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二宮翁夜話巻の2【1】~【11】

二宮翁夜話巻の2

【1】翁(をう)曰く、
学問は活用を尊ぶ、
万巻の書を読むといへ共、活用せざれば用はなさぬものなり。
論語に、里(り)は仁をよしとす、撰(えら)んで仁に居らずんば焉(いずくん)ぞ智を得ん、とあり、
誠に名言なり、
然りといへども、遊歴人(いうれきじん)や店借人(たなかりにん)などならば、撰んで仁の村に居(を)る事も出来(でく)べし、
されど田畑山林家蔵を所有する、何村の何某なる者、如何なる仁義の村があればとて、其の村に引越す事出来べきや、
さりとて其の不仁の村に不快ながら住み居りては、智者とは云はれざる勿論なり、
扨(さ)て断然不仁の村を捨て、仁義の村に引越す者ありとも我は是を智者とは云はず、
書を読んで活用を知らざる愚者と云ふべし。
如何(いかん)となれば、何村の何某と云はるゝ程の者、全戸を他村に引移(ひきうつ)す事容易にあらず、
其の費用も莫大なるべし、此の莫大の費金を捨て、住み馴れし古郷を捨つる、愚にあらずして何ぞ、
夫れ人に道あり、道は蛮貊(ばんぱく)の邦といへども行はるゝ物なれば、如何(いか)なる不仁の村里といへ共、道の行れざる事あるべからず、
自ら此の道を行ひて、不仁の村を仁義の村に為して、先祖代々其処(そこ)に永住するをこそ、智といふべけれ、此の如くならざれば、決して智者といふべからず、
然して其の不仁の村を、仁義の村にする、甚だ難からず、先づ自分道を踏んで、己が家を仁にするにあるなり。
己が家仁にならずして、村里を仁にせんとするは、白砂を炊いで飯にせんとするに同じ、
己が家誠に仁になれば、村里仁にならざる事なし、
古語に曰く、一家仁なれば一国仁に興り、一家譲(ゆづ)りあれば一国譲りに興る、
又曰く、誠に仁に志せば悪なし、
とある通り、決して疑ひなき物なり、
夫れ爰(ここ)に竹木など本末入交り、竪横に入り乱れたるあり、
是を一本づゝ本を本にし、末を末にして止まざる時は、終に皆本末揃ひて整然となるが如し。
古語に、直きを挙げて諸々(もろもろ)の曲れるを措(お)く時は、よく曲れる者をして直からしむ、
とある通り、善人を挙げ直人(ちょくじん)を挙げて、厚く賞誉して怠らざる時は必ず四五ヶ年間を出ずして、整然たる仁義の村となる事、疑ひなき物なり、
世間の富者、此理に闇く書を読んで活用を知らず、我が家を仁義にする事を知らず、
徒(いたづ)らに迷ひを取つて、村里の不仁なるを悪(にく)み、
村人義を知らず、人気悪し、風儀悪しと詈(ののし)り、他方に移(うつ)らんとする者往々あり、愚と云ふべし。
扨(さ)て村里の人気を一新し、風俗を一洗すると云ふ事、尤も難き事なれども、誠心を以てし、其の方法を得れば、左程(さほど)難き事にはあらざるなり。
先づ衰貧を挽回し、頽廃を興復するより手を下し方法の如くして、漸次人気風儀を一洗すべし。
扨(さ)て人気風儀を一新なすに機会あり、
譬へば今爰(ここ)に戸数一百の邑(むら)あり、
其の中四十戸は衣食不足なく、六十戸は窮乏なれば、一邑(いふ)其の貧を恥とせず、
貧を恥とせざれば租税を納めざるを恥ぢず、借財を返さゞるを恥ぢず、夫役(ふえき)を怠るを恥ぢず、質を入るを恥ぢず、暴を云ふを恥ぢず、此の如くなれば、上(かみ)の法令も里正の権も行れず、
法令行れざる時は、悪行至らざる処なし、何を以て之を導かん、
爰(ここ)に到りては法令も教諭も皆益なきなり、
又百戸の中、六十戸は衣食不足なく、四十戸は貧窮なる時は、教へずして自(おのづから)恥を生ず、
恥を生ずれば、義心を生ず、義心生ずれば、租税を納めざるを恥ぢ、借財を返さゞるを恥ぢ、夫役を怠るを恥ぢ、質を入るを恥ぢ、暴を云ふを恥づるに至る、
爰(ここ)に至つて法令も行はれ、教導も行はれ、善道に導くべく、勉強にも趣かしむべし、
其の機、斯(かく)の如し、
譬へば権衡(はかり)の釣合の如し、
左重ければ左に傾き、右重ければ右に傾くが如く、
村内貧多き時は貧に傾き、悪多き時は悪に傾く、故に相共に恥なし、
富多き時は富に傾き、善多き時は善に傾く、故に恥を生ずれば義心を生ず、
汚俗を一洗し、一村を興復するの業、只此の機あるのみ、知らずばあるべからず、
如何なる良法仁術と云へども、村中一戸も貧者無からしむるは難しとす、
如何(なん)となれば、人に勤惰あり強弱あり智愚あり、家に積善あり不積善あり、
加之(しかのみならず)前世の宿因もあり、是を如何とも為すべからず、
此の如きの貧者は、只其の時々の不足を補ふて、覆墜(ふくつい)せざらしむるにあり。

