二宮翁夜話 巻の3【1】~【16】二宮翁夜話巻の3【1】山内董正(やまうちただまさ)氏が所蔵していた幅があった。 孔子が魯の桓公の廟を見たところ欹器(いき)があった。 孔子は廟を管理する者にこれは何という器か尋ねた。 宥坐(ゆうざ)の器だと答えた。 孔子はおっしゃった。 「私は宥坐の器は虚であれば欹、中であれば正、満つるなら覆ると聞いている。 明君はもって至誠となし、だから常にこれをそばに置くと」と。 孔子は弟子に言った。 「試みに水を注いでみなさい」 そこでこれに水を注ぐとまさしくいっぱいになると覆った。 孔子はため息をついておっしゃった。 「ああ、どうして物で満ちて覆らないものがあろうか。」 子路が進み出て言った。 「あえて先生にお尋ねしますが、満をたもつのに道がございますか。」 孔子はおっしゃった。 「聡明で叡智があってもこれを守るに愚をもってし、 功績が天下を覆うようであっても、譲をもってし、 勇気・力があって世を振るうようでもこれを守るに怯をもってし、 天下を有するようでも、謙をもってする。 これをいわゆるこれを損じまたこれを損じるの道である。」 尊徳先生はおっしゃった。 「この図とこの説は面白いが、満の字の説ははっきりとしていない。 また満をたもつ説は、また尽していない。 論語や中庸の語気とは少しへだたりがあるように思える。 何という書に有るのであろうか。」 門人が言った。 「先生、満の字の説、また満をたもつの法をお聞かせ願えませんか。」 先生はおっしゃった。 「世の中で、何をおさえて満というか。 100石を満といえば、500石、800石がある。 1,000石を満といえば5,000石、7,000石がある。 10,000石を満といえば、50万石、100万石がある。 そうであればどういうのをおさえて満と定めようか。 これが世の人々が惑うところなのだ。 おおよそ書籍でいうところは、皆このように言っているが、実際には行うことが難しい。 だから私は人に教えるのに、 100石の者は50石、1,000石の者は500石、 すべてその半分で生活を立てて、その半分を譲りなさいと教えている。 その人の分限によってその中とするところは、各々異なるからである。 これが「允(まこと)にその中を執(と)れ」と中庸にいうところに基づいているのだ。 このようにすれば、各々明白であって迷いもなく疑いもない。 このように教えなければ用を成さないものだ。 私の教えでは、これを推譲の道という。 すなわち人道の極である。 「中であれば正しい」というのにもかなっている。 そしてこの推譲に順序がある。 今年の物を来年に譲るのも譲である、これを貯蓄という。 子孫に譲るのも譲るである、これを家産増殖という。 その他親戚にも朋友にも譲らなければならない。 村里にも譲らなければならない。 国家にも譲らなければならない。 資産のある者は確固とした分度を定めて法を立ててよく譲るがよい。」 ※「欹器」とは水を入れる器で、空っぽのときは傾き、半分ほど入れるとまっすぐ立ち、満杯にするとひっくりかえる。 菜根譚:欹器(いき)は満つるを以って覆(くつがえ)る 【2】翁又曰く、 世人口には、貧富驕倹(けうけん)を唱ふるといへども、何を貧と云ひ何を富と云ひ、何を驕と云ひ何を倹と云ふ理を詳(つまびら)かにせず。 天下固(もと)より大も限りなし小も限りなし、 十石を貧と云へば、無禄の者あり、 十石を富といへば百石のものあり、 百石を貧といへば五十石の者あり、 百石を富といへば千石万石あり、 千石を大と思へば世人小旗本といふ、 万石を大と思へば世人小大名といふ。 然らば、何を認めて貧富大小を論ぜん。 譬へば売買の如し、物と価(あたひ)とを較(くら)べてこそ、下直(したね)高直(たかね)を論ずべけれ、 物のみにして高下を言ふべからず、 価(あたひ)のみにて又高下を論ずべからざるが如し。 是れ世人の惑ふ処なれば、今是を詳かに云べし。 曰く千石の村戸数一百、一戸十石に当る、是自然の数なり。 是を貧にあらず富(とみ)にあらず、大にあらず小にあらず、不偏不倚(い)の中と云ふべし。 此の中に足らざるを貧と云ひ、此の中を越ゆるを富と云ふ。 此の十石の家九石にて経営(いとな)むを是を倹といふ、十一石にて暮すを是を驕奢(けうしや)と云ふ。 故に予常に曰く、 中は増減の源、大小兩名の生ずる処なりと。 されば貧富は一村一村の石高平均度を以て定め、驕倹(けうけん)は一己一己の分限を以て論ずべし。 其の分限に依つては、朝夕膏粱(かうりやう)に飽き錦繍(きんしう)を纏(まと)ふも、玉堂に起臥するも奢(おご)りにあらず、 分限に依つては米飯も奢りなり、茶も煙草(たばこ)も奢りなり。 謾(みだ)りに驕倹(けうけん)を論ずる事勿(なか)れ。 【2】尊徳先生はまたおっしゃった。 「世の中の人は、口には、貧富とか驕倹(きょうけん)を唱えるが、何を貧といい何を富というか、何を驕といい何を倹というか、その理をつまびらかにしない。 天下もとより大も限りがなく小も限りがない。 十石を貧といえば、無禄の者がある。 十石を富といえば、百石の者がある。 百石を貧といえば五十石の者がある。 百石を富といえば千石、万石がある。 千石を大と思えば世の中の人は小旗本という。 万石を大と思えば世の中の人は小大名という。 そうであれば、何を認めて貧富大小を論じようか。 たとえば売買のようなものだ。 その物と価格とをくらべてこそ、安いとか高いと論ずることができよう。 物だけで高い安いを言うことはできない。 