1881年5月10日、ルドルフはベルギー王女・シュティファニーと華燭の典を挙げた。
ベルギーからやって来た皇太子妃をウィーン宮廷は、表向きは歓迎していたが、それはシュティファニー王女を気に入っている皇帝の手前、そうするしか他になかったからであった。
二人の結婚を喜んでいるのはフランツ=カール=ヨーゼフ帝だけで、彼の妻である皇妃エリザベートは頑として二人の結婚を反対し、二人の次女であるジゼルも、そしてエリザベートに溺愛されて育った三女のマリア=ヴァレリーも、新たに家族の一員となる幼い王女に対して冷たい視線を向けていた。
だがその視線に気づくこともせず、シュティファニー王女は、父・レオポルド2世と腕を組み、ヴァージン・ロードを歩むと、祭壇の前で夫となるルドルフと並んで立った。
薄化粧を施され、豪華な花嫁衣装に身を包んでいたシュティファニーは、時折ルドルフの方を見ては嬉しそうに笑っていたが、ルドルフは彼女に微笑む事さえしなかった。
神の下で誓いを交わした皇太子夫妻は、ホーフブルク宮殿で自分達の結婚を祝う夜会に出席した。
そこには各国の王族達や貴族達、そして日本の華族達が出席し、オーストリアの皇太子夫妻の人生の門出を祝っていた。
『ルドルフ、とうとう人生の墓場に入っちまったな、ご愁傷様。』
『大公、それは嫌味か?』
ヨハンとそんな話をルドルフがしていると、大広間の入り口が一瞬ざわめいた。
二人が入り口の方を見ると、そこには鮮やかな真紅の振袖を着た環が彼らの方に向かってやって来るところだった。
『ルドルフ様、本日はご成婚おめでとうございます。』
環がそう言ってルドルフに挨拶すると、彼は一瞬その美しさに見惚れ、言葉を失った。
『ルドルフ様、どうされましたか?』
『いや、お前が余りにも美しいから見惚れてしまった。』
『まぁ、相変わらずお世辞がお上手ですこと。わたしに見惚れていらっしゃるなんて、皇太子妃様に悪いとは思いませんか?』
環は背後にシュティファニー王女の視線を感じながらルドルフにそんな事を言うと、彼は環の言葉を鼻で笑った。
『こんなつまらない事で妬くシュティファニーではないよ。』
『まぁ、それは良かったこと。』
『それにしても、何故今夜はキモノを着ているんだ?』
『こういったお席では、未婚の娘は振袖を着るのが我が国のしきたりなのです。柄が少し派手過ぎましたか?』
『いや、お前の黒髪の美しさが際立って良く似合っている。』
『有難うございます。』
『あの方は、どなた?』
ヨハン大公の隣で夫となったルドルフと話をしている振り袖姿の少女を指し、シュティファニーは傍に控えている女官にそう尋ねると、彼女は一瞬躊躇った後、シュティファニーにこう言った。
『あれはタマキ様といって、皇太子様付の女官です。皇太子様とはよく親しくされていらっしゃるとか。』
『そう・・』
シュティファニーはそう言うと、再度少女の方を見た。
彼女の隣に立っている夫は、始終リラックスした表情を浮かべている。
少女が一介の皇太子付の女官ではないことくらい、恋愛に疎いシュティファニーでも解った。
そして、夫が自分ではなくあの少女の事を本当に愛していることに、シュティファニーは気づいた。
夜会に出席した皇太子夫妻は、ホーフブルク宮殿から、馬車でラクセンブルク宮殿へと向かった。
そこで初めて、彼らは夫婦二人だけの夜を過ごすことになっていた。
だが、新婚でありながらルドルフとシュティファニーの間に漂う気まずい空気は、シュティファニーが先に寝室に入った後も変わりはしなかった。
『皇太子妃様、皇太子様がお見えです。』
寝室に入ったルドルフが自分に向ける眼差しは、氷のように冷たかった。
『皇太子様?』
緊張の所為で声が上ずり、彼の視線の冷たさにシュティファニーは恐怖で震えた。
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