『さっきはどうしてあんなに急いで何処に向かおうとしていたのですか?』
『郵便局へ手紙を出しに・・横浜の義母から、父が過労で倒れたという手紙が届きまして、すぐに戻るという返事を書いて、その手紙を郵便局に出すつもりでした。』
『お父様の事が心配で堪らないのは解りますが、急いで貴方が事故にでも遭ったという事を知ったら、貴方のご両親は心配なさるはずです。』
『助けてくださって有難うございます、アレクシス様。』
『いえ、わたしは当然の事をしたまでです。郵便局までお送りいたしましょう。』
アレクシスはそう言うと、菊を郵便局まで送った。
『では、わたしはこれで失礼いたします。』
『さようなら、アレクシス様。』
日本宛ての手紙を送った菊が郵便局から出ようとした時、長身の女性が自分の方へとやって来るのが見えた。
『貴方が、キクさん?』
『はい、そうですが・・貴方は?』
『初めまして。わたしはアレクシスの姉の、リザーと申します。ここで立ち話も何ですから、何処かでお話しませんか?』
『はい、解りました。』
郵便局から出た菊は、アレクシスの姉・リザーと共に近くのカフェへと入った。
『弟から、貴方のお話は聞いておりますわ。何でも貴方のお父様は、横浜で貿易商をなさっておられるとか?』
『ええ。』
『アレクシスは、自分の母親の事をどう貴方に話されたのですか?』
『噂では母親はインドの王女だと言われているけれど、本当はロマ出身で、アレクシス様を出産されて亡くなったという話を聞きました。』
『そうですか。あの子の母親の事は、我が家の禁句となっておりますから、あの子もそのような作り話を貴方に為さったのですね。』
『それは一体、どういう意味ですか?』
『あの子の母親は、あの子を産んですぐに精神を病んでしまって、今は精神病院に居るの。』
『精神病院に?』
リザーは溜息を吐き、コーヒーを一口飲んだ後、菊を見た。
『あの子の母親は、産後鬱になってしまったようなの。それをあの子とわたしが知ったのは、つい最近の事よ。』
『そんな大事な話を、何故わたしに為さるのです?』
『弟が人生の伴侶と決めた女性に、真実を告げることは姉であるわたしの務めだと思ったからよ。』
リザーは磨き上げられた美しいアメジストのような瞳で菊を見た。
『アレクシス様のお母様は、どちらに入院されていらっしゃるのですか?』
『申し訳ないけれど、それはわたしも知らないの。わたしはこれで失礼するわ。』
リザーは颯爽と椅子から立ち上がり、伝票を掴むとカフェから出て行った。
その日の夜、菊の元に一通の手紙が届いた。
『差出人の名前がないわね。一体誰からかしら?』
『さぁ・・開けて御覧なさいよ。』
マリアにそう促され、菊が手紙を開けてみると、中にはエメラルドの指輪が入っていた。
“この手紙を持って、学生会館へ来て欲しい ―A―”
一行だけの短い手紙―それだけで、菊は誰が手紙の差出人なのか解った。
『マリア、少し出掛けて来るわ。』
『こんな時間に何処へ行くのよ?』
『すぐに帰るから、心配しないで。』
菊が手紙と指輪を掴んで部屋から出ると、学生会館へと向かった。
そこには、誰も居なかった。
(来るのが遅かったかしら・・)
菊がそう思って寮の部屋へと戻ろうとした時、彼女は誰かに肩を叩かれた。
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