価格だけではまた高い安いを論ずることはできないようなものだ。 これが世に中の人が惑うところであるから、今これをつまびらかに言おう。 千石の村で戸数一百、一戸十石に当る、これが自然の数である。 これを貧ではなく富でもない。 大でもなく小でもない、 どちらにも偏らない中というべきである。 この中に足らないのを貧といい、この中を越えるものを富という。 この十石の家において九石で営むのを倹といい、十一石で暮すのをこれを驕奢という。 だから私は常にこう言っている。 中は増減の源であり、大小の名の生ずるところであると。 そうであれば貧富は一村一村の石高平均度をもって定め、驕倹は一己一己の分限をもって論じるべきである。 その分限によっては、朝夕豪勢な料理に飽き、錦の刺繍をほどこした服をまとっても、玉堂に起き臥ししても贅沢とはいえない。 分限によっては米飯も贅沢であり、お茶もタバコも贅沢となる。 みだりに驕倹を論じてはならない。 【3】或(あるひと)問ふ、 推譲の論、未だ了解する事能はず。 一石の身代の者五斗にて暮し、五斗を譲り、十石の者五石にて暮し、五石を譲るは、行ひ難かるべし、如何(いかん)。 翁曰く、 夫れ譲は人道なり、 今日の物を明日に譲り、今年の物を来年に譲るの道を勤めざるは、人にして人にあらず、 十銭取つて十銭遣ひ、廿銭取つて廿銭遣ひ、宵越しの銭(ぜに)を持たぬと云は、鳥獣(とりけもの)の道にして、人道にあらず、 鳥獣には今日の物を明日に譲り、今年の物を来年に譲るの道なし、 人は然らず、今日の物を明日に譲り、今年の物を来年に譲り、其の上子孫に譲り、他に譲るの道あり、 雇人と成つて給金を取り、其も半(なかば)を遣ひ其の半を向来(かうらい)の為に譲り、或(あるひ)は田畑を買ひ、家を立て、蔵を立つるは、子孫へ譲るなり、 是れ世間知らず知らず人々行ふ処、則ち譲道なり。 されば、一石の者五斗譲るも出来難き事にはあらざるべし、 如何(いかん)となれば我が為の譲りなればなり。 此の譲は教へなくして出来安し、是より上の譲りは、教へに依らざれば出来難し。 是より上の譲りとは何ぞ、 親戚朋友の為に譲るなり、郷里の為に譲るなり、猶(なほ)出来難きは、国家の為に譲るなり、 此の譲も到底、我が富貴(ふうき)を維持せんが為なれども、眼前他に譲るが故に難きなり、 家産ある者は勤めて、家法を定めて、推譲を行ふべし。 或(あるひと)問ふ、 夫れ譲は富者の道なり、 千石の村戸数百戸あり、一戸十石なり、是貧にあらず富にあらざるの家なれば、譲らざるも其の分なり、十一石となれば富者の分に入るが故に、十石五斗を分度と定め、五斗を譲り、廿石の者は同く五石を譲り、三十石の者は十石を譲る事と定めば如何(いかん)。 翁曰く、 可なり、 されど譲りの道は人道なり、 人と生るゝ者、譲りの道なくば有るべからざるは、論を待たずといへ共、 人に寄り家に寄り、老幼多きあり、病人あるあり、厄介あるあれば、毎戸法を立て、厳に行へと云といへども、行はるゝ者にあらず、 只富有者に能く教へ、有志者に能く勧めて行はしむべし、 而して此の道を勤むる者は、富貴・栄誉之に帰し、 此の道を勤ざる者は、富貴栄誉皆之を去る、 少しく行へば少しく帰し、 大いに行へば大いに帰す、 予が言ふ処必ず違はじ、 世の富有者に能く教へ度(た)きは此の譲道なり、 独り富者のみにあらず、又金穀(きんこく)のみにあらず、 道も譲らずばあるべからず、畔(あぜ)も譲らずばあるべからず、言も譲らずばあるべからず、功も譲らずばあるべからず、二三子能く勤めよ。 【3】ある人が尊徳先生に問うた。 「推譲の論が、まだ了解することができません。 1石の身代の者が5斗で暮らし、5斗を譲り、10石の者が5石で暮し、5石を譲るというのは、行うことが難かしいようですが、どうでしょう。」 尊徳先生はおっしゃった。 「譲というのは人道である。 今日の物を明日に譲り、今年の物を来年に譲るという道を勤めないのは、人であって人でない、 10銭取って10銭使い、20銭取って20銭遣い、宵ごしの銭を持たないというのは、鳥や獣の道であって、人の道ではない。 鳥や獣には今日の物を明日に譲り、今年の物を来年に譲るという道はない。 人はそうではない、 今日の物を明日に譲り、今年の物を来年に譲り、その上子孫に譲り、他に譲るの道がある、 雇人と成って給金を取って、その半ばを使ってその半ばを将来のために譲って、 あるいは田畑を買い、家を立て、蔵を立てるのは、子孫へ譲るのである。 これは世間で知らず知らずのうちに人々が行っているところで、すなわち譲道である。 そうであれば1石の者が5斗譲るのもできがたいことではなかろう。 なぜならば自分のための譲りであるからである。 この譲りは教えがなくても行いやすい。 これより上の譲りは、教えによらなければ行いがたい。 これより上の譲りとは何か、 親戚・朋友のために譲るのである、郷里のために譲るのである、 なお、行いがたいのは、国家のために譲るのである。 この譲りも結局のところ自分の富貴を維持するためであるけれども、眼の前で他に譲るために難しいのである。 家産のある者は勤めて、家法を定め、推譲を行うがよい。」 ある人が問うた。 「譲は富者の道です。 1000石の村に戸数が100戸あったとして、1戸10石です。 この貧でなく富でもない家であれば、譲らなくともその分であるとし、11石であれば富者の分に入るために、10石5斗を分度と定め、5斗を譲り、20石の者は同く5石を譲り、30十石の者は10石を譲る事と定めればどうでしょうか。」 