【1】尊徳先生がおっしゃった。
「学問は活用を尊ぶ、万巻の書を読んでも、活用しなければ用をなさない。
論語に、『里(り)は仁をよしとす、撰(えら)んで仁に居らずんば焉(いずくん)ぞ智を得ん』とある。
誠に名言である。
しかしながら、遊び人や借家の人であれば、風儀の整ったよい村を選んで居住する事もできよう、
しかし田畑や山林、家・蔵を所有する、何村の何某といわれる者が、どんな仁義の村があるからといって、その村に引越す事ができようか。
さりとてその不仁の村に不快ながら住んでいても、智者とはいわれないのは勿論である。
さて断然不仁の村を捨て、仁義の村に引越す者があっても私はこれを智者とは言わない。
書を読んで活用を知らない愚者というであろう。
なぜかといえば、何村の何某といわれるほどの者が、全戸を他村に引き移す事は容易なことではない、その費用も莫大であろう、この莫大の費用を捨て、住み馴れたふるさとを捨てる、愚といわないで何と言おうか。
人には道がある。
道は蛮貊(ばんぱく)の国といえども行われるものであるから、どんな不仁の村里でも、道の行われないことはない。
自ら此の道を行って、不仁の村を仁義の村になして、先祖代々そこに永住することこそ、智というべきだ。
このようでなければ、決して智者といってはならない。
そしてその不仁の村を、仁義の村にするには、決して難かしくない。
まず自分が道を踏んで、自分の家を仁にすることにある。
自分の家が仁にならないで、村里を仁にすることは、白砂をたいてご飯にしようとするのと同じだ。
自分の家が誠に仁になれば、村里が仁にならない事はない。
古語(大学)に言う、
『一家仁なれば一国仁に興り、一家譲(ゆづ)りあれば一国譲りに興る』、
また言う
『誠に仁に志せば悪なし』
とある通り、決して疑いないものだ。
ここに竹木など本末が入り交り、縦横が入り乱れたものがあるとしよう、
これを一本ずつ本を本に、末を末にして止まない時は、ついに皆本末が揃って整然となるようなものだ。
古語(論語)に、
『直きを挙げて諸々(もろもろ)の曲れるを措(お)く時は、よく曲れる者をして直からしむ』、
とある通り、善人を挙げ、直な人を挙げて、厚く誉めたたえてやまない時は、必ず4,5年間を出ないで、整然とした仁義の村となることは疑いない。
世間の富者は、この理にくらくて、書を読んで活用を知らない。
自分の家を仁義にする事を知らないで、いたずらに迷いを取って、村里の不仁であるのを憎んで、
『村人は義を知らない、人々の心持も悪く、風儀も悪い』などとののしって、他方に移ろうとする者が往々にしてある、愚というべきだ。
さて村里の人気を一新し、風俗を一洗するという事は、困難な事だが、真心をもって行い、その方法を得るならば、さほど難しい事ではない。
まず衰貧を挽回し、頽廃を興復するより手を下して、私の説く方法のようにすれば、次第に人気や風儀を一洗するであろう。
さて人気・風儀を一新するに、機というものがある。
たとえば今ここに戸数100の村があるとする。
その中40戸は衣食に不足がなく、60戸は窮乏していると、
一村がその貧を恥としない、
貧を恥としないと租税を納めないのを恥としない、借財を返さないのを恥としない、役務を怠たることを恥としない、質に入れるのを恥としない、暴言を言うのを恥としない、
このようであれば、法令も、庄屋の威力や権威も行われない。
法令が行れない時には、悪行が至らないところはない、
何を以てこれを導くことができよう、
ここにいたっては法令も教諭も皆役にたたない。
また100戸の中、60戸は衣食に不足がなく、40戸は貧窮な時は、教えなくてもおのずから恥を生じる、
恥を生ずれば、正義の心を生ずる、正義の心を生ずれば、租税を納めないのを恥とする、借財を返さないのを恥とする、役務を怠るを恥とする、質を入れるのを恥とする、暴言を言うのを恥とするようになる、
ここに至って法令も行われ、教導も行われ、善道に導くように、勤労に趣かせることができる、
その機はこのようだ。
たとえばはかりの釣合いのようだ、左が重ければ左に傾いて、右が重ければ右に傾くようなものだ。
村内に貧しい者が多い時は貧に傾き、悪が多い時は悪に傾く、だから互いに恥としない、富が多い時は富に傾いて、善が多い時は善に傾く、
だから恥を生ずれば正義の心を生じ、汚俗を一洗し、一村を興復する事業は、ただこの機があるだけだ、知らなくてはならない。
どんな良法・仁術であっても、村中一戸も貧者を無くすことは難かしい、
なぜなら、人に勤惰があり、強弱があり、智愚があり、家にも積善があり不積善があり、それだけでなく前世の因縁もある。
これをどうともできない、
このような貧者は、ただその時々の不足を補って、破綻しないようするにするのだ。

【2】翁曰く、
夫れ入るは出でたる物の帰るなり、来(きた)るは押し譲りたる物の入り来るなり、
譬へば、農人(のうじん)田畑の為に尽力し、人糞(こやし)を掛け干鰯(ほしか)を用ひ、作物の為に力を尽せば、秋に至りて実法(みの)りを得る事、必ず多き勿論なり、
然るを菜を蒔て、出るとは芽をつみ、枝が出れば枝を切り穂を出せば穂をつみ実がなれば実を取る、此(こ)の如くなれば、決して収獲なし、
商法も又同じ、
己が利欲のみを専らとして買人(かいて)の為めを思はず、猥(みだ)りに貪らば、其の店の衰微、眼前なるべし、
古語に、人心は惟(これ)危し道心惟(これ)微(かすか)なり、惟(これ)精惟(これ)一允(まこと)に其の中(ちゆう)を執(と)れ、四海困窮せば天禄永く終らん、とあり、
是舜(しゆん)禹(う)天下を授受するの心法なり、
上として下に取る事多く、下困窮すれば、上の天禄も永く終るとあり、
終るにはあらず、天より賜りたるを、天に取上げらるゝなり、
其の理又明白なり、誠に金言(きんげん)といふべし、
然りといへども、儒者の如く講じては、今日上、何の用にもたゝぬ故、今汝等が為に、分り安く読みて聞せん、
支那(から)の咄しと思つて、迂闊(うくわつ)に聞ず、能く肝(きも)に銘ぜよ、
人心惟(これ)危(あやう)し道心惟(これ)微(かすか)なりとは、
身勝手にする事は危き物ぞ、他の為めにする事は、いやになる物ぞと云ふ事なり、
惟精惟一允(まこと)に其の中を執(と)れとは、
能く精力を尽し、一心堅固に200百石の者は、100石にて暮し、
100石の者は、50石にて暮し、其の半分を推し譲りて、一村の衰へざる様、一村の益々(ますます)富み益々栄える様に勉強せよ、と云ふ事なり、
四海困窮せば、天禄永く終らんとは、
一村困窮する時は、田畑を何程持ち居るとも、決して作徳は取れぬ様になる物ぞ、と云ふ事と心得べし、
帝王の咄(はな)しなればこそ、四海と云ひ、天禄と云ふなれ、汝等が為めには、四海を一村と読み、天禄は作徳と読むべし、能々肝銘(かんめい)せよ。

