母の友人
11月05日(木)02時36分母が亡くなって2年経った昨日、母の学生時代からの大親友から 母を偲ぶお葉書が 届く。・・・・紅葉の頃になると お母さんのことを想い出します。もっと もっと側に居たかった、お喋りしたかったと、残念で淋しいです・・・・母の若き日に 一緒に登山をしていた方で、よくエピソードを聴いていた。亡くなる直前まで メールで母を見守り、ともに励ましあっていたことも記憶。早速 この方にお電話した。今夏は 元気がないように感じていたが、昨日は 元気回復の お声。「わたしも そろそろ 終の棲家を探さなくてはと このごろ考えてるの」「母は 気に入った高齢者マンションを自分で探してきて移り住み、体が不自由になってから 病院からの情報提供で満足いく住まいに移れたんです。おばさんも ご自分のこだわる条件を一つでも満たすようなところを見つけられますように」「そうね。お母さんのマンションに うかがったことあるわよ。素敵なお住まいだったわね」「わたしは 母の分まで、おばさんには これからも楽しく過ごしていただくことを 願います」母の想い出も 会話にちりばめ、15分ほどの交流タイムとなり、母にとって なによりの供養となった。その後、もうひとりの学生時代の登山仲間の方にお電話すると、久しぶりの交流を 喜んでくださる。母より2~5歳上の友人は 未だに母を懐かしみ、こころにかけてくださっていることが 電話越しに伝わった。ほかの方々は どうしていらっしゃるかな コロナに振り回されてるかな・・・・それぞれのお顔を思い出しながら よい友人たちに囲まれて、幸せな母だったと しみじみ振り返る。大切にし 大切にされ続けた 母と友人たちとの交流は、在りし日の母の存在の大きさを おもいださせた。