尊徳先生はおっしゃった。 「それでもよい。 しかし譲りの道は人道である。 人と生れた者は譲りの道がなくてはならないのは、論を待たないといっても、人により家により、老幼が多いところもあり、病人があるものもあり、厄介があるものもあるから、毎戸法を立てて、厳に行えといっても、行われるものでもなかろう。 ただ富有者によく教え、有志の者でよく勧めて行わせるがよい。 そしてこの道を勤める者は、富貴・栄誉はこれに帰し、 この道を勤めない者は、富貴・栄誉は皆これを去る、 少し行えば少し帰り、大きく行えば大きく帰る、 私が言うところは決して違わない。 世の富有者によく教えたいのはこの譲道である。 ひとり富者だけではなく、 また金穀だけでなく、道も譲らなければならない、畔(あぜ)も譲らなければならない、言葉も譲らなければならない、功績も譲らなければならない、 君たちよ、よく勤めなさい。 【4】翁曰く、 世人富貴(ふうき)を求めて止まる事を知らざるは、凡俗の通病なり、是を以て、永く富貴を持(たも)つ事を能はず。 夫れ止まる処とは何ぞや。 曰く、 日本は日本の人の止まる処なり、然らば此の国は、此の国の人の止まる処、其の村は其の村の人の止まる処なり、 されば千石の村も、五百石の村も又同じ、海辺の村山谷の村皆然り、 千石の村にして家百戸あれば、一戸十石に当る、是れ天命、正に止まるべき処なり、 然るを先祖の余蔭(よいん)により百石二百石持ち居るは、有難き事ならずや、 然るに止まる処を知らず、際限なく田畑を買ひ集めん事を願ふは、尤も浅間(あさま)し、 譬(たとえ)ば山の頂(いただき)に登りて猶登らんと欲するが如し、 己絶頂に在つて、猶下を見ずして、上而已(のみ)を見るは、危し、 夫れ絶頂に在つて下を見る時は、皆眼下なり、 眼下の者は、憐むべく恵むべき道理自からあり、然(さ)る天命を有する富者にして、猶己を利せん事而已を欲せば、下の者如何(なん)ぞ貪らざる事を得んや、 若し上下互に利を争はば、奪はざれば飽かざるに到らんこと必せり、 是れ禍の起るべき元因なり、恐るべし、 且つ海浜に生れて山林を羨(うらや)み、山家に住して漁業を羨む等、尤も愚なり、海には海の利あり、山には山の利あり、天命に安んじて其の外を願ふ事勿れ。 【4】尊徳先生はおっしゃった。 「世の人は富と名誉を求めて止まる事を知らないというのが、凡俗の通病である。 それだから、永く富と名誉をたもつことができないのだ。 止まるところとは何か。 日本は日本人の止まるところである。 そうであればこの国(藩)は、この国の人の止まるところ、その村はその村の人の止まるところである。 1000石の村も、500石の村もまた同じ。 海辺の村、山谷の村も皆同じだ。 1000石の村で家が100戸あれば、1戸10石に当たる。 これが天命で、まさに止まるべきところである。 そうであるのに先祖のお蔭で100石200石持っているのは、有り難い事ではないか。 そうであるのに止まるところを知らないで、際限なく田畑を買い集める事を願うのは、大変あさましい。 たとえば山の頂上に登って、なお登ろうと欲するようなものだ。 自分が絶頂に在って、なお下を見ないで、ただ上だけを見るのは、危い。 絶頂にあって下を見る時は、皆眼下である。 眼下の者は、憐むべく恵むべき道理がおのずからあるのだ。 そのような天命の有る富者がなお自分だけ有利であることを欲するならば、下の者はどうして貪欲にならないことがあろうか。 もし上下互いに利を争そうならば、奪いとらなければ満足しないことは必然である。 これが禍の起るべき原因である。 恐るべきことだ。 また海浜に生れて山林をうらやみ、山家に住んで漁業をうらやむなど、もっとも愚かである。 海には海の利がある、山には山の利がある、天命に安んじてその外を願ってはならない。 【5】矢野定直が来て、 「私は今日は思いもかけず、結構なことをうかがって有り難い」と言った。 尊徳先生はおっしゃった。 あなたが今の一言を忘れないで、生涯一日のようであれば、ますます貴くなり、ますます繁栄することは疑いない。 あなたが今日の心を分度と定めて土台とし、この土台を踏み違えないで生涯を終るならば、仁であり忠であり孝である。 その成就するところは計ることができない。 おおよそ、人々は事が成るに当たってすぐに過ってしまうのは、結構におおせられたというのを当り前のように思ってしまい、その結構を土台として、踏み行うためである。 その始めの違いはこのとおりである。 その末は千里の違いとなることは必然である。 人々の身代もまた同じです。 分限の外に入ってくる物を、分内に入れないで、別に貯へ置く時は、臨時の物入りや不慮の入用などに、差しつかえるという事は無いものだ。 また売買の道も、分外の利益を分外として、分内に入れなければ、分外の損失は無いであろう。 分外の損というのは、分外の益を分内に入れるからである。 だから私の道は分度を定めることをもって大本とするは、このためである、 分度が一たび定まるならば、譲り施こす徳が積み重なって、勤めなくても成就するであろう。 あなたが「今日は思いがけず、結構なことをうかがって有り難い」という一言を生涯忘れてはならない。 これが私があなたのために懇ろに祈るところです。 【6】翁曰く、 某藩(それのはん)某氏老臣たる時、予礼譲謙遜を勧むれども用ひず、後終(つひ)に退けらる、今や困乏甚くして、今日を凌ぐ可からず。 夫れ某氏は某藩、衰廃危難の時に当つて功あり、而して今斯(かく)の如く窮せり、 是れ只登用せられたる時に、分限の内にせざる過ちのみ。 