【2】尊徳先生はおっしゃった。
「入るのは出たものが帰るのである。来たるのは押し譲ったものが入り来るのである。
たとえば、農民が田畑のために力を尽くし、こやしをかけ、干鰯(ほしか)を用い、作物のために力を尽すならば、秋になって実りを得る事は、必ず多いのはもちろんのことだ。
それを菜種をまいて、芽が出たら芽をつんで、枝が出れば枝を切って、穂が出たら穂をつんで実がなれば実を取る、このようであれば、決して収獲はない。
商法もまた同じだ、自分の利欲だけを専らとして、買い手のためを思わないで、みだりに貪るならば、その店の衰微は、眼前であろう。
古語に、人心は惟(これ)危し、道心惟(これ)微(かすか)なり、惟(これ)精惟(これ)一允(まこと)に其の中(ちゆう)を執(と)れ、四海困窮せば天禄永く終らん、とある。
これは、舜(しゆん)が禹(う)に天下を授受したときの心法である。
上として下に取る事が多く、下が困窮すれば、上の天禄も永く終るとある。
終るのではない、天から賜ったものを、天に取り上げられるのである。
その理はまた明白である。
誠に金言(きんげん)というべきだ。
しかしながら、儒者のように講じては、現在の私たちの身には、何の役にもたたない。
だから、今、私がなんじらのために、わかりやすく読んで聞かせよう。
中国の話だと思って、ぼんやり聞かず、よく肝に銘ずるがよい。
人心惟(これ)危(あやう)し、道心惟(これ)微(かすか)なり とは、
身勝手にする事は危いものであるぞ、他のためにする事は、いやになるものぞという事だ、
惟精惟一允(まこと)に其の中を執(と)れ とは、
よく精力を尽して、一心を堅固にして200百石の者は、100石で暮し、100石の者は、50石で暮して、
その半分を推し譲って、一村が衰えないように、一村がますます富んで、ますます栄えるように勤め励めよ、ということである。
四海困窮せば、天禄永く終らん とは、
一村が困窮する時は、田畑をどれほど持っていても、決して作徳は取れないようになるものぞ、ということだと心得えなさい。
帝王の話だからこそ、四海といい、天禄というのだ。
なんじらのためには、四海を一村と読んで、天禄は作徳と読むがよい。
よくよく肝に銘じるがよい。」

【3】翁曰く、
吉凶禍福苦楽憂歓等は、相対する物なり、
如何(なん)となれば、猫の鼠を得る時は楽の極なり、
其の得られたる鼠は苦の極なり、
蛇の喜極る時は蛙の苦極る、鷹の悦極る時は雀の苦極る、猟師の楽は鳥獣の苦なり、漁師の楽は魚の苦なり、世界の事皆斯の如し、
是は勝ちて喜べば、彼は負けて憂ふ、
是は田地(でんぢ)を買ひて喜べば、彼は田地を売りて憂ふ、
是は利を得て悦べば、彼は利を失ふて憂ふ、
人間世界皆然り、
たまたま悟門に入る者あれば、是を厭ひて山林に隠れ、世を遁れ世を捨つ、
是又世上の用をなさず、
其志其行ひ、尊きが如くなれども、世の為にならざれば賞するにたらず、
予が戯れ歌に
「ちうちうとなげき苦むこゑきけば鼠の地獄猫の極楽」、
一笑すべし、
爰(ここ)に彼悦んで是も悦ぶの道なかるべからずと考ふるに、
天地の道、親子の道、夫婦の道と、又農業の道との四つあり、
是れ法則とすべき道なり、
能く考ふべし

【3】尊徳先生がおっしゃった。
「吉凶・禍福・苦楽・憂歓等は、相対する物である。
なぜかといえば
猫が鼠をとる時は楽みの極である。一方、とられた鼠は苦しみの極である。
蛇の喜びが極まる時は蛙の苦しみが極まる。
鷹の悦びが極る時は雀の苦しみが極まる。
猟師の楽しみは鳥獣の苦しみである。
漁師の楽しみは魚の苦しみである。
世界の事皆このようである。
こちらが勝って喜べば、彼は負けて憂える。
こちらが田を買って喜べば、彼は田を売って憂える。
こちらが利を得て悦べば、彼は利を失って憂える。
人間の世界は皆このようである。
たまたま悟りの門(仏門など)に入る者があれば、これを厭って山林に隠れ、世をのがれ世を捨てる、これもまた世間の用をなさない。
その志その行いは尊いようであるが、世のためにならなければ賞するにたらない。
私がたわむれに詠んだ歌に
「ちうちうと なげき苦む 声きけば 鼠の地獄 猫の極楽」、
とある、一笑するがよい。
ここに彼も喜んでこちらも悦ぶの道がないかと考えるに、
天地の道、親子の道、夫婦の道と、また農業の道との四つの道がある。
これらは法則とするべき道である。
よく考えるがよい。

