ヨハンが溜息を吐きながらホーフブルク宮の廊下を歩いていると、向こうからフランツ=サルヴァトールが歩いて来た。
『叔父上、気難しい顔をなさってどうなさったのですか?』
『お子様のお前には関係のないこった。それよりも、いつもお前にくっついているあのお転婆娘は何処に行った?』
『ヴァレリーなら、ピアノのレッスンです。叔父上が陛下に呼ばれたのは、ルドルフ兄様の事でしょう?』
『お前、どうしてそれを知っている?』
ヨハンがそう言ってフランツの顔を見ると、幼い甥っ子は聡い目をして彼を見た。
『女官達が色々と噂をしているのを、聞いちゃったんです。ルドルフ兄様と、あの人の事を。』
フランは、環の事をいつも“あの人”と呼んでいた。
それは、彼なりに環の事を認めたくないからだろう。
『ルドルフ兄様は、あの人とどうするつもりなのでしょう?』
『他人の恋愛事に口を突っ込むのは野暮ってものだぜ、フラン。』
『でも・・』
『フラン、こんな所に居たのね!』
向こうから騒がしい足音が聞こえてきたかと思うと、マリア=ヴァレリーが二人の前に現れた。
『ヴァレリー、ピアノのレッスンはまだあるんじゃないの?』
『退屈で、途中で抜け出して来ちゃった。ねえフラン、わたくしと一緒にプラハへ行きましょう!』
『プラハに行ってどうするつもりだい?』
『決まっているじゃない、お兄様とタマキに会いに行くのよ!』
ヴァレリーはそう言ってフランの手を掴むと、そのまま廊下を走り出した。
『お前達、後の事は俺が色々としておくから、さっさと行け!』
『有難うございます、叔父上!』
フランは慌ててヨハンに礼を言い、ヴァレリーと共に王宮から出てプラハへと向かった。
一方、プラハではルドルフと環が聖ヴィトー大聖堂を訪れていた。
ウィーンのシュテファン寺院も美しかったが、聖ヴィトー大聖堂もまた違った美しさがあった。
『綺麗・・』
『いつも同じような感想ばかりだな、お前は。もっと違った事が言えないのか?』
環がそう言って祭壇を飾るステンドグラスを見ていると、ルドルフは少し呆れたような顔を環に向けた。
『綺麗なものを綺麗と正直に言って何が悪いのですか?』
環がルドルフにそう抗議した時、彼によって素早く唇を塞がれてしまった。
『何をなさるのですか!?』
『別に。キスくらいで大袈裟に騒ぐな。』
『ですが・・』
ルドルフの手が自分の腰に回っていることに気づいた環は、ますます頬を羞恥で赤く染めた。
そんな恋人の照れる顔を見つめながら、ルドルフは一瞬ここで彼を押し倒したい衝動に駆られた。
『お兄様~!』
背後から少女の甲高い叫び声が聞こえたかと思うと、ルドルフの腰に軽い衝撃が走った。
『プラハにいらっしゃるなんて、聞いていませんでしたわ!』
『わたしこそ、ウィーンに居る筈のお前が何故プラハに居るのか、その訳を聞いていないぞ、マリア=ヴァレリー?』
『申し訳ありません、ルドルフ兄様。ヴァレリーが、急にルドルフ兄様にお会いしたいと言い出して聞かなくて・・』
『そうか・・ご苦労だったな、フラン。』
『お兄様、わたくしもお兄様と一緒のホテルに泊まりたいわ、いいでしょう?』
『わかったから少し黙ってくれないか?』
マリア=ヴァレリーの言葉にルドルフはうんざりとした口調でそう言うと、彼女の小さな手を握って聖ヴィトー大聖堂から出て行った。
『タマキさん、ルドルフ兄様とはこれからどうなさるおつもりなのですか?』
フランからそう尋ねられ、環が答えに窮していると、聖堂内へと戻ったルドルフが二人の間に割って入った。
『フラン、言葉を慎め。わたし達のことはわたし達で決める、それだけだ。』
『申し訳ありません、ルドルフ兄様。』
『行くぞ、タマキ。』
聖ヴィトー大聖堂を後にした環は、馬車がホテルに到着するまで俯いていた。
『どうしたタマキ、気分が悪いのか?』
『いいえ。少し疲れが溜まっているようです。』
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