夫れ官威盛んに富有自在の時は礼譲謙遜を尽し、官を退きて後は、遊楽驕奢たるも害なし、然る時は一点の誹(そしり)なく、人其の官を妬まず、 進んで勤苦し、退きて遊楽するは、昼勤めて夜休息するが如く、進んでは富有に任せて遊楽驕奢に耽り、退きて節倹を勤むるは、譬へば昼休息して夜勤苦するが如し、 進んで遊楽すれば、人誰か是を浦山(うたやま)ざらん、誰か是を妬(ねた)まざらん。 夫れ雲助の重荷を負ふは、酒食を恣(ほしいまま)にせんが為なり、遊楽驕奢をなさんが為に、国の重職に居るは、雲助等が為(す)る所に遠からず、重職に居る者、雲助の為す処に同じくして、能く久安を保たんや、退けられたるは当然にして、不幸にはあらざるべし。 【6】尊徳先生はおっしゃった。 「ある藩の人が藩の要職であった時、私は礼譲と謙遜を勧めたが用いなかった。 後についに退けられた。 今や困窮がはなはだしく、今日をしのぐこともできない。 その人はその藩が、衰廃で危ないときに当たって功績があった。 そして今このように窮乏している。 これはただ要職に登用された時に、分限の内で生計を立てない過ちがあったからである。 官威が盛んであって。富有が自在である時は礼譲と謙遜を尽し、官を退いて後に遊楽したり贅沢であれば害はない。 その時は一点のそしりもなく、人もその官を妬むこともなく、進んで勤労に励み、退いて遊楽しても、昼に働いて夜休息するようである。 逆に、進んでは富裕にまかせて遊楽や贅沢にふけって、退いて節倹を勤めるのは、たとえば昼休息して夜勤労するようなものだ。 進んで遊楽するならば誰もがこれをうらやましく思うであろう、そしてこれを妬まないものがいようか。 雲助が重荷をかつぐのは、酒食をほしいままにするためである。 遊楽や贅沢をするために、国の重職にいるのは、雲助等がするところに遠くない。 重職にいる者が、雲助のするところに同じようなことをして、よく久安を保つことができようか、退けられたのは当然であって、不幸にあったわけではない。 【7】翁又曰く、 世に忠諫と云ふもの、大凡(おほよ)そ君の好む処に随ひて甘言を進め、忠言に似せて実は阿諛(あゆ)し、己が寵を取らんが為に君を損なふ者少からず、 主たる者深く察して是を明にせずんば有る可(べ)からず。 某藩(それのはん)の老臣某(それ)氏曾て植木を好んで多く持てり。 人あり、某氏に語つて曰く、 何某(なにがし)の父植木を好んで、多く植ゑ置きしを、其の子漁猟のみを好で、植木を愛せず、既に抜取つて捨んとす、 予是を惜んで止めたりと、 只雑話の序に語れり、 某氏是を聞きて曰く、何某の無情甚しいかな、夫れ樹木の如き植ゑ置くも何の害かあらん、 然かるを抜いて捨つるとは如何にも惜き事ならずや、 彼捨てば我拾はん、汝宜しく計らへと、 終に己が庭に移す、 是れ何某なりし人、老臣たる人に取入らん為の謀(はかりごと)にして、某氏其の謀計に落し入られたるなり、 而て某氏何某をして、忠ある者と称し、信ある者と称す、 凡そ此の如くなれば、節儀の人も、思はず知らず不義に陥るなり、 興国安民の法に従事する者恐れざる可(べ)けんや。 【7】尊徳先生はまたおっしゃった。 「世に忠諫というものは、おおよそ君の好むところに随って甘言を進め、忠言に似せて実は阿諛(あゆ:おべんちゃら)し、自分を取り入ってもらおうとするもので、そのため君を損なう者が少くない。 主人は深く察してこれを明らかにしなければならない。 ある藩の老臣がかって植木を好んで多く持っていた。 ある人が、その老臣に語つて言った、 『なにがしの父は植木を好んで、多く植えていたのを、その子が釣りを好んで、植木を愛さないため、せっかく植えたのを抜き取って捨てようとしました。私はこれを惜んで止めました』と、 単なる世間話のついでに語った。 老臣はこれを聞いて言った。 「なにがしの無情は甚しいものだ。樹木ぐらい植え置いたままで何の害があろうか。 それなのに抜いて捨てようとはいかにも惜しいことではないか。 彼が捨てるというなら私は拾おう。汝がよろしく取り計らってもらいた。」 ついに自分の庭に移した、 これはなにがしという人が、老臣に取り入るためのはかりごとであって、その老臣はその謀計に落し入られたのである。 そして老臣はなにがしを、忠義がある者と称し、信ある者と称した。 おおよそこのようであれば、節儀の人も、思わず知らず不義に陥ることになる。 興国安民の法に従事する者は恐れなくてはならない。」 【8】翁曰く、 太古交際の道、互(たがひ)に信義を通ずるに、心力を尽し、四体を労して、交(まじわり)を結びしなり。 如何(いかん)となれば金銀貨幣少きが故なり、後世金銀の通用盛んに成りて、交際の上音信贈答皆金銀を用ふるより、通信自在にして便利極れり、是より賄賂と云ふ事起り、礼を行ふといひ、信を通ずるといひ、終に賄賂に陥り、是が為に曲直明ならず、法度正しからず、信義廃れて、賄賂盛んに行はれ、百事賄賂にあらざれば弁ぜざるに至る。 予始めて、桜町に至る、彼の地の奸民争ふて我に賄賂す、予塵芥だも受けず、是より善悪邪正判然として信義貞実の者初めて顕れたり。 尤も恐るべきは此の賄賂なり、卿等誓ひて、此の物に汚さるゝ事なかれ。 【8】尊徳先生はおっしゃった。 「太古の交際の道は、互いに信義を通ずるのに、心力を尽し、四体を労して、交りを結んだものだ。 なぜかというと金銀貨幣が少なかったためだ。 後世になって金銀の通用が盛んになって、交際上の手段として贈答に皆金銀を用いるようになった。 