【4】翁曰く、
世界の中、法則とすべき物は、天地の道と、親子の道と、夫婦の道と、農業の道との四つなり。
此の道は誠に、両全完全の物なり。
百事此の四つを法とすれば誤(あやまち)なし。
予が歌に
「おのが子を恵む心を法(のり)とせば学ばずとても道に到らん」
とよめるは此の心なり。
夫れ天は生々の徳を下し、地は之を受けて発生し、
親は子を育して、損益を忘れ混(ひたす)ら生長を楽み、子は育せられて、父母を慕ふ、
夫婦の間、又相互に相楽んで子孫相続す、
農夫勤労して、植物の繁栄を楽み、草木又近欣々(きんきん)として繁茂す、
皆相共に苦情なく、悦喜(えつき)の情のみ、
扨(さ)て此の道に法取(のっと)る時は、
商法は、売りて悦び買ひて悦ぶ様にすべし。
売りて悦び買て喜ばざるは、道にあらず、買ひて喜び、売りて悦ばざるも道にあらず。
貸借の道も亦同じ、借て喜び貸して喜ぶ様にすべし、
借りて喜び貸して悦ばざるは、道にあらず、貸して悦び借りて喜ばざるは、道にあらず、
百事此の如し。
夫れ我が教へは是を法(のり)とす、
故に天地生々の心を心とし、
親子と夫婦との情に基き、損益を度外に置き、国民の潤助と土地の興復とを楽しむなり、
然らざれば能はざる業(わざ)なり。
夫れ無利息金貸付の道は、元金の増加するを徳とせず、貸付高の増加するを徳とするなり、
是利を以て利とせず、義を以て利とするの意なり、
元金の増加を喜ぶは利心なり、貸附高の増加を喜ぶは善心なり。
元金は終に百円なりといへども、六十年繰返し繰返し貸す時は、其の貸附高は一万二千八百五十円となる、
而して元金は元の如く百円にして増減なく、国家人民の為に益ある事莫大なり、
正に日輪の万物を生育し万歳を経れども一つの日輪なるが如し、
古語に、敬する処の物少くして悦ぶ者多し、之を要道と云ふとあるに近し。
我れ此の法を立てし所以は、世上にて金銀を貸し催促を尽したる後、裁判を願ひ取れざる時に至て、無利足年賦となすが通常なり。
此の理を未だ貸さざる前に見て、此の法を立たるなり、
されども未だ足らざる処あるが故に、無利足何年置据貸しと云ふ法をも立てたり。
此の如く為さざれば、国を興し世を潤すにたらざればなり。
凡(およ)そ事は成行くべき先を、前に定むるにあり、
人は生るれば必死すべき物なり、
死すべき物と云ふ事を前に決定(けつぢやう)すれば、活(いき)て居る丈け日々利益なり。
是予が道の悟なり。
生れ出でては、死のある事を忘るゝ事なかれ、夜が明けなば暮るゝと云ふ事を忘るゝ事なかれ。

【4】尊徳先生はおっしゃった。
「世界の中に法則とするべきものは、天地の道と、親子の道と、夫婦の道と、農業の道との四つである。
この道は誠に、両全完全の物である。
百事この四つを法則とすれば誤ちがない。
私の歌に
「おのが子を 恵む心を 法(のり)とせば 学ばずとても 道に到らん」
とよんだのはこの心だ。
天は生々の徳を下し、地はこれを受けて発生する。
親は子を育てて、損得を忘れてひたすら子の生長を楽しんで、子は育てられて父母を慕う。
夫婦の間もまた相互に喜び楽しんで子孫が相続する。
農夫は勤労して、植物の繁栄を楽しみ、草木もまた喜んで繁茂する。
皆共に苦情なく、喜び悦ぶ情だけである。
さてこの道にのっとる時は、商法は、売って悦び買って悦ぶようにすればよい。
売って悦び買って喜ばないのは道ではない。買って喜び、売って悦ばないのも道ではない。
貸借の道もまた同じだ。
借りて喜び貸して喜ぶようにするがよい。
借りて喜び貸して悦ばないのは道ではない。貸して悦び借りて喜ばないのは道ではない。
百事このようである。
私の教えはこれを法則とする。
だから天地生々の心を心とし、親子と夫婦との情に基いて、損得を度外に置いて、国民の潤し助け、土地を復興することを楽しむのである。
そうでなければできない事業である。
無利息金貸付の道は、元金が増加することを徳としない、貸付高が増加することを徳とする。
これは「利を以て利とせず、義を以て利とする」という意味なのだ。
元金が増加することを喜ぶは利心である、貸附高が増加を喜ぶのは善心である。
元金はついにに100両であっても、60年繰返し繰返し貸す時には、その貸つけ高は12850両となる。
そして元金は元のように100両で増減ないが、国家人民のために利益のある事莫大である。
まさに日輪が万物を生育し、万歳を経ても一つの日輪であるようである。
古語に、『敬する処の物少くして悦ぶ者多し、これを要道という』とあるのに近い。
私がこの法を立てた理由は、世間で金銀を貸して催促を尽した後、裁判を願い出て、取れなかった時に至って、無利息年賦とするのが通常である。
この理を未だ貸さない前に見て、この法を立てたのだ。
しかしまだ足りないと思って、無利息何年置据貸しという法をも立てた。
このようにしなければ、国を興し世を潤おすに足らないからである。
およそ事は成り行くであろう先を、前に定めることにある。
人は生れるれば必ず死ぬべきものである。
死ぬべきものという事を前に決定(けっじょう)すれば、生きているだけ日々利益である。
これが私の道の悟りである。
生れ出ては、死のある事を忘れてはならない、夜が明けたら暮れるということを忘れてはならない。

☆(美津の悟り)
「尊徳の裾野」(佐々井典比古著)に「少女美津の悟り」という一文がある。
小田原の剣持広吉の娘美津が、桜町陣屋の二宮金次郎の家に見習いにきていた。
ところが病気のための故郷に帰り、療養をつくしたが、死んでしまった。
その時、美津は父広吉にこういい残したという。
「尊徳先生から、生死は一つであると教わっていたから何も悲しむことはありません、安心して死にます」と。
剣持広吉から尊徳先生に差し上げた書状には美津の言葉をこう伝える。
「大道の御主意に基き、病中より、ひとたび夜の明け候えばひとたび日の暮るることと申すことを、もっぱら承知いたしおり候」
あなたは生まれれば死ぬということ、それは夜が明けたら日が暮れるのと同じだと本当に了解して死んでいけますか?
少女美津から問いかけられているようである。

【5】翁曰く、
村里の興復は直を挙ぐるにあり、土地の開拓は沃土を挙ぐるにあり、
然るに善人は、兎角(とかく)に退きて引籠(ひきこも)る癖ある物なり、
勤めて引出さゞれば出ず、
沃土は必ず、卑(ひく)く窪(くぼ)き処にありて掘出さゞれば顕はれぬ物なり、
爰(ここ)に心付かずして開拓場をならす時は、沃土皆土中に埋まりて永世顕(あら)はれず、村里の損、是より大なるはなし。
村里を興復する、又同じ理なり。
善人を挙げて、隠れざる様にするを勤めとすべし、
又土地の改良を欲せば、沃土を掘り出して田畑に入るべし。
村里の興復は、善人を挙げ出精人を賞誉するにあり。
是を賞誉するは、投票を以て耕作出精にして品行宜しく心掛宜しき者を撰み、無利足金、旋回貸附法を行ふべし、
此の法は譬へば米を臼(うす)にて搗(つ)くが如し、
杵(きね)は只(ただ)臼の正中(まんなか)を搗(つ)くのみにして、臼の中の米、同一に白米となると同じ道理にて、返済さへ滞らざれば、社中一同知らず知らず自然と富実すべし、
而して返済の滞るは、譬へば臼の米の返らざるが如し、是れ此の仕法の大患なり、
臼の米返らざる時は、村搗(むらつき)となりて折れ砕くる物なり、
此の仕法にて返済滞る時は、仕法痿靡(ゐび)して振(ふる)はざる物なり、貸附取扱ひの時、能々注意し説諭すべし。

