1886年6月13日、バイエルン国王ルートヴィヒ2世は、シュタルンベルク湖で侍医・グッデンと共に水死体となって発見された。
謎めいた国王の死に、国民達は嘆き悲しんだ。
ルートヴィヒ2世と生前親交があったルドルフの母・エリザベート皇妃は、その死の精神病が原因であるという噂について、“彼は精神病ではありません。”と頑なに否定した。
ルートヴィヒ2世の葬儀に、ルドルフはエリザベートと妹マリア=ヴァレリーとともに参列していた。
『お兄様?』
『何でもない。あの人の様子はどうだ?』
『お母様はとてもショックを受けていらっしゃるわ。』
『そうか・・』
ルドルフは妹から窓の外に広がるシュタルンベルク湖へと視線を移した。
そして、彼と初めて会った日の事を思い出した。
あれは、ルドルフが15歳の時、初めて母と共にバイエルンへ行った時だった。
『君が、エリザベートの息子か。』
美しい装飾に施されたソファに座ったルートヴィヒは、均整の取れた美しい身体を軍服に包み、蒼い瞳でルドルフを見つめていた。
『その瞳はハプスブルクのものだが、君の気質や美貌はエリザベートに似ているね。』
『あの人に、わたしが似ている?』
『ああ。エリザベートがオーストリアに嫁ぐ時、何かあればバイエルンに気晴らしに来て欲しいと言ったよ。』
ルートヴィヒはそう言って、ルドルフの頬を優しく撫でた。
『何か悩んだ時は、バイエルンに来るといい。力になってあげよう。』
『有難うございます。』
それが、ルドルフがルートヴィヒと出逢った日だった。
それ以来、ルドルフは彼とは暫くの間文通をしていたものの、いつの間にか疎遠となり、ルートヴィヒの弟・オットーが狂気に囚われてしまったことにより、ルートヴィヒもまた精神を病んだという話を風の噂に聞いた。
シュタルンベルク湖の蒼い湖面を窓から眺めながら、いつか自分も彼と同じ狂気に囚われてしまうのではないかという恐怖にルドルフは襲われた。
『お兄様、もうすぐ葬儀が始まりますわ。』
『・・解った。』
妹の声に我に返ったルドルフは、窓から離れ、部屋から出て行った。
一方、ウィーン市内の自宅で環が久しぶりにルドルフから贈られた会津桐の箏を奏でていると、そこへ春が居間に入って来た。
「そのお箏、素敵ですね。皇太子様からの贈り物ですか?」
「ええ。暫く弾いていなかったのだけれど、やっぱり会津桐の箏は音がいいわ。」
「そういえば環様は、会津の出身なのですよね?故郷の桐を使ったお箏が、環様の指に馴染んでいらっしゃるから、良い音が出るのかしら?」
「わたしには、故郷の記憶はないの。」
「すいません、わたしったら無神経な事を・・」
「いいのよ、気にしていないし。それよりもお春ちゃん、今日は遅くなっても大丈夫なの?」
「はい。それよりもバイエルンの国王様がお亡くなりになられたなんて・・しかも、湖で自殺されたとか・・」
「ルートヴィヒ様の死が自殺なのか、それともグッデンに殺されたのか、真相が解っていないわ。無責任な噂を流しては駄目よ。」
「はい、解りました。」
「そろそろ小春姐さんが帰ってくる頃だから、お昼ご飯の支度をお願いね。」
「解りました、では失礼いたします。」
春が居間から出て厨房へと向かおうとした時、ドアの硝子窓に人影が映っているのが見えた。
「どちら様ですか?」
春がそう声を掛けると、ドアの前に立っていた不審者は慌ててそこから立ち去っていった。
(変な人ね・・)
その時、春はその不審者の事を余り気にも留めなかった。
だが、不審者は翌日から屋敷の前で中を窺う様な行動を取り、春はその不審者の事を環に報告した後、警察に通報した。
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