金銀は、通用が自在で便利この上ない。 これから賄賂という事が起って、礼を行うとか、信を通ずるとかに、ついに賄賂に陥いるようになった。 このために曲直が明らかでなくなり、法度が正しからず、信義がすたれて、賄賂が盛んに行われるようになった。 百事賄賂でなければ用がたせなくなった。 私が始めて、桜町に至ったとき、かの地の奸民は争って私に賄賂しようとした。 私は塵ほども受けなかった。 これから善悪や邪正が判然として信義や貞実の者が初めてあらわれた。 もっとも恐るべきはこの賄賂である。 あなた達は誓ってこの物に汚される事があってはならない。」 【9】伊東発身、斎藤高行、斎藤松蔵、紺野織衛、荒専八等(ら)、侍坐(ぢざ)す。 皆中村藩士なり。 翁諭して曰く、 草を刈らんと欲する者は、草に相談するに及ばず、己が鎌を能く研ぐべし、髭を剃(そ)らんと欲する者は、髭に相談はいらず、己が剃刀を能く研(と)ぐべし、砥(と)に当りて、刃の付かざる刃物が、仕舞置きて刃の付きし例(ためし)なし。 古語に、教ふるに孝を以てするは、天下の人の父たる者を敬する所以(ゆえん)なり、教ふるに悌(てい)を以てするは、天下の人の兄たる者を敬する所以なり、といへり、教ふるに鋸の目を立つるは、天下の木たる物を伐れたる所以なり、教ふるに鎌の刃を研ぐは、天下の草たる物を刈る所以也、鋸(ノコギリ)の目を能立れば天下に伐れざる木なく、鎌の刃を能く研げば、天下に刈れざる草なし、故に鋸の目を能く立れば、天下の木は伐れたると一般、鎌の刃を能く研げば、天下の草は刈れたるに同じ、秤(はかり)あれば、天下の物の軽重は知れざる事なく、桝(ます)あれば天下の物の数量は知れざる事なし、故に我が教への大本、分度を定むる事を知らば、天下の荒地は、皆開拓出来たるに同じ、天下の借財は、皆済成りたるに同じ、是れ富国の基本なればなり、予往年貴藩の為に、此の基本を確乎と定む、能く守らば其の成る処量るべからず、卿等能く学んで能く勤めよ。 【9】伊東発身、斎藤高行、斎藤松蔵、紺野織衛、荒専八らが先生のお側に坐っていた。 皆中村藩士である。 先生が諭してこうおっしゃった。 「草を刈ろうと欲したら、草に相談するには及ばない。 自分の鎌をよく研ぐがよい。 髭を剃ろうと欲する者は、髭に相談はいらない。 己が剃刀をよく研ぐがよい。 砥石に当って、刃の付かない刃物が、しまっておいて刃が付いたためしはない。 古語に、教えるに孝をもってするは、天下の人が父を敬するゆえんである。 教えるに悌を以てするは、天下の人の兄を敬するゆえんである。 教えるに鋸の目を立てれば、天下の木を伐るゆえんである。 教えるに鎌の刃を研げば、天下の草を刈るゆえんである。 鋸の目をよく立てれば天下に伐れない木でなく、鎌の刃をよく研げば、天下に刈れない草はない。だから鋸の目をよく立てれば、天下の木は伐れたの同じだ。 鎌の刃をよく研げば、天下の草は刈れたのと同じだ、 秤があれば、天下の物の軽重は知れない事はなく、 桝(ます)があれば天下の物の数量は知れない事はない。 だから私の教えの大本は、分度を定める事を知れば、天下の荒地は、皆開拓できたのと同じだ。 天下の借財は、皆済がなったと同じだ。 これが富国の基本であるからである。 私は往年貴藩のために、この基本を確固と定めた。 よく守るならばその成るところは量ることができない。 あなたがたはよく学んでよく勤めるがよい。 【10】翁又曰く、 爰に物あり、売らんと思ふ時は、飾らざるを得ず、 譬へば芋大根の如きも、売らんと欲すれば、根を洗ひ枯葉を去り、田甫にある時とは其の様を異にす、 是れ売らんと欲する故なり、 卿等此の道を学ぶとも、此の道を以て、世に用ひられ、立身せんと思ふ事なかれ、 世に用ひられん事を願ひ、立身出世を願ふ時は、本意に違ひ本体を失ふに至り、夫が為に愆(あやま)つ者既に数名あり、卿等が知る所なり、 只能く此の道を学び得て、自ら能く勤むれば、富貴は天より来るなり、決して他に求むる事勿れ、 偖(さて)古語に、富貴天にあり、と云へるを、誤解して、寝て居ても富貴が天より来る物と思ふ者あり、 大なる心得違ひなり、 富貴天に有りとは、己が所行天理に叶ふ時は、求めずして富貴の来るを云ふなり、誤解する事勿れ、 天理に叶ふとは、一刻も間断なく、天道の循環するが如く、日月の運動するが如く勤めて息まざるを云ふなり。 【10】尊徳先生はまたおっしゃった。 「ここに物があるとする。 これを売ろうと思う時は、飾らないわけにはいかない。 たとえば芋や大根のごときも、売ろうとと欲すれば、根を洗って枯葉を去って、田んぼにある時とはその様子を異にする。 これは売ろうと欲するためである。 あなたがた(相馬藩士)はこの道を学んでも、この道をもって、世に用いられ、立身しようと思ってはならない。 世に用られる事を願い、立身出世を願う時は、本意に違い本体を失うに至り、そのためにあやまる者は既に数名ある。 あなたがたも知るところである。 ただよくこの道を学び得て、自らよく勤めるならば、富貴は天より来たるなり、 決して他に求めてはならない。 古語に、富貴天にあり、というのを、誤解して、寝ていても富貴が天より来たる物と思う者がいる。 大いなる心得違いである。 富貴天に有りというのは、自分の行いが天理にかなう時は、求めなくても富貴の来たることをいうのだ。 誤解してはいけない。 天理にかなうとは、一刻も間断なく、天道の循環するがごとく、日月の運動するがごとく勤めて息まないのをいうのだ。 