【5】尊徳先生はおっしゃった。
「村里の復興は直を挙げることにある。
土地の開拓は沃土を挙げることにある。
善人は、おうおうにして退いて引きこもる癖があるものだ。
勤めて引き出さないと出てこない。
沃土は必ず、低い窪地にあって掘り出さないとあらわれないものだ。
ここに気づかないで、開拓した土地を一様にならす時は、沃土は皆土中に埋ってあられない。
村里の損、これより大きいものはない。
村里を興復するのも、また同じ理だ。
善人を挙げて、隠れないようにすることを勤めるがよい。
また土地の改良を欲するならば、沃土を掘り出して田畑に入れるがよい。
村里の復興は、善人を挙げて精出している人を賞誉することにある。
これを賞誉するには、投票で耕作に精出して品行がよろしく心がけがよろしい者を選んで、無利足金を貸し付けるとよい。
無利息金貸付旋回法は、たとえば米をウスでつくようなものだ。
杵(きね)は、ただウスのまんなかをつくだけで、ウスの中の米は、同一に白米となるのと同じ道理だ。
無利息貸付金の返済さえとどこおらなければ、社中一同知らず知らず自然と富裕になっていこう。
だが、返済がとどこおるときは、たとえばウスの米が返らないようなものだ。
これがこの仕法の大患である。
ウスの米が返らない時は、村搗(むらつき)となってキネが折れ砕くるものである。
この仕法で返済がとどこおる時は、仕法は萎縮してふるわなくなるものだ。
貸付を取り扱う時、よくよく注意して説諭しなさい。

☆二宮先生の仕法で注目されるのが、投票で仕事に精出し善良なものを選び出して表彰するというやり方だった。
 投票によって一番札の多かった順から表彰することが一番公平なやりかたであることを知っておられ、実践された。
報徳外記にはこうある。
「廃国、衰村を復興するには、『直きを挙げてまがれるをおく』(論語)にある。
『直きを挙げる』には投票をもちいる。すなわち自分の判断を用いないで人の意見をとるのである」

【6】翁曰く、
世人運といふ事に心得違ひあり、
譬へば柿梨子などを籠より打ち明くる時は、自然と上になるあり、下になるあり、上を向くあり、下を向くあり、此の如きを運と思へり。
運といふ物此の如き物ならば頼むにたらず、
如何(なん)となれば、人事を尽してなるにあらずして、偶然となるなれば、再び入れ直して明くる時はみな前と違ふべし、
是れ博奕(ばくえき)の類にして運とは異なり。
夫れ運といふは、運転の運にして所謂廻り合せといふ物なり、
夫れ運転は世界の運転に基元(きげん)して、天地に定規(ていき)あるが故に、
積善の家に余慶あり、積不善の家に余殃(よあう)あり、幾回旋転するも、此の定規(ていき)に外(はづ)れずして、廻り合(あは)するを云ふなり、
能く世の中にある事也、
灯燈(てうちん)の火の消えたるために、禍を免れ、又履物の緒(を)の切れたるが為めに、災害を逸るゝ等の事、これ偶然にあらず真の運なり、
仏に云ふ処の、因応の道理則ち是なり、
儒道に積善の家余慶あり、積不善の家余殃あるは天地間の定矩(ぢやうく)、古今に貫きたる格言なれども、仏理によらざれば判然せざるなり。
夫れ仏に三世の説あり、此理は三世を観通せざれば、決して疑ひなき事あたはず、疑ひの甚しき、天を怨み人を恨むに至る、
三世を観通すれば、此の疑ひなし、雲霧晴れて、晴天を見るが如く、皆自業自得なる事をしる、
故に仏教三世因縁を説く、是儒の及ばざる処なり。
今爰(ここ)に一本の草あり、現在若草なり、其の過去を悟れば種なり、其の未来を悟れば花咲き実法(みの)りなり、
茎高く延びたるは肥(こえ)多き因縁なり、茎の短きは肥のなき応報なり、
其の理三世をみる時は明白なり、
而して世人此の因果応報の理を、仏説と云へり、
是は書物上の論なり、
是を我が流儀の不書の経に見る時は、釈氏未だ此の世に生れざる昔より行はれし、天地間の真理なり、
不書の経とは、予が歌に「声(こゑ)もなく香(か)もなく常に天地(あめつち)は書かざる経を繰返しつゝ」と云へる、四時行れ、百物成る処の真理を云ふ、
此の経を見るには、肉眼を閉ぢ、心眼を開きて見るべし、
然らざれば見えず、肉眼に見えざるにはあらねども徹底せざるを云ふなり、
夫れ因報の理は、米を蒔けば米が生へ、瓜の蔓(つる)に茄子(なす)のならざるの理なり、
此の理天地開闢より行れて、今日に至て違はず、
皇国のみ然るにあらず、万国皆然り、
されば天地の真理なる事、弁を待たずして明かなり。

