幸が妊娠し、女学校を退学処分となったことは、すぐさま彼女の婚約者である松阪信孝の耳にも入った。
「誰の子だ?俺以外の男に抱かれたんだろう、このあばずれめ!」
「違います、お腹の子は貴方の子です!」
「嘘を吐け!」
激昂した信孝は、そう言うと幸の頬を拳で殴った。
悲鳴を上げて床に倒れ込んだ彼女の上に馬乗りになった信孝は、更に彼女を拳で殴った。
「眞一郎坊様・・」
「幸ちゃんは何処だい、滝さん?」
「幸お嬢様なら、ご自分のお部屋で信孝様とお会いに・・」
幸の乳母・滝がそう言った時、二階から幸の悲鳴が聞こえた。
「ちょっと失礼するよ。」
「お待ちください、眞一郎様!幸お嬢様は誰ともお会いになれないと・・」
眞一郎は滝を振り切り、幸の部屋に入ると、そこには信孝に殴られ気絶している彼女の姿があった。
「しっかりするんだ、幸ちゃん!」
「眞一郎様、助けて・・」
「お医者様を呼んで参ります!」
眞一郎は、自分の腕に抱かれている幸の顔を見た。
信孝によって殴られ、彼女の美しい顔は変形し、青あざが出来ていた。
「幸ちゃんに酷い目を遭わせたのは、お前だな?」
「この女がいけないんだ、俺を裏切って他の男と・・」
「黙れ!」
眞一郎は信孝を睨みつけると、彼の頬を拳で殴った。
「お前の事は絶対に許さない!」
「よくもこの俺に暴力を振るったな!」
眞一郎と信孝が互いに睨み合っていると、そこへ幸の主治医である大宮医師が部屋に入って来た。
「二人とも、暫く部屋から出て行きなさい。患者の前で喧嘩は止すんだね。」
「ですが先生、こいつが幸ちゃんに暴力を振るったのですよ!」
「君の話は後で聞こう、眞一郎君。」
大宮医師はそう言うと、幸の部屋に入っていった。
「酷いね・・信孝君に暴力を振るわれたのは、これが初めてなのかい?」
「いいえ。結納を交わしてから、何度も彼から暴力を振るわれました。お前なんか金で買われた女中なのだから俺の言う事に黙って従えと・・」
幸はそう言うと、溢れる涙をハンカチで拭った。
「幸ちゃん、辛いことがあったら何でもわたしに打ち明けてもいいんだよ?」
「先生、今からわたしが言う事は秘密にしてくださいますか?」
「ああ。」
幸は、大宮医師にお腹の子の父親の名を告げた。
「それは、本当なのかい?」
「はい。」
「お腹の子は、産むつもりだね?」
「先生、お願いです・・どうかこの事は・・」
「わたしは何も聞かなかった事にしよう。それよりも幸ちゃん、君はこのまま信孝君と結婚するつもりなのか?」
「家を救う為ですもの、仕方ありませんわ。」
「君がそう言うのなら、わたしは止めないよ。ただ、これだけは覚えておいて欲しいんだ。どんなに辛い事があっても、決して一人で抱え込まないで欲しい。」
「解りました。」
環と美千代は幸の婚約披露パーティーに出席したが、そこに幸の姿はなかった。
「幸さん、どうなさったのかしら?」
「何でも、体調が優れないとかで欠席為さったそうよ。」
「そう・・」
パーティーの主役である幸が欠席した理由は、体調不良だけではないと、環は勘で解った。
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