「おい、そんな所に隠れていないで出てきやがれ!」
非常用の斧で輝政の部屋のドアを壊し始めた小春がそう怒鳴ると、部屋の中から夜着姿の太った男が出て来た。
「輝義、一体これは何の騒ぎだ?」
「父上、申し訳ありません。」
「あんた、あたし達乗客を犯人扱いしておいて、謝罪も何もないのかい! 客商売で、そんなことが許されると思っているのかい!」
「輝義、何だこの女は! 早く摘まみだせ!」
輝義は怒りで顔を赤く染めながら、小春を睨みつけた。
「うちの者が大変失礼な事をしてしまい、申し訳ありませんでした。どうかわたくしに免じてこの者をお許しくださいませ。」
「貴様、何者だ? 身なりからすると士族のようだが・・」
「いいえ、昔は侍でしたが、今は三味線や箏を娘達に教えております。この船に乗りましたのは、欧州へ向かう為です。」
「そうか。」
「父上、今回の騒動は父上の勘違いが原因です。明日改めて乗客の皆様に謝罪なさってくれませんか?」
「わかった、そうする。」
輝義の言葉に渋々頷いた輝政は、小春と優駿の方を睨むと、再び部屋の中へと戻っていった。
「お騒がせしてしまって、申し訳ありませんでした。どうかお部屋にお戻りになってください。」
「でも・・」
「小春さん、彼の言う通りにした方がいい。」
「わかったよ。」
盗難事件が発生した次の日、輝政は大広間に乗客達を集め、自分の勘違いが原因で騒動を起こしてしまったことを乗客達に謝罪した。
「本当に申し訳ございませんでした!」
輝政は乗客達に向かってそう叫ぶと、彼らの前で土下座した。
「騒ぎが収まってよかったですね。」
「まぁな。」
セヴァストポリの港を出港した『飛鳳丸』は、次の目的地であるヴェネツィアへと向かった。
「ヴェネツィアは、良い街だねぇ。セヴァストポリも良い街だったけれど、海の上に浮かぶ街ってのは初めてだねぇ。」
「そうですね。」
ヴェネツィアの街を散策していた環達は、近くのカフェで昼食を取り、『飛鳳丸』へと戻った。
ヴェネツィアまでの航海は、順調そのものであった。
しかし、ヴェネツィアを出港した後、『飛鳳丸』は激しい嵐に遭った。
「あたし達は、ここで死んじまうのかい?」
「大丈夫だ、わたし達は助かる。」
優駿は懐の中からロザリオを取り出すと、一心に祈り始めた。
「皆さん、早く避難してください!」
船員達に誘導され、乗客達はデッキに集められた。
「見ろ、船が沈んでいくぞ!」
ボードに乗った環達が乗客の声に気づいて振り向くと、暗い海の中へと沈みゆく『飛鳳丸』が稲光に照らされて見えた。
(もし避難するのが遅かったら、わたし達は船と共に沈んでいたかもしれない。)
命からがら嵐の海から逃げ出した『飛鳳丸』の乗員や乗客達は、近くを通りかかった英国船籍の客船に救助された。
「師匠、わたし達はこれからどうなるのでしょう?」
「わからない。だが進むしかない。」
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