環が浴室で身体を洗っていると、そこへルドルフがやって来た。
『何をしているんだ?』
『見ればわかりませんか?』
『マダム・コハルから、お前が毎日風呂に入っていると聞いて驚いた。お前はそんなに潔癖症だったのかと。』
『潔癖症も何も、わたし達日本人は毎日入浴するのが当たり前です。小春姐さんや師匠だって、渡欧してからも時間があれば髪や身体を洗っていました。』
『今のように温かい季節ならまだしも、冬だと風邪をひかないか?』
『冷たい水で髪を洗った方が、髪に虱(しらみ)が集るよりもマシです。』
環は清潔なタオルで濡れた身体を拭くと、水を張った桶に長い黒髪を浸し、柘植の櫛で梳き始めた。
その時、環の背に残る醜い刀傷をルドルフは見てしまった。
あの時彼が自分を庇ってしまった所為で、彼の美しい肌に醜い傷をつけてしまった。
『タマキ、背中の傷、痕が残ってしまったな。』
『この傷は名誉の負傷です、後ろ傷でも何でもありませんから。』
『“後ろ傷”とは何だ?』
『武士は背に傷を負うと、敵から逃げた卑怯者と言われました。その傷を“後ろ傷”と呼んで恥としておりました。わたしも、幼い頃から敵と戦うときは逃げるなと父から言われて育ちました。』
『サムライの世界は厳しいのだな。だが、そんなサムライの家に育ったお前は、芯が強くて凛々しい。』
『有難うございます。』
環はそう言ってルドルフに微笑むと、彼の唇を塞いだ。
『昨夜は娼館でお楽しみだったようですね?』
『何故分かった?』
『さっき貴方とキスをした時、微かに香水と白粉の匂いがしました。』
ルドルフは背中にどっと汗が流れるのを感じながら、環にどう弁解すべきかどうか迷っていた。
『タマキ、わたしは・・』
『貴方の物を切り取りはしませんから、安心してください。』
環は自分に怯えるルドルフにそう言って笑うと、彼に抱きついた。
『貴方が気晴らしの為に娼館に行く時は、必ずヨハン大公様がご一緒だと知っておりますから。』
『そんなことを、誰から知った?』
『貴方と付き合い始めてから、ゲオルグさんに色々と教えて頂きました。』
『優秀な侍従を持つと、困るものだな。』
ルドルフは溜息を吐くと、近くに置いてあったタオルで環の濡れた髪を優しく拭いた。
『昨夜、あいつの弟が自分に恋人が出来ないことを嘆いていたから、大公と一緒に行きつけの娼館で女を抱いて来たんだ。』
『それで、エルンストさんに恋人は出来たのですか?』
環の言葉に、ルドルフは首を横に振った。
『自分の隣で娼婦が寝ていることに気づいたあいつは、素っ頓狂な叫び声を上げた後、逃げるように娼館から出て行った。全く、同じ血を分けた兄弟でもあんなに性格が違うのかと、呆れてしまったよ。』
『ゲオルグさんは、ルドルフ様と娼館へお供するとき、どんな顔を為さっていたのです?』
『何も言わずに、ただ“余り羽目をお外しにならないでくださいね”とだけ釘を刺して、わたしが娼婦としけ込んでいる間、外で見張りをしていたさ。』
ルドルフの話を聞き、環の脳裏に娼館の外で見張りをしているゲオルグの仏頂面が浮かび、思わず環は噴き出してしまった。
『どうした?』
『いいえ、何でもありません。さてと、もう服を着ないと。』
『つれないな。ここでするのもいいじゃないか。』
『いけません。』
自分の胸を執拗に愛撫するルドルフの手をそっと払い除け、環は浴衣を着て浴室から出た。
「随分と長い風呂だったねぇ?」
「もう姐さん、揶揄わないでくださいよ。」
「さっさとそこに座りな。」
「はぁい。」
小春に髪を結って貰いながら、環はまた新しい一日が始まる気がした。
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