【11】翁曰く、 夫れ世の中に道を説きたる書物、算ふるに暇あらずといへども、一として癖(へき)なくして全きはあらざるなり、如何(いかん)となれば、釈迦も孔子も皆人なるが故なり。 経書といひ、経文と云ふも、皆人の書たる物なればなり。 故に予は不書(かかざる)の経、則ち物言はずして四時行はれ百物なる処の、天地の経文に引当て、違(たが)ひなき物を取つて、違へるは取らず、故に予が説く処は決して違はず、 夫れ燈皿(とうがい)に油あらば、火は消へざる物としれ、 火消ゆへば油尽たりと知れ、 大海に水あらば、地球も日輪も変動なしと知れ、 万一大海の水尽くる事あらば、世界は夫までなり、 地球も日輪も散乱すべし、 其の時までは決して違ひなき我が大道なり。 夫れ我が道は、天地を以て経文とすれば、日輪に光明ある内は行はれざる事なく、違ふ事なき大道なり。 【11】尊徳先生はおっしゃった。 世の中に道を説いた書物は、算えるに暇がないが、一として癖がなく完全なものはない。 なぜかというと、釈迦も孔子も皆人間であるからである。 経書(けいしょ:論語など)といい、経文(きょうもん:お経)といっても、皆人が書いた物だからである。 だから、私は書かざる経典、すなわち物言わずして四時行われ百物がなるところの、天地の経文に引き当てて、違いがない物を取って、違うものは取らない。 だから私が説くところは決して間違いがない。 燈皿(とうがい:火皿)に油があれば、火は消えない物と知るがよい。 火が消えれば油がなくなったと知るがよい。 大海に水があれば、地球も太陽も変動がないと知るがよい。 万一大海の水がなくなる事があれば、世界はそれまでである。 地球も太陽も散乱するであろう。 その時までは決して違いのないわが大道である。 我が道は、天地をもって経文とするから、日輪に光明があるうちは行れない事がなく、違う事がない大道である。 ☆この段は格調が高い。 「私は書かざる経典、すなわち物言わずして四時行われ百物がなるところの、天地の経文に引き当てて、違いがない物を取って、違うものは取らない。 だから私がが説くところは決して間違いがない。」 天上天下唯我独尊といったおももちがある。 尊徳先生は、幼いころから大学や論語を読んでも、そのまま受け取らず、天地の道理にひきあてて納得できたものを実践されてこられたのだ。 「我が道は、天地をもって経文とするから、日輪に光明があるうちは行れない事がなく、違う事がない大道である。」 【12】翁曰く、 家屋(かをく)の事を、俗に家船(やふね)又家台船(やたいぶね)と云ふ、 面白き俗言なり、 家をば実に船と心得ふべし、 是を船とする時は、主人は船頭なり、 一家の者は皆乗合ひなり、 世の中は大海なり、 然る時は、此の家船に事あるも、又世の大海に事あるも、皆遁れざる事にして、船頭は勿論、此の船に乗り合ひたる者は、一心協力此の屋船を維持すべし。 扨て此の屋船を維持するは、楫(かぢ)の取様(とりやう)と、船に穴のあかぬ様にするとの二つが専務なり、 此の二つによく気を付れば、家船の維持疑ひなし。 然るに楫(かぢ)の取様にも、心を用ひず、家船の底に穴があきても、是を塞(ふさが)んともせず、主人は働かずして酒を呑み、妻は遊芸を楽しみ、悴(せがれ)は碁将棋に耽(ふけ)り、二男は詩を作り、歌を読み、安閑として歳月を送り、終に家船をして沈没するに至らしむ、歎息の至りならずや、 縦令(たとひ)大穴ならずとも、少しにても、穴があきたらば、速かに乗合一同力を尽して、穴を塞ぎ、朝夕ともに穴のあかざる様に、能々心を用ゆべし、 是れ此の乗合の者の肝要の事なり、 然るに既に、大穴明きて猶、是を塞がんともせず、 各々己が心の儘(まま)に安閑と暮し居て、誰か塞いで呉れそふな物だと、待つて居て済むべきや、助け船をのみ頼みにして居て済むべきや、船中の乗合ひ一同、身命をも抛(まげう)て働かずば、あるべからざる時なるをや。 【12】尊徳先生はおっしゃった。 「家屋の事を、俗に家船(やふね)また家台船(やたいぶね)と言う。 面白い俗言である。 家を実に船と心得えるがよい。 これを船とする時は、主人は船頭である。 一家の者は皆乗合いといえよう。 世の中は大海である。 その時は、この家船に事あるときや、また世の大海に事あるときも、皆逃れられない事であって、船頭は勿論、この船に乗り合せた者は、一心協力してこの屋船を維持すべきである。 さてこの屋船を維持するのには、かじの取りようと、船に穴があかないようにするという二つが大切である。 この二つによく気を付ければ、家船の維持は疑いない。 それであるのにかじの取りようにも、心を用いず、家船の底に穴があいても、これを塞ごうともしないで、主人は働かないで酒を飲み、妻は遊芸を楽しんで、せがれは碁や将棋にふけって、二男は詩を作り、歌を読んで、安閑と歳月を送って、終に家船を沈没するにいたらしめる。 歎息の至りではないか。 たとえ大穴でなくても、少しでも穴があいたならば、すぐに乗合一同力を尽して、穴をふせぎ、朝夕ともに穴のあかないように、よくよく心を用いるがよい。 これがこの乗合いの者の大切な事である。 そうであるのに既に大穴があいてなお、これをふさごうともしないで、各々自分の心のままに安閑と暮していて、誰かがふさいでくれそうな物だと、待っていてすむであろうか。 助け船を頼みにしていてすむであろうか。 船中の乗合いの一同、身命をもなげうって働かなければならない時ではないか。 