エリスが腰を揺らすたびに、彼女の長い黒髪が顔にかかって鬱陶(うっとう)しかった。
『あぁ!』
彼女が身体を仰け反り、絶頂に達したのを見たルドルフは、彼女を自分の上から乱暴に退かせた。
『酷いわ、皇太子様。わたくし、貴方の体調が悪いとお聞きして、こうして看病に参りましたのに。』
『押しかけてきた、の間違いだろう?わたしはしつこい女は嫌いだ。さっさとここから失せろ。』
汗で張り付いた髪を乱暴に払いのけ、こちらを睨みつけるエリスに向かって、ルドルフはそう言って彼女にそっぽを向いた。
『今日はこれで失礼いたしますわ、皇太子様。』
エリスは寝台の端に腰掛けると、ルドルフが首に提げている環の懐剣へと手を伸ばした。
『記念に、このナイフをわたくしに下さいな。』
『お前のような女が、これに気安く触るな。』
ルドルフは寝台の傍に置いていた拳銃を手に取ると、その銃口をエリスに向けた。
『また来ますわ。』
そう言ってエリスはルドルフの髪を梳くと、外套を着て部屋から出て行った。
彼女が去った後、ルドルフは全身の倦怠感に襲われ、そのまま泥のように眠ってしまった。
視察先のプラハでルドルフの元に現地の年若い高級娼婦が毎日やって来ては、彼女と情熱的な時間を過ごしているという事実無根な噂がウィーン中に広まったのは、ルドルフが視察を終えてプラハを発つ当日の事だった。
「皇太子様が、プラハで火遊びとはねえ。」
「以前から、女性の噂は絶えない方だったけれど、プラハ娘がそんなにお気に召したのかしら?」
「何でも、そのプラハ娘は黒髪で、あの舞姫に似ているそうよ。」
市場で買い物をしていた環は、ルドルフと噂のあるプラハ娘の話を偶然聞いてしまい、慌ててその場から立ち去った。
「どうしたんだい、環ちゃん?」
「姐さん、さっき市場に行ったら、ルドルフ様がプラハ娘と深い仲にあるという噂を聞きました。」
「噂は噂だろう?退屈な人間が、面白がって嘘八百を並べているだけさ。」
「そうでしょうか・・」
「皇太子様にとって、件のプラハ娘は単なる遊び相手の一人にしか過ぎないよ。今更そんな女相手にあんたが妬いてどうするんだい?」
「そうですね。」
噂を聞いて気落ちした環をそう言って小春が励ましていると、居間にルドルフが入って来た。
『お帰りなさいませ、ルドルフ様。』
『ただいま、タマキ。』
ルドルフに抱き締められた環は、彼が熱を出していることに気づいた。
『ルドルフ様、お熱がありますね?』
『ただの風邪だ、大したことはない。』
そう言って強がったルドルフだったが、その後彼は苦しそうに咳込んだ。
「姐さん、ルドルフ様をわたしのお部屋に連れて行ってください。」
『皇太子様、こちらへどうぞ。』
小春がルドルフを連れて二階へと上がってゆくのを見送った環は、居間を出て厨房へと向かった。
竈(かまど)に火をつけて鍋に入れた水を沸騰させ、市場で買った野菜を冷水に浸した後、包丁でそれを一口大に切り、それらを鍋に入れて茹でた。
その中に潰したトマトのソースを入れてヘラでよく掻き混ぜた後、環はスープの味見をしてそれを鍋から皿に移した。
『ルドルフ様、失礼いたします。』
『入れ。』
環が寝室に入ると、ルドルフは寝台に横たわり、苦しく咳込んでいた。
『お食事をお持ちいたしました。』
『要らない。』
『滋養のあるスープを作りました。お願いですから、一口だけでもいいので食べてください。』
『・・わかった。』
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