【6】尊徳先生はおっしゃった。
「世の人は運といいことを心得違いしている。
たとへば柿や梨子などをカゴからあける時、柿や梨は自然と上になるものもあり、下になるものもある、上を向くものもあり、下を向くものもある。
このようなものを運だと思っている。
運というものがこのようなものであるならば頼むにたりない。
なぜならば、人事を尽してなるものではなく、偶然になるものだから、再びカゴに入れ直してあける時はみな前と違うであろう。
これはバクチの類であって、本当の運とは違う。
運というのは、運転の運であって、いわゆるめぐり合わせというものである。
運転というのはこの世界が運び転っていることに基元(きげん)しており、天地の法則があることに由来する。
「積善の家に余慶あり、積不善の家に余殃(よおう)あり」と易経にいう。
何回回転しても、この法則にはずれることなく、めぐりあわすことをいうのだ。
よく世の中にこんなことがある。
チョウチンの火が消えたために、禍を免れたとか、
また履き物の緒(お)が切れたため、災害を免れたなどの事がある。
これは偶然ではなく、真の運である。
仏教にいうところの、因果応報の道理がこれだ。
儒道に「積善の家に余慶あり、積不善の家に余殃ある」というのは天地間の法則であり、古今に貫いた格であるが、仏理によらなければ判然としない。
仏教には前世、今世、来世の三世の説がある。
この理は三世を観なければ、疑いをのぞくことができず、
疑いがひどいのになると、天を怨み人を恨むに至ってしまう。
三世を観ることができれば、この疑いはない。
雲霧が晴れて、晴天を見るようで、皆自業自得であることが分る。
だから仏教では三世因縁を説く。
これは儒道の及ばないところである。
今ここに一本の草があるとしよう、
現在は若草なり、その過去を悟れば種である。
その未来を悟れば花が咲き実がなる。
茎が高く延びたのは肥料が多かった因縁である、茎が短いのは肥料がなかった応報である。
その理は三世をみる時は明白である。
そして世の人はこの因果応報の理を、仏説という。
これは書物の上の論である。
これを私の流儀の書かざる経(天地の理)に見る時には、お釈迦様がまだこの世に生まれない昔からの天地間の真理である。
書かざる経とは、私の歌に
「声もなく香(か)もなく常に天地(あめつち)は書かざる経を繰り返しつゝ」
という、四時行われ、百物なるところの真理をいう。
この経を見るには、肉眼を閉じて、心眼を開いて見るがよい。
そうでなければ見えない。
肉眼で見えないわけではないが徹底しない。
因果応報の理は、米を蒔けば米が生え、瓜のツルにナスはならないの理である。
この理は天地が開けてから行われており、今日にいたって違わない。
皇国だけでなく、万国皆そうなのだ。
そうであれば天地の真理である事は、弁を待たないで明らかである。

☆この「積善の家は・・・」は報徳記でも何度も先生がおっしゃっていることであり、特に川崎屋孫右衛門の話が印象深い。
「天地の間において万物は一理である。
 瓜を植えれば必ず瓜が熟す、どうして瓜を植えて茄子が実ることがあろうか。
 五穀ともその植えるところにしたがって熟す。
 昔から一草といえども、その種を変じて生ずるものは聞いたことはない。
 どうして孫右衛門だけ善を植えて悪の実りがあることがあろうか。
 必ず一家が廃亡する種を蒔いて、いまその実りを得たのではないか。」
「積善、不積善によって禍福吉凶を生ずることは聖人の言われるとおりだ。
孫右衛門の家は天明の大飢饉に当たって命を失うものが幾万人あったか分らないのに、お前の家は家財に富むにもかかわらず、救助の心なく、高価に穀物を売り、独り利益を専らにしてますます富んだ。
一家の廃絶はこの時におこったのだ。
天運循環してついにお前の代に至って飢饉が起こった。
お前に少しでも慈しみの心があれば、家産を尽くして人命を救助し、一人でも多く助けたいと願ったであろう。
たとえその心があっても、すぐに行わず、江戸でぐずぐずするとは何事か。
誰がお前に救助の心があると思おう。
大磯宿の人々がお前の家を破ったのは悪事であるが、それを生じた根本はお前にある。
お前が救助を行ったら、彼らがどうしてこのような乱暴を生じよう。
慈しみの道は人の大道である。
今お前はこれを行わずに災害になった。
そうであれば、災害はお前の一心に起こったのだ。
これを観ればお前は自分を責めて、どうして人々を怨むことなどありえよう。
天が人々をして家を壊し、余財を焼いたのだ。
お前はそれを察せず、自分を善とし、人を悪として、怒って復讐しようと思う。
お前は一人で相手は多数だ。
どうして衆を害することができよう。
たとえ官の力を借りて怨みを返しても、人々の子孫が時を待ってお前の子孫を害し、報復するであろう。
もし、自分の非を知って天を恐れ、一身を艱難の地に置いて他人の苦しみを除こうとする行いをするとき、禍はたちまちに転じて福となり、求めなくても一家再興の道もその中に生じよう。」

【7】 翁曰く、
夫れ天地の真理は、不書(かかざる)の経文にあらざれば、見えざる物なり、
此の不書の経文を見るには、肉眼を以て、一度見渡して、而して後肉眼を閉ぢ、心眼を開きて能く見るべし、
如何なる微細の理も見えざる事なし、
肉眼の見る処は限あり、心眼の見る処は限なければなりと、
大島勇助曰く、
師説実に深遠なり、おこがましけれど、一首を詠めりと云ふ、
其の歌
「眼(め)を閉ぢて世界の内を能く見れば晦日(みそか)の夜にも有明の月」
翁曰く、卿(きみ)が生涯の上作と云ふべし。

【7】 尊徳先生はおっしゃった。
「天地の真理は、書かざるの経文でなければ、見えないものだ。
この書かざる経文を見るには、肉眼で一度見渡して、その後肉眼を閉じて、心眼を開いてよく見るがよい。
どのような微細の理も見えない事がない。、
肉眼の見るところは限りがある。
心眼の見るところは限りがないからである。」
お側で聞いていた大島勇助が言った。
「先生のおっしゃることはまことに深遠です。
おこがましいことですが、一首を詠んでみました。」
その歌
「眼(め)を閉ぢて 世界の内を 能く見れば 晦日(みそか)の夜にも 有明の月」
先生はおっしゃった。
「それはそなたの生涯の上作であろう。」

