アーニャの言葉に、ルドルフは一瞬虚を突かれたかのような表情を浮かべた。
「わたしは、貴方の子を産みたくありません。」
アーニャはそう言うと、部屋を出ようとしたが、ルドルフに腕を掴まれ、再び彼の元へ引き戻された。
「やめて、何をするの!」
「乱暴な事はしない。ただ、その格好だと外を歩くのは無理だろう?」
ルドルフからそう言われたアーニャは、自分が着ているワンピースが血と白い染みで汚れている事に気づいた。
「この屋敷には、わたしの事を快く思わない者も居る。そんな者が、君が汚れたワンピースを着てわたしの部屋から出て来たらどんな反応をするか・・君にだってそれくらいの事、想像できるだろう?」
ルドルフの言葉に、アーニャは静かに頷き、汚れたワンピースを脱いで浴室で身体を洗った。
自分の陰部に指を入れ、中を掻き回すと、血と白いものが混ざった液体が出て来た。
それを見た瞬間、アーニャは嗚咽した。
浴室からアーニャの泣き声が聞こえてくることに気づいたルドルフは、彼女を激情に駆られて抱いてしまった事を後悔していた。
“貴方は母の娘であるわたしを、母の代わりに愛そうとしているのでしょう?”
アーニャからそう問い詰められ、ルドルフは答える事が出来なかった。
彼女を引き取ったのは、かつて愛を交わしたヘレーネの血を受け継いだ娘だからだ。
ヘレーネを抱いた事は、今は亡き皇太后・ゾフィーの意向でそうした為であり、皇太子としての義務を果たす為に行った事であった。
しかし、そのヘレーネが自分の子を身籠って婚約者である男性と結婚したことを知ったルドルフは、初めて嫉妬の感情をその婚約者―ユリウスに抱いたのだった。
ヘレーネがもしシュティファニーと同じような身分―王族であったのだったらルドルフはすぐさま彼女を妻として迎えたが、彼女は一介の、身分の低い女官だった。
結婚した女官は退職することがウィーン宮廷における暗黙の掟であった。
ヘレーネはルドルフに妊娠を告げず、予定通りにユリウスと結婚した。
ルドルフはヘレーネが出産し、その子供が何者かに攫(さら)われ、行方不明になっているという情報をアッヘンバッハ子爵家の使用人から得て、その子供の消息を15年間追い続けて来た。
そして漸く、ルドルフはその子供―アーニャを発見した。
あのロマの集落で、アーニャを一目見た時、彼女は自分の娘に間違いないとルドルフは直感で解った。
そしてルドルフは、アーニャに自分の子供を産ませる事を決めた。
実の親子間で肉体関係を持ち、子供を儲けるなど、人の道から外れている許し難い行為である事は解っているが、ルドルフはかつて恋い焦がれていたヘレーネへの叶わなかった想いを、アーニャで果たそうとしていた。
その結果、アーニャを深く傷つけてしまった。
ルドルフが溜息を吐きながらブロンドの髪を掻き毟(むし)っていると、誰かが私室のドアをノックする音が聞こえた。
「ルドルフ様、ロシェクです。」
「入れ。」
「では、失礼いたします。」
私室に入ったロシェクは、何処か所在なさげな表情を浮かべていた。
「どうした、何かあったのか?」
「皇帝陛下がこちらにいらっしゃいました。陛下は、アーニャ様に会わせろと申しておりまして・・」
「解った、すぐ行くと陛下にお伝えしろ。」
ロシェクが私室から出て行った後、ルドルフは浴室のドアをノックした。
「アーニャ、入ってもいいかい?」
「どうぞ。」
浴室のドアを開け、ルドルフが中に入ると、アーニャは濡れた髪をドライヤーで乾かしていた。
「陛下が、君に会いたいそうだ。すぐに着替えるように。」
「解りました。」
ルドルフに背を向けたまま、そう答えたアーニャの華奢な身体を、彼は背後から抱き締めた。
「やめて!」
「アーニャ、君にはとても済まない事をしたと思っているし、君から許されるつもりはない事は解っている。だが、暫くこうさせて欲しい。」
ルドルフの言葉を受けたアーニャは不快そうに顔を顰めたが、ルドルフを拒もうとはしなかった。
「アーニャ様、急がれませんと。」
浴室から出たアーニャは、女官達に身支度を手伝って貰うと、軽く化粧を済ませてルドルフの私室から出た。
その時彼女は背後に視線を感じて振り向いたが、そこには誰も居なかった。
「アーニャ、陛下と会う時は、失礼のないようにするんだよ。」
「解っていますわ、お父様。」
アーニャがルドルフと共に皇帝が待つ部屋に入ると、そこには威厳に満ちた空気を纏っている軍服姿の老人―フランツ=カール=ヨーゼフがソファに座っていた。
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