『晩餐会は深夜まで続くから、お前達は先に部屋に戻って休んでいろ。』
『解りました。それでは、お休みなさい。』
『おやすみ。』
ルドルフはそう言うと、環の頬に軽くキスした。
『これで、失礼します!』
顔を羞恥で赤く染めた環は、小春と共に大広間から出て行った。
「全く、油断も隙もありゃしないね、あの女たらし!」
「姐さん、抑えてください。」
「まあ、あの貴族達の鼻を明かせてよかったよ。人を珍獣のようにジロジロと無遠慮に見やがって。」
小春の言葉に、環は静かに頷いた。
欧州に来てから、道行く人々が自分達を見る目が蔑みを含んでいることに気づいたのは、船から降りた時だった。
かつて黒船に乗って開国を要求したペリーという米国人の提督を天狗のように描き、西洋人達を鬼のように恐れていた自分達と同じように、彼らは日本髪を結い、着物姿の自分達を外国からやって来た珍獣を見るような、好奇と蔑みの視線を送って来た。
彼らにとって、自分達は“異質な存在”でしかないのだろう。
だが、ルドルフは違う。
環の話を静かに耳に傾け、身寄りのない自分達を保護してくれた。
そして、自分達に対して敬意を払ってくれる。
「まぁ、あの人は街で見かけた奴らとは別格だね。人間が出来ているね。」
「ええ。あの方は、晩餐会に居た貴族達よりも偉い御身分の方なのでしょうね。」
「そうだろうね。若い割には落ち着いているし。あたしが丸山のお座敷で会ったお客さんよりも、落ち着いてしっかりとしているよ。まぁ、昼にはきっちりとスーツを着込んでしている殿方が、夜には泥酔して暴れるってのは珍しくないからね。」
「そうですか。」
環は小春とそんな話をしながら廊下を歩いていると、不意に彼は背後から視線を感じた。
「どうしたんだい?」
「いいえ、何でもありません。」
退屈だった晩餐会が漸く終わり、ルドルフは寝室に入るとタイを緩め、ジャケットを脱いで寝台の上に倒れ込んだ。
皇太子の務めとはいえ、自分に媚を売って来る連中や、自分の足元を掬(すく)おうと粗探しをしようとする連中相手に愛想笑いを長時間浮かべるのは正直疲れるものである。
だが、この国の皇太子として生を享けた以上、皇族としての義務は果たさなければならない。
『殿下、起きていらっしゃいますか?』
『入れ。』
寝室に入ったゲオルグは、寝台の上で寛いでいる主に向かって頭を下げた。
『厨房の件では、勝手な事をしてしまい申し訳ありませんでした。』
『済んだことはもういい。何か用か? また父上から見合いを催促する手紙でも届いたのか?』
『ええ。』
『捨てておけ。』
『わかりました。』
ゲオルグは皇帝の手紙を持つと、そのままルドルフの部屋から辞した。
彼に仕えて一月にもならないが、常に冷静沈着で気難しい性格のルドルフが一体何を考えているのかが解らない。
時折自分にはこの仕事が向いていないのではないかと思う。
ゲオルグは溜息を吐きながら、廊下を歩いた。
皇帝の手紙は、捨てずに保存することにした。
翌朝、ルドルフが寝台の中で寝返りを打っていると、ゲオルグが何やら慌てた様子でノックもせずに寝室へ入って来た。
『ノックもせずに入るとは何事だ?』
『殿下、すぐにお召し替えを。皇帝陛下がおいでになりました。』
にほんブログ村