「シュティファニー、お前ラーケン宮に帰った筈ではなかったのか?」
「どうしてわたくしが実家に帰るのです?わたくしの居場所はここ、ホーフブルク宮ですわ。あの忌々しい皇后陛下がお亡くなりになった今、わたくしが皇后となるのです。」
シュティファニーはそう言って笑ったが、その両目は狂気に満ちていた。
「お前との離婚は成立した。さっさと実家に帰れ。」
「嫌ですわ。ハプスブルク家の皇后となる為に、わたくしは今まで貴方からの仕打ちに耐えて来たのです。わたくしは貴方と離婚など致しません。」
「シュティファニー・・」
彼女は狂っている―ルドルフはそう確信した。
「アレクサンドラ、わたくしが居ない間に貴方がわたくしを差し置いて皇后になろうとしているのではなくて?」
「皇太子妃様、わたくしはそのような事は一度も考えた事はありません・・」
「嘘おっしゃい!貴方はあの黒髪の魔女の娘、わたくしの敵ですわ!いいこと、これからこのハプスブルク家を統べる事になるのはこのわたくし!貴方のような小娘、いつでもこの王宮から追い出して・・」
「シュティファニー、止めないか、見苦しい!」
アレクサンドラを罵倒し、彼女を殴りかかろうとしたシュティファニーをルドルフが押さえつけると、彼女は甲高い声で悲鳴を上げて彼の顔を引っ掻き、そのまま部屋から出て行った。
「皇太子妃様、お待ちください!」
今まで部屋の隅に控えていた皇太子妃付きの女官達が慌ただしい足音を立てながら廊下を走り出した主の後を追いかけて彼女達が出て行った後、部屋は再び静寂に包まれた。
「義姉上様は狂っているわ。こんな時にあんな事をおっしゃるなんて・・」
「不謹慎過ぎるわ。ルドルフ、彼女との離婚は本当に成立したのでしょう?」
「はい、姉上。」
ルドルフが姉からアレクサンドラへと視線を移すと、彼女は蒼褪めた顔をしてソファに座り、下腹を押さえていた。
「どうした、アレクサンドラ?」
「下腹が急に張ってしまって・・部屋で休んできます。」
「わたしと一緒に行きましょう、アレクサンドラ。」
ジゼルに支えられながら、アレクサンドラがソファから立ち上がろうとした時、彼女は急に目の前が真っ暗になってその場に倒れてしまった。
「アレクサンドラ、しっかりしろ!」
「お父様、わたしに万が一の事があったら、赤ちゃんを・・」
病院に搬送されたアレクサンドラは、切迫早産で暫く入院することになった。
「張り止めの薬を処方致しますので、それを数ヶ月間、毎日お飲みになってください。トイレとシャワー以外は、ベッドで安静になさってください。」
「解りました。」
主治医から病室で説明を受けたアレクサンドラは、彼が出て行った後ベッドに横になって溜息を吐いた。
ガブリエルを妊娠した時も切迫早産で入院したことがあったので、今回はお腹の子を産むまでストレスのかからない生活をしようとアレクサンドラは心掛けていた。
それなのに、今回も出産まで入院することになってしまった。
(どうして、わたしは普通に産むことが出来ないの?)
ベッドの中で少し迫り出してきた下腹を擦りながら、アレクサンドラは己の身体を呪った。
男でも女でもない、中途半端な身体―どうして自分だけがこんな身体に産まれてしまったのか。
自分が産まれて来た意味はあるのか―そんな事をアレクサンドラが思っていると、病室のドアを誰かがノックする音が聞こえた。
「アレクサンドラ、起きている?」
ドアの外から聞こえて来たのは、優しい母の声だった。
「貴方が入院したと、皇太子様が聞いて驚いたわ。今まで経過が順調だったのに、どうして入院することになったの?」
「シュティファニー様が・・皇太子妃様がわたしを罵倒して部屋から出て行った後、急に下腹が張って来て・・気が付いたら病室のベッドに居たの。」
「皇太子妃様の事は聞いたわ。彼女、皇太子様との離婚を頑なに拒んでいるのですってね?」
「ええ・・あの方、皇妃様の代わりに自分が皇后となるとおっしゃられて・・ジゼル様やヴァレリー様は、あの人は不謹慎だ、気が狂っていると・・」
「心底嫌っていた姑が居なくなって、皇太子妃様はこれからご自分の天下が来たと勘違いなさっているのね。」
ヘレーネはそう呟いて溜息を吐くと、アレクサンドラの手を握った。
「お母様、シャルロッテは大丈夫なの?この前、大きな発作を起こしたと聞いたけれど・・」
「シャルロッテなら、乳母が面倒を見てくれているから大丈夫よ。まだ貴方には話していなかったけれど、わたし、女官に復帰しようと思っているの。」
「まぁ、それは本当なの、お母様?」
「ええ。ユリウスも、“君がそうしたいのなら、僕は反対しない”と言ってくれたから、女官として宮廷でまた働こうと思ったの。それに、貴方の事が心配だからね。」
「お母様・・」
「何か悩みがあったら、わたしに言いなさい。一人で抱え込んでいても、解決しないわ。誰かに愚痴を吐くことも、気晴らしになるからね。」
「はい、お母様・・」
ヘレーネがアレクサンドラの病室から出て廊下を歩いていると、向こうからシュティファニーがやって来た。
彼女は目敏くヘレーネの姿を見つけると、制止する女官の手を振り払ってヘレーネの前を塞いだ。
「皇太子妃様、そこを退いて頂けませんか?」
「貴方、女官に復帰したのですって?一体何を企んでいるの?」
「何も企んでなどおりませんわ、皇太子妃様。それよりも、ここには何をしに来たのですか?」
「そんな事、貴方には関係のない事でしょう?」
「いいえ、関係ありますわ。わたしは、アレクサンドラの母親ですから。」
そう言ってシュティファニーと対峙したヘレーネの瞳は、怒りに満ちていた。
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