【13】某村に貧人の若者あり、困窮甚しといへども、心掛け宜し、 曰く、 我が貧窮は宿世(すくせ)の因なるべし、 是れ余儀なき事なり、 何卒(なにとぞ)して、田禄を復古し、老父母を安んぜんと云ひて、昼夜農事を勉強せり、 或る人両親の意なりとて、嫁を迎へん事を勧む、 某曰く、 予至愚且(かつ)無能無芸、金を得るの方を知らず、 只農業を勉強するのみ、仍て考ふるに、只妻を持つ事を遅くするの外、他に良策無しと決定せりと云ひて、固辞す。 翁是を聞きて曰く、 善哉(よいかな)其の志や、 事を為さんと欲する者は勿論、一芸に志す者といへども、是を良策とすべし、 如何となれば人の生涯は限りあり、年月は延す可らず、 然らば妻を持つを遅くするの外、益を得るの策はあらざるべし、誠に善き志なり、 神君の遺訓にも、己が好む処を避けて、嫌ふ処を専ら勤むべし、とあり、 我が道は尤も此の如き者を賞すべし、等閑(なほざり)に置く可からず、 世話掛たる者心得あるべし、 夫れ世の中好む事を先にすれば、嫌ふ処忽に来る、嫌ふ処を先にすれば、好む処求ずして来る、 盗(ぬすみ)をなせば追手が来り、物を買へば代銀(だいぎん)を取りに来る、金を借用すれば返済の期が来り、返さゞれば差紙が来る、是れ眼前の事なり。 【13】ある村に貧しい若者があった。 困窮がひどいといっても、心掛けはよかった。 彼が言うに 「私の貧窮は前世の宿因であろう。やむをえない。 なんとかして、先祖伝来の田畑をを昔のように復し、老いた父母を安心させたいものだ」と言って、昼夜農事を勉め励んだ。 ある人がご両親の望みだと言って、嫁を迎える事を勧めた。 若者は言った。 「私は愚かでかつ無能・無芸であり、金を得る方法を知らない。 ただ農業を勉め励むだけで、そこで考えるに、ただ妻を持つ事を遅くするほか、他に良策はないと心に決めています」と言って、固辞した。 尊徳先生はこれを聞いておっしゃった。 「善いことだ、その志は。 事を為そうと欲する者はもちろん、一芸に志す者でも、これを良策とするべきだ。 なぜなら人の生涯は限りがある。 年月は延すことはできない。 そうであれば妻を持つのを遅くするほかには、益を得る方策はないであろう。 誠に善い志である。 神君の遺訓でも、自分が好む処を避けて、嫌うところを専ら勤めるべきである、とある。 私の道はもっともこのような者を賞するべきである。 なおざりにしてはならない。 世話掛けたる者は心得えなければならないことだ。 世の中は好む事を先にするならば、嫌うところがたちまちに来たる、 嫌うところを先にするならば、好むところは求めなくても来たる、 盗みをすれば追手が来たり、 物を買えば代金を取りに来たる、 金を借用すれば返済の期限が来たり、 返さなければ差し押さえ状が来たる、 これは眼前の事である。 【14】門人某(それ)、過(あやまち)て改(あらたむ)る事あたはざるの癖(へき)あり、 且つ多弁にして常に過ちを飾る、 翁諭して曰く、 人誰か過ちなからざらん、過ちと知らば、己に反求(はんきう)して速かに改むる、是れ道なり、 過て改めずして、其の過を飾り且つ押張るは、智に似たり勇に似たりといへども、実は智にあらず勇にあらず、汝は之を智勇と思へども、是は是れ愚且つ不遜といふ物にして、君子の悪(にく)む処なり、能く改めよ。 且つ若年の時に言行共に能く心を付くべし、 嗚呼馬鹿な事を為したり、為なければよかりし、言はなければよかりし、と云ふ様なる事のなき様に心掛くべし、 此の事なければ富貴其の中にあり。 戯れにも偽りを云ふ事勿れ、偽言より大害を引起し、 一言の過より、大過を引出す事、往々あり、 故に古人禍は口より出づと云り、人を誹(そし)り人を云ひ落すは不徳なり、 仮令(たとひ)誹(そし)りて至当の人物なりとも、人を誹るは宜しからず、 人の過を顕(あらはす)すは、悪事なり、 虚を実に云ひなし、鷺(さぎ)を烏(からす)と云ひ、針程の事を、棒程に云ふは大悪なり、 人を褒るは善なれども、褒め過すは直き道にあらず、己が善を人に誇り、我が長を人に説くは尤も悪(わろ)し、 人の忌嫌(いみきら)ふ事は、必ず云ふ事勿れ、 自ら禍の種を植ゑるなり、慎むべし。 【14】門人で過って改めることができない癖のある者がいた。 その者は多弁で常に過ちを飾っていた。 尊徳先生は諭しておっしゃった。 「人は誰でも過ちをおかすものだ。 過ちと知れば、自分で反省してすぐに改める、これが道である。 過って改めないで、その過ちを飾ってかつ押し張るのは、智や勇に似ているようだが、実は智でもなく勇でもない。 汝はこれを智勇と思っているかもしれないが、これは愚かつ不遜というもので、君子が憎むところである。 よく改めなさい。 若年の時は、言葉と行動とともによく心を付けなさい。 ああ馬鹿な事をした、しなければよかった、言わなければよかったというような事のないように心掛けなさい。 この事がなければ富貴はその中にある。 戯れにも偽りを言ってはならない。 偽りの言葉から大害を引き起し、一言の過ちより、大きな過ちを引き出す事が往々にしてあるのものだ。 だから古人は禍いは口から出ると言った。 人を誹って人を言い落すのは不徳である。 たとえ誹って当然の人物であっても、人を誹るのはよろしくない。 人の過ちを顕わすのは、悪事である。 虚を実にいいなし、鷺を烏といい、針ほどの事を、棒ほどに言うのは大悪である。 人を褒めるのは善であるけれども、褒めすぎるのは直き道ではない。 自分の善を人に誇って、自分の長所を人に説くのはもっとも悪い。 人の忌み嫌う事は、必ず言ってはならない。 自ら禍の種を植えるものだ。 