千尋が為三郎を母親の元へと送り届けて部屋に戻ろうとしたとき、中庭の方から怒声が聞こえた。
「一体これはどういうこった!?」
「落ち着け、トシ。そう怒鳴っても何の解決にはならんだろう?」
何だろうと思いながら千尋がそっと中庭の方を見ると、そこには二人の男達が立っており、さらに彼らの前には一人の男が土下座していた。
「今更江戸に帰るだと!?理由を言え、理由を!」
長身で長い黒髪を背中で一括りにしている色白の男が、怒りで頬を赤く染めながら土下座している男にそう詰め寄ると、彼は悲鳴を上げて色白の男から後ずさった。
「こら、逃げるんじゃねぇ!」
「トシ、俺があとで言って聞かせるから、今日のところはこれくらいにしてやってくれないか?」
「まったく、あんたは甘ぇよ!」
色白の男は、顔が大きい男にそう言って舌打ちした。
その時、千尋と男の目が合った。
「おい、何見ていやがる?」
「申し訳ございません、中庭で声が聞こえたものですから、どうしたのだろうと思いまして・・」
「お前ぇには関係のねぇことだ、さっさと失せろ。」
「トシ、やめないか。済まないね、今トシは機嫌が大層悪いんだ。わたしに免じて許してやってくれ。」
「わかりました。ではわたくしは、これで失礼いたします。」
千尋がそう言って男達に頭を下げ、部屋に入ると、そこには先客が居た。
「君が、荻野千尋君?」
「はい、そうですが・・あなたは?」
「はじめまして、わたしは沖田総司。土方さんと一緒に試衛館のみんなと江戸から来たんだ。」
「沖田様、何故わたくしの名をご存じなのですか?」
「さっき、為坊から君の話を聞いてね。」
「為三郎君とはお知り合いなのですか?」
「まあね。」
「沖田様、さっき中庭で騒ぎがあったようですが・・」
「ああ、あれ?土方さん、最近ピリピリしているから、余り気にしなくていいよ。」
「そうですか・・」
「荻野君は、何処の生まれなの?」
「わたくしは、京で生まれましたが、病で母が亡くなり、父が居る江戸に長い間住んでおりました。」
「ふぅん、そうなんだ。君は不思議な色の瞳と髪をしているね。」
「よく言われます。」
総司と打ち解けた千尋は、彼と互いの家族の事を話した。
「わたしには、二人の姉が居てね。年が離れた姉たちは、わたしの事を本当に可愛がってくれていたんだ。」
「そうですか。わたくしには二人の兄が居りますが、わたくしに優しくしてくれたのは、上の兄だけでした。」
総司に家族の事を話しながら、千尋は江戸に居る道貴の事を想った。
「わたくしは、父が京の芸妓に産ませた妾の子なのです。母が亡くなった後、父の元に引き取られたわたくしは、義理の母から息子として扱われたことなど一度もありませんでした。」
「そうか・・君も色々と辛い目に遭ってきたんだね。わたしだって、家の事情で9つの時に試衛館の内弟子として入門して、いつも兄弟子達やおかみさんから虐められていたよ。」
「まぁ、それは何故ですか?」
「内弟子といっても、使用人のような扱いだし、それに近藤さんにわたしが可愛がられているのを兄弟子達は快く思っていなかったんじゃないかな。今ではそんな風に思えるけれど、入門したばかりの頃は辛いことが多くて、家に帰りたいと何度思った事か。」
「そうですか・・」
「今は、わたしは一人じゃないから幸せだよ。」
総司がそう言って千尋に優しく微笑んだ時、二人の元にあの色白の男がやって来た。
「総司、近藤さんが呼んでる。」
「わかりました、すぐ行きます。」
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