「こんな所に居たのですか、甲子太郎(かしたろう)さん。」
背後から声が聞こえ、伊東が振り向くと、そこには半ば呆れたような顔を自分に向けた内海次郎が立っていた。
「内海、わたしに何か用でも?」
「ありませんが、貴方は一体何をしたいのですか?」
「どういう意味だ、それは?」
伊東がそう言って内海の方を見ると、内海は大きな溜息を吐いた。
「貴方はいつまであの小姓の尻を追いかけるおつもりなのですか?」
「何を勘違いしている、内海?わたしが追いかけているのは、荻野君の尻ではなく、土方君の尻だよ。」
「伊東さん!」
内海の顔が怒りで赤く染まったのを見た伊東は、慌てて笑って誤魔化した。
「冗談に決まっているじゃないか。そう怒らなくてもいいだろう、内海。」
「全く、貴方がおっしゃる事は何処までが本気で何処までが冗談なのか、わかりませんね。」
「それがわたし自身の魅力でもあるのさ。それよりも、土方君は一体何を考えているだろうね。暫く姿を消したと思ったら、戻って来てすぐに近藤君達と酒宴を開いて二日酔いで寝込んで・・それもわたしを騙す演技なのだろうか?」
「そうではないようですよ。土方さんは下戸で酒を一滴も飲めないみたいですからねぇ。」
内海はそう言うと、歳三が籠っている副長室の方を見やった。
「そうか。内海、わたしは少し出掛けてくるから、留守を頼む。」
「はい、お気をつけて。」
昼になり、少し体調が戻った歳三が低く呻きながら布団の中から這い出ると、襖の向こうから千尋の声が聞こえた。
「副長、荻野です。入っても宜しいでしょうか?」
「入れ。」
「失礼いたします。」
千尋が襖を開けて副長室に入ると、そこには慌てて歳三が布団の中へと入ろうとしている姿があった。
「何をなさっておられるのですか、副長?もう二日酔いは良くなられたのでしょう?」
「そ、そうだな・・それよりも荻野、伊東は何処だ?」
「伊東先生なら、先程外出されました。行き先は内海さんには知らせていませんでした。何かにおいますね。」
「ああ、そうだな。荻野、お前は祇園に戻らなくても大丈夫か?」
「はい。女将さんからは夜までに置屋へ戻るようにと言われておりますので、それまでに溜まった仕事を片付けようと思っております。」
「そうか。花街はこれから忙しくなる時期だからな。余り身体を壊さないようにしろよ。」
「副長からのお言葉、肝に銘じます。」
千尋はそう言って歳三に向かって頭を下げると、昼餉の用意をする為に副長室から出て行った。
「荻野さん、お久しぶりです。長い間ご心配をお掛けしてしまってすいませんでした。」
「千さん、ご無事で戻ってきて何よりです。沖田先生のお加減は如何でしたか?」
「顔色が少しは良くなってきましたが、余り食欲がないみたいなんです・・まぁ、悪阻が酷いから仕方がないのかもしれませんけれど。」
千の言葉を聞いた千尋は、驚きのあまり包丁で野菜ごと自分の指を切りそうになった。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫です。それよりも千さん、先程のお言葉、本当なのですか?沖田先生の悪阻が酷いというのは・・」
「はい、本当です。沖田さんは、土方さんの子を妊娠していて、悪阻が酷くて食欲がないみたいです。一度お医者様に診て貰った方がいいのではないかと。」
「まぁ、そうですか。それはめでたいことです、局長はそのことをご存知なのですか?」
「ええ。今日の夕餉は赤飯にすると、近藤さんは大変嬉しそうに話しておられました。」
総司が歳三の子を妊娠したと、千から知らされた千尋は、驚きとともに別の感情が心の奥底から湧きあがって来るのを感じた。
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