「失敗したとはどういうことだ!?」
ワイングラスが壁に当たり砕け散る音が、部屋に反響した。
「申し訳ございません・・」
「もういい、さがれ。」
怒りをぶつけられた女性は、そそくさと部屋から出て行った。
「全く、使えない女だったな。」
ハインツはそう言うと、メイドを呼んで砕け散ったワイングラスを片付けるよう命じた。
「ハインツ、そんなにカッカッするなよ。」
ハインツの右隣に座っていた青年が、そう言ってへらへらと笑いながら彼を見た。
「お前は呑気でいいな、アルフレッド。」
「それよりも、あの女はどうするつもりだ?もし始末するつもりなら、後で俺の部屋に来るよう伝えておけよ。」
「ああ、わかった。」
ハインツは新しいワイングラスをメイドから受け取ると、その中にワインを注ぎ、それを一気に呷った。
「ハインツ、何であの東洋人の舞姫の事がそんなに気に入らないんだ?あいつがルドルフ様と親しくしているからか?」
「“親しく”なんて気軽に言えるものじゃないさ。遠目から見ても、あの二人の関係は恋人同士そのものだった。」
ハインツは仲睦まじくフロイデナウ競馬場内のレストランに入って来るルドルフと環の姿を脳裏に浮かべながら、唇を噛み締めた。
ルドルフの事を、ハインツは幼少の頃から憧れていた。
自分と同年代でありながら、聡明で美しいハプスブルク家の皇太子に、いつしかハインツは心惹かれていった。
だからその憧れのルドルフ皇太子とワルツを踊った時、ハインツは天にも昇るような気持だった。
しかし自分はルドルフにとっては、外国のその他大勢の貴族にしか過ぎず、ワルツも気紛れで踊っただけだ。
彼―ルドルフが心から愛しているのは、あの黒髪の舞姫だけなのだとハインツが知った時、彼は激しい嫉妬と憎悪の炎に胸を焦がし、彼女を亡き者にしようと企んだ。
ウィーン宮廷に出入りしている女官に金を握らせ、ルドルフとその舞姫の行動を逐一自分に報告させ、毒入りのケーキを舞姫に贈るよう彼女に指示した。
そしてそのケーキを食べ、舞姫が死んだらハインツの計画は成功に終わる筈だった。
しかし、あの憎たらしい舞姫は死ななかった。
「ハインツ、怖い顔をしてお前一体今何を考えているんだ?」
「次の手を考えているのさ。アルフレッド、例の研究は完成しそうか?」
「まだまだ改良する点はありそうだけれど、これから試験を重ねれば、成功するかもしれないな。」
「そうか。実験体の男の様子はどうだ?」
「ピンピンしているさ。脈拍と呼吸に異常はない。ただ、度重なる投薬実験の所為でここが少しおかしくなっているけどな。」
アルフレッドはハインツにそう言った後、自分のこめかみを人差し指で突いた。
「アルフレッド、実験体が使い物にならなかったら、いつものように始末しろ、いいな?」
「ああ、わかったよ。お前はいつも人使いが荒いなぁ。」
アルフレッドは椅子からゆっくりと立ち上がり、コート掛けに掛けてあったコートとマフラーを手に取った。
「じゃぁな。親父さんに宜しく伝えておいてくれ。」
「あぁ、わかった。」
友人が出て行き、一人となったハインツは、ワイングラスの中にある真紅の液体を見つめた。
(あの忌々しい舞姫を殺し、その心臓を刳り抜いてしまおう。今はまだ焦る時ではない・・慎重に動かねば。)
ハインツが再び自分の命を狙っていることなど知らずに、環はルドルフの腕の中で蕩(とろ)けていた。
『お前が女だったら、わたしの子を孕ませられるのに。』
『ルドルフ様、ご冗談でもそのような事をおっしゃるのはおやめください!』
『別にいいだろう、ただお前を抱いていてそう思っただけだ。』
自分の言葉を聞いて赤面する環を見たルドルフは、そう言ってクスクスと笑った。
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