慎しまなければならない。 【15】翁の歌に 「むかしより人の捨てざるなき物を拾ひ集めて民に与へん」 とあるを、山内董正氏見て、是は人の捨てたると云ふべしと云へり、 翁曰く、然る時は人捨てざれば拾ふ事あたはず、甚だ狭し、且つ捨てたるを拾ふは僧侶の道にして、我が道にあらず、 古歌に 「世の人に欲を捨てよと勧めつゝ跡より拾ふ寺の住職」 と云へり、呵々。 董正氏曰く、捨てざる無き物とは如何、 翁曰く、 世の中人の捨てざる物にして無き物至つて多し、挙て数ふ可からず、 第一に荒地、第二に借金の雑費と暇潰し、第三に富人のえ驕奢、第四に貧人の怠惰等なり、 夫れ荒地の如きは、捨てたる物の如くなれども、開かんとする時は、必ず持主ありて容易に手を付くべからず、是れ無き物にして、捨てたる物にあらず、又借金の利息借替成替の雑費、又同じ類なり、捨てるにあらずして、又無き物なり、 其の外富者の驕奢の費、貧者の怠惰の費、皆同じ、世の中此の如く、捨つるにあらずして廃れて、無に属するもの幾等もあるべし、 能く拾ひ集めて、国家を興す資本とせば、普く済ふて、猶余あらん、 人の捨てざる無き物を、拾ひ集むるは、我が幼年より勤むる処の道にして、今日に至る所以なり、則ち我が仕法金の本根なり、能心を用ひて拾ひ集めて世を救ふべし。 【15】尊徳先生の歌に 「むかしより人の捨てざるなき物を拾い集めて民に与えん」 とあるのを、 山内董正氏が見て、 「これは人の捨てたるというべきではないか。」と言った。 尊徳先生はおっしゃった。 「そのような時は人が捨てなければ拾う事ができません。 はなはだ狭うございます。 捨てたるを拾うのは、僧侶の道で、私の道ではありません。 古歌に 「世の人に欲を捨てよと勧めつつ跡より拾う寺の住職」とあります。ハハ。 董正氏は言った。 「捨てざる無き物とは何か。」 尊徳先生はおっしゃった。 「世の中の人が捨てない物で無き物がいたって多いのです。 挙げて数うことができません。 第一に荒地、第二に借金の雑費と暇潰し、第三に富人の驕奢、第四に貧人の怠惰等です。 荒地のごときは、捨てたる物のごとくですけど、開こうとする時は、必ず持主があって容易に手を付けることができません。 これは無き物で、捨てたる物ではありません。 また借金の利息、借替・成替の雑費、また同じ類です。 捨てたのではなく、また無き物です。 そのほか富者の驕奢の費、貧者の怠惰の費えも皆同じです。 世の中このように、捨てたのではなくて廃れて、無に属するもの幾等もありましょう。 よく拾い集めて、国家を興す資本とすれば、あまねく救って、なお余りがありましょう。 人の捨てない無き物を、拾い集めるは、私が幼年から勤めるところの道であって、今日に至るゆえんです。 すなわち私の仕法金の本根です。 よく心を用いて拾い集めて世を救うべきです。」 【16】翁曰く、 我が道は、荒蕪を開くを以て勤めとす、 而して荒蕪に数種あり、 田畑実に荒れたるの荒地あり、 又借財嵩(かさ)みて、家禄を利足の為に取られ、禄ありて益なきに至るあり、 是れ国に取つて生地(せいち)にして、本人に取つて荒地なり、 又薄地麁田(そでん)、年貢高掛り丈の取実のみにして、作益なき田地あり、 是れ上の為に生地にして、下の為に荒地なり、 又資産あり金力ありて、国家の為をなさず、徒に驕奢に耽り、財産を費すあり、国家に取つて尤も大なる荒蕪なり、 又智あり才ありて、学問もせず、国家の為も思はず、琴棋(きんき)書画などを弄して、生涯を送るあり、世の中の為め尤も惜むべき荒蕪なり、 又身体強壮にして、業を勤めず、怠惰博奕に日を送るあり、 是又自他の為に荒蕪なり、 此の数種の荒蕪の内、心田荒蕪の損、国家の為に大なり、 次に田畑山林の荒蕪なり、皆勤て起さずばあるべからず、 此の数種の荒蕪を起して、悉く国家の為に供するを以て、我道の勤とす 「むかしより人の捨ざる無き物を拾集めて民にあたへん」 是れ予が志なり。 【16】尊徳先生はおっしゃった。 「私の道は、荒蕪を開くをもって勤めとする。 そして荒蕪に数種類ある。 田畑には実際に荒れた荒地がある。 また借財がかさんで、家禄を利息のために取られ、禄があっても益がないに至るものがある。 この国にとって生産の土地であっても、本人にとっては荒地である。 また薄地・粗末な田、年貢が高くかかるだけで、作益なき田地がある。 これは上のために生産の土地だが、下のためには荒地である。 また資産があり金力があって、国家のために何もなさず、いたずらに贅沢にふけって、財産を費やす者がある。 国家にとってもっとも大いなる荒蕪である。 また智慧もあり、才能もありながら、学問もしないで、国家のためも思わないで、琴や囲碁将棋、書画などをもてあそんで、生涯を送る者がある。 世の中のため、もっとも惜しむべき荒蕪である。 また身体強壮でありながら、家業を勤めないで、怠惰やバクチに日を送る者がある。 これもまた自他のために荒蕪である。 これ数種の荒蕪のうち、心田が荒蕪している損が、国家のために大である。 次に田畑山林の荒蕪がある。 皆勤めて起さなければならない。 この数種の荒蕪を起して、ことごとく国家のために供することをもって、私の道の勤めとする。 「むかしより人の捨ざる無き物を拾集めて民にあたへん」 これが私の志である。 ☆これが二宮尊徳先生の志である。 まず人の心の田を開き、勤勉・分度・推譲の徳を身につけさせることによって困窮した民が自らをを救うことができるようにする。 心の田が荒れていることが、一番の荒蕪なのである。 |