「いやぁ、綺麗な着物やわぁ。」
「そうどすやろ?お母さんの代からの知り合いの職人さんが、うちの為に染めてくれはったんえ。」
篠華真那美は、自分の部屋の衣紋掛けに掛けられた紋付の豪華な振袖を誇らしげに見ながらそう言ってクラスメイトの方へと向き直った。
「お店出しの時に、これを着るん?」
「そうえ。お店出しの時は、鼈甲の櫛と簪を挿して、お世話になっている屋形さんに挨拶に行くんえ。」
「えらい高そうな着物やなぁ、幾らするん?」
「そんなんわからへん。」
真那美はそう言うと、再び振袖を見た。
この振袖は、自分が舞妓としてのデビューする「店出し」の時に纏うものであり、その価値がどんな物なのかは知らないが、今までの苦労を思えば、値段を知っても意味がないと彼女は思っていた。
この世には、金がつけられないほどの価値のあるものが沢山ある。
「ほな、また来るわ。」
「じゃぁ、また明日。」
「おやおや、君達の声をもっと聞きたかったのに、残念だね。」
台所から声が聞こえたので真那美が背後を振り向くと、そこには篠華家の下宿人・槇がふかし芋を持って立っていた。
「吹かし芋やぁ。」
「まだ夕ご飯の時間には早いだろうと思ってね。」
「おおきに、槇さん。」
「いえいえ。」
リビングで吹かし芋を食べながら、真那美はさっきクラスメイトに店出しの時に着る振袖を見せた事を槇に話した。
「もうそろそろ店出しする時期か・・ここまで良く頑張って来たね、真那美ちゃん。」
「おおきに。」
「週末限定とはいえ、学校に通いながら舞や鳴り物の稽古は大変だったろう?」
「そうでもありまへん。舞は小さい時から叔父様から習い始めてますし、鳴り物もその頃から習ってますさかい、お稽古する時が一番楽しいんどす。」
「そうか・・やっぱり真那美ちゃんは舞妓に向いているんだねぇ。今まで舞妓になりたいって子が祇園に来たけれど、半年足らずで仕込みを辞めてしまった子が多かったねぇ。」
仕込みとは、半年から一年の間に置屋で住み込み、舞や鳴り物の稽古をしながら、姉舞妓・芸妓の身の周りの世話などをする舞妓見習いの少女の事である。
舞妓に憧れを抱いて祇園に来た少女達の多くは、厳しい現実に打ちのめされて祇園から去っていく。
「まぁ、厳しい世界で生き残るんは、ほんの一握りの方だけどす。うちかて、何度辞めようかと思うたか・・」
「わたしも、君がどんな苦労をしてきたのか知ってるよ。苦労してきたことは無駄じゃなかったね、これからも頑張りなさい。」
「へぇ・・」
「華凛さんは何て?」
「叔父様は、“頑張れ”とだけ言うてくれました。」
「華凛さんと君は、言葉を交わさなくても通じ合う関係だからね。」
真那美の叔父・華凛は大学を卒業後、東京の大手建設会社に勤務している。
最近は大きなプロジェクトを抱えている為、京都に帰って来るのは月に1回くらいしかない。
実の両親が交通事故で他界し、生後間もない自分を育ててくれた華凛に対して真那美は感謝と畏敬の念を抱いていた。
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Last updated
2013.09.24 08:28:10
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