【8】 加茂社人(かもしやじん)、梅辻と云神学者東京(えど)に来て、神典竝(ならび)に天地の功徳(くどく)、造化の妙用を講ず。
翁一夜竊(ひそか)に其の講談を聞かる。
曰く、
其の人となり、弁舌爽(さわやか)にして飾(かざり)なく、立居ふるまひも安らかにして物に関せず、実に達人と云べし、
其の説く処も、大凡(おおよそ)最(もっと)もなり、
されども未だ尽さゞる事のみ多し、彼れ位の事にては、一村は勿論、一家にても衰へたるを興す事は出来まじ、
如何(なん)となれば其の説く所目的立たず、至る処なく専ら倹約を尊んで、謂(いは)れなく只倹約せよ倹約せよと云ひて倹約して何にすると云ふ事なく、善を為(せ)よと云ひて、其の善とする処を説ず、
且つ善を為すの方を云はず、其の説く処を実行する時は上下の分立たず、上国下国の分ちもなく、此の如く、一般倹約を為したりとも、何の面白き事もなく、国家の為にもならざるなり。
其の他諸説は、只論弁の上手なるのみ。
夫れ我が倹約を尊ぶは用ひる処有るが為なり。
宮室を卑(いやし)うし、衣服を悪くし、飲食を薄うして、資本に用ひ、国家を富実せしめ、万姓を済救せんが為なり。
彼れが目途なく至る処なく、只倹約せよと云とは大に異なり、誤解する事勿れ。

【8】加茂社の梅辻という神学者が江戸に来て、神典ならびに天地の功徳と造化の妙用を講じた。
尊徳先生はある夜ひそかにその講ずるところを聞きに行かれた。
そしてこうおっしゃった。
「その人となりは、弁舌はさわやかで飾りがなく、立いふるまいも安らかで物にとらわれず、実に達人というべきだ。
その説くところも、おおよそもっともである。
しかし、まだ尽さない事が多い。
あのくらいの事では、一村はもちろん、一家でさえ衰えたのを興す事はできない。
なぜかといえば、その説く所の目的が立たず、至るところもなく、専ら倹約を尊んで、理由もなくただ倹約しろ倹約しろと言って倹約をして何にするという事もなく、善を行えといって、その善とするところを説くことなく、また善を行う方法を言わない。
その説くところを実行する時には、上下の分が立つことなく、上国下国を分つことがない。
このように、全般に倹約しても、何の面白い事もなく、国家のためにもならない。
その他の諸説も、ただ論弁が上手なだけである。
私が倹約を尊ぶには用いるところがあるためである。
宮室を低くして、衣服を悪くし、飲食を薄くして、資本に用い、国家を富ませ、万姓を救済しようとするせんが為である。
あの者が目的もなく、至るところが無く、ただ倹約せよというのとは大きく異なり、誤解してはならない。

【9】 翁曰く、
遠きを謀(はか)る者は富み、近きを謀る者は貧(ひん)す。
夫れ遠きを謀る者は、百年の為に松杉の苗を植う、
まして春植ゑて、秋実のる物に於てをや、故に富有なり、
近きを謀る者は、春植えて秋実法(みの)る物をも、猶(なほ)遠しとして植ゑず、
只(たゞ)眼前の利に迷ふて、蒔かずして取り、植ゑずして刈取る事のみに眼をつく、故に貧窮す。
夫れ蒔かずして取り、植ゑずして刈る物は、眼前利あるが如しといへども、一度取る時は、二度刈る事を得ず。
蒔きて取り、植ゑて刈る者は歳々尽くる事なし、故に無尽蔵(むじんざう)と云ふなり。
仏に福聚海(ふくじゆかい)と云ふも、又同じ。

【9】 尊徳先生はおっしゃった。、
「遠きをはかる者は富み、近きを謀る者は貧す。
遠きをはかる者は、100年のために松や杉の苗を植える。
まして春に植えて、秋実のる物は当然である、だから富んでいる。
近きをはかる者は、春に植えて秋実のる物でさえも、なお遠いとして植えない。
ただ目前の利益に迷って、蒔かないで収穫し、植えないで刈り取る事だけに眼をつける、
だから貧窮するのだ。
蒔かないで収穫し、植えないで刈り取る物は、目前に利益があるようだけれども、一度取った時は、二度と刈る事ができない。
蒔いて収穫し、植えて刈り取る者は年々歳々尽きる事がない、これを無尽蔵(むじんぞう)というのだ。
観音経に「福聚海(ふくじゆかい)無量」というのも、また同じことなのだ。

☆伊那食品工業の塚本寛社長はこう言っている。http://eco.goo.ne.jp/business/keiei/keyperson/58-1.html
「私の座右の銘に、江戸時代の農政家・二宮尊徳の『遠きをはかる者は富み、近くをはかる者は貧す』という言葉がありますが、そういう長期的な展望が「いい会社づくり」には不可欠です。目先の利益だけを考え、短期的に高い売上高を追い求めて高収益を上げても、長続きしなければいい会社とは言えません。永続するためにゆるやかな成長は不可欠ですが、最低必要な成長でいいと私は考えるようになったんです。」

【10】翁某村を巡回せられたる時、惰弱にして掃除をもせぬ者あり。
曰く、
汚穢を窮むる、此の如くなれば、汝が家永く貧乏神の住所となるべし。
貧乏を免れんと欲せば、先づ庭の草を取り、家屋を掃除せよ。
不潔斯(かく)の如くなる時は、又疫病神も宿るべし。
能く心掛けて、貧乏神や、疫病神は居られざる様に掃除せよ。
家に汚物あれば、汚蠅の集るが如く、庭に草あれば蛇蝎所を得て住むなり、
肉腐れて蛆(うじ)生じ、水腐れてぼうふら生ず、
されば、心身穢(けが)れて罪咎(つみとが)生じ、家穢れて疾病生ず、
恐るべしと諭(さと)さる、
又一戸家小にして内外清潔の家あり、
翁曰く、
彼は遊惰、無頼、博徒の類(るゐ)か、
家内を見るに俵なく好き農具なし。
農家の罪人なるべしと。
村吏其の明察に驚けり。

