
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