【10】尊徳先生がある村を巡回される時、怠け者で掃除をもしない者があった。
先生はおっしゃった。
「汚穢を窮めること、このようなら、お前の家はながく貧乏神の住所となるだろう。
貧乏を免れようと欲するなら、まず庭の草を取って、家を掃除をせよ。
不潔このようである時は、また疫病神も宿るであろう。
よく心がけて、貧乏神や、疫病神はいられないように掃除せよ。
家に汚物があれば、蠅が集ってくるように、庭に草があれば蛇や毒虫がいい所があったと住むようになる。
肉が腐れれば蛆(うじ)が生じ、水が腐れればボウフラが生ずる。
そうであれば、心身がけがれて罪とがが生じ、家がけがれて病いが生ずる。
恐るべきことだ」とさとされた。
また一戸家は小で内外清潔の家があった。
尊徳先生はおっしゃった。
「この家の者は遊惰、無頼、博徒のたぐいであろう。家のなかを見るに、俵もなく、よい農具もない。
農家の罪人であろう」と。
村の役人は先生の明察に驚いた。

【11】 両国橋辺に、敵打(かたきうち)あり、
勇士なり孝子なりと人々誉む。
翁曰く、
復讐を尊むは、未だ理を尽さゞる物なり、
東照公(とうせうこう)も敵国に生れ玉へるを以て父祖の讐(あだ)を報ぜんとのみ願れしを、酉誉(いうよ)上人の説法に、復讐の志(し)は、小にして益なく、人道にあらざるの理を以てし、国を治め、万民を安ずるの道の天理にして、大なるの道理を以てす、
公始て此の理に感じ、復讐の念を捨てて、国を安んじ、民を救ふの道に心力を尽されたり、
是より大業なり、万民塗炭の苦を免る。
此の道独り東照宮のみに限らざるなり、凡人といへども又同じ。
此方より敵を打てば、彼よりも亦此の恨を報ぜんとするは必定なり、
然る時は怨恨結んで解くる時なし、互に復讐復讐と、只恨(うらみ)を重ぬるのみ、
是れ則ち仏(ぶつ)に所謂(いはゆる)輪廻にて永劫修羅(しゆら)道に落ちて人道を蹈(ふ)む事能(あた)はじ、愚の至り悲しひ哉、
又たまたま返り打ちに逢ふもあり、痛しからずや、是れ道に似て、道にあらざるが故なり、
されば復讐は政府に懇願すべし、政府又草を分けて、此の悪人を尋ねて刑罰すべし、
仍つて自らは、恨に報うに直(なほき)を以てすの聖語に随ひて復讐を止め家を修め、立身出世を謀(はか)り、親先祖の名を顕はし、世を益し人を救ふの天理を勤むるにしかず、
是れ子たる者の道、則ち人道なり、
世の習風は、人道にあらず、修羅道なり、
天保の飢饉に、相州大磯駅川崎某(なにがし)と云ふ者、乱民に打毀(こは)されたり、
官乱民を捕へて禁獄し、又川崎某をも禁獄する事三年、某憤怒に堪へず、
上下を怨み、上下に此の怨を報ぜんと熱心す、
我れ是れに教ふるに、復讐は人道にあらざるの理を解き、
富者は貧を救ひ、駅内を安ずるの天理なる事を以てせり、
某(なにがし)決する事能はず、
鎌倉円覚寺淡海和尚に質(ただ)して、悔悟し決心して、初めて復讐の念を断ち、身代を残らず出して、駅内を救助す、
駅内俄然(がぜん)一和して、某(なにがし)を敬する事父母の如し、
官又厚く某を賞するに至れり。
予只復讐は人道にあらず、世を救ひ世の為を為すの天理なる事を教へしのみにして、此の好結果を得たり、
若し過ちて、復讐の謀(はかりごと)をなさば、如何(いか)なる修羅場を造作するや知るべからず、恐れざるべけんや。

【11】 両国橋の辺で、敵打ちがあった。
「勇士だ、孝子だ。」と人々誉めあった。
尊徳先生はおっしゃった。
「復讐を尊ぶのは、まだ理を尽していない。
徳川家康公も敵国(今川家)に生れたまえるをもって、父祖の復讐を報じようとのみ願われていたが、酉誉(ゆうよ)上人の説法に、
『復讐の志しは、小であって益がなく、人道ではない。
国を治め、万民を安んず道こそが天理である。」という、大道理を説かれた。
家康公ははじめてこの理に感じ入って、復讐の念を捨て、国を安んじ、民を救う道に心力を尽された。
これより天下統一を成就し、万民は塗炭の苦しみを免れた。
この道はひとり家康公だけに限らない、凡人でもまた同じだ。
こちらから敵を打てば、彼からもまたこの恨みを報じようとするは必定である。
その時は怨恨が結んで解くる時がない、互いに復讐復讐と言い合って、たが恨みを重ねるだけである。
これすなわち仏道でいはゆる輪廻して永劫に修羅(しゆら)道に落ちて、人道を踏む事ができず、愚の至りというべきで悲しいことだ。
また、たまたま返り打ちに逢うこともある、痛ましいことではないか。
これは道に似て、道ではないためだ。
そうであれば復讐は政府に懇願するがよい。
政府はまた草を分けても、この悪人を尋ねて刑罰に処するがよい。
自らは、『恨みに報いるに直(なほ)きを以てす』の聖語(論語)にしたがって復讐を止め、家をおさめ、立身出世をはかり、親先祖の名を顕わし、世を益し、人を救うの天理を勤むるがよい。
これが子である者の道であり、すなわち人道である。
世の風習は、人道ではない、修羅道である。
天保の飢饉の時、相州(神奈川県)大磯駅に川崎孫右衛門という者の家が、乱民に打こわされた。
官は乱民を捕えて牢屋に入れ、また川崎孫右衛門をも牢に入れる事3年、孫右衛門は憤怒にたえず、上下を怨んで、上下にこの怨みを報いずにはおくものかと熱望した。
私はこの者に教えるに、復讐は人道ではないという理を解きあかし、富者は貧者を救い、駅内を安んずることが天理である事を教えた。
孫右衛門は決断する事ができなかった。
鎌倉の円覚寺の名僧淡海和尚に質問して、悔悟し、決心して、初めて復讐の念を断って、身代を残らず大磯駅に差し出して、駅内を救助した。
駅内はがぜん一つに和して、孫右衛門を敬愛する事父母のようでなった。
官もまた厚く孫右衛門を賞するにいたった。
私はただ復讐は人道ではない、世を救い世のためを行うことが天理である事を教えただけで、この好結果を得たのだ。
もし過って、復讐のはかりごとを行っていたら、どのような修羅場が起こったかも知れない。
恐るべきである。



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