二宮翁夜話 巻の3【17】~【40】二宮翁夜話巻の3【17】翁曰く、 孝経に、孝弟の至りは神明に通じ、四海に光りおよばざる処なし、 又東より西より、南より北より、思うて服せざる事なしと、 此の語俗儒の説何の事とも解し難し、 今解し易く引下して云はゞ、 夫れ孝は、親恩に報うの勤なり、 弟は、兄の恩に報うの勤なり、 凡て世の中は、恩の報はずばあるべからざるの道理を能く弁知すれば、百事心の儘なる者なり、 恩に報うとは、借りたる物には利を添へて返して礼をいひ、世話に成つた人には能く謝儀をし、買ひ物の代をば速かに払(ハラ)ひ、日雇賃をば日々払ひ、総て恩を受けたる事を、能く考へて能く報う時は、世界の物は、実に我が物の如く何事も欲する通り、思ふ通りになる、 爰(ここ)に到りて、神明に通じ、四海に光り、西より東より、南より北より、思(おもひ)として服せざる事なしとなるなり、 然るに、ある歌に「三度たく飯さへこはしやはらかし思ふまゝにはならぬ世の中」と云へり、 甚だ違へり、 是れ勤むる事も知らず働く事もせず、人の飯を貰ふて食ふ者などの詠めるなるべし、 夫れ此の世の中は前に云へるが如く、恩に報う事を厚く心得れば、何事も思ふまゝなる物なり、 然るを思ふ儘にならぬと云ふは、代を払はずして品を求め、蒔かずして、米を取らんと欲すればなり、此の歌初句(はじめのく)を「おのがたく」と直して、我が身の事にせば可ならんか。 【17】尊徳先生がおっしゃった。 「孝経に、『孝弟の至りは神明に通じ、四海に光りおよばざる処なし、また東より西より、南より北より、思うて服せざる事なし』と。 この言葉は俗儒の説くところは、何の事とも解りがたい。 今わかりやすく引き下して言うならば、 孝とは、親の恩に報いるの勤めである。 弟は、兄の恩に報いる勤めである。 すべて世の中は、恩を報わなければならない、この道理をよく心得れば、百事心のままになるものである。 恩に報いるとは、借りた物には利を添えて返して礼を言い、世話になった人にはよく謝礼をし、買い物の代金はすぐに払い、日雇の賃金は日々払って、総て恩を受けた事を、よく考えてよく報いる時は、世界の物は、実に自分の物のように何事も欲するとおり、思うとおりになる、 ここにに到って、神明に通じ、四海に光り、西より東より、南より北より、思うとして服さないことはないようになるのである。 それなのに、ある歌に 「三度たく飯さへこはしやはらかし思ふまゝにはならぬ世の中」 と言う。 大変間違っている。 これは勤める事も知らず、働く事もしないで、人の飯を貰って食う者などの詠んだものであろう。 この世の中は前に言ったとおり、恩に報いる事を厚く心得るならば、何事も思うままになるものである。 それなのに思うままにならないというのは、代金を払わないで品物を求め、蒔かないで、米を収穫しようと欲するからである。 この歌の初め句を「おのがたく」と直して、自分の身の事にすれば、少しはよかろうか。 ☆孝経「子曰く、それ孝は徳の本なり。教(おしえ)のよって生ずるところなり。・・・ 子曰く、親を愛する者は、あえて人を悪(にく) まず。 親を敬する者は、あえて人を慢(あなど)らず。 愛敬(あいけい)親に事(つか)うるに尽(つく)して、徳教百姓(ひゃくせい) に加わり、四海に刑(のっと) る。蓋(けだ)し天子の孝なり。 ・・・ 天の道を用(もち)い、地の利を分(わか)ち、身を謹み用を節し、以て父母を養う。これ庶人の孝なり、と。 ゆえに天子より庶人に至るまで、孝に終始なくして、患(わざわ)いの及ばざる者は、いまだこれあらざるなり。 曽子曰く、甚(はなは)だしいかな、孝の大なるや。 子曰く、それ孝は天の経(けい)なり、地の義なり、民の行いなり。 ・・・ 人の行いは、孝より大なるはなし。・・・ 子曰く、孝子の親に事(つか)うるや、居(おる)にはすなわちその敬を致し、養(やしない)にはすなわちその楽(たのしみ)を致し、病(やまい)にはすなわちその憂(うれい)を致し、喪(も)にはすなわちその哀(かなしみ)を致し、祭(まつり)にはすなわちその厳(げん)を致す。五つのもの備わりて、しかる後よく親に事う。 親に事うる者は上(かみ)に居て驕(おご)らず、下(しも)となって乱れず、醜(もろもろ)に在って争わず。 ・・・ 宗廟(そうびょう)に敬を致せば親を忘れざるなり。 身を修め行いを慎むは、先を辱(はずかし)めんことを恐るるなり。 宗廟に敬を致せば鬼神著(あらわ)る。 孝悌の至りは神明に通じ、四海に光(み)ち、通ぜざるところなし。 詩に云く、「西より東より、南より北より、思うて服せざるなし」と。 【18】翁曰く、 子貢曰く、 紂(ちう)の不善此の如く甚しからず、 是を以て君子は下流に居るを悪(にく)む、 天下の悪皆帰すとあり、 下流に居るとは、心の下(くだ)れる者と共に居るを云ふ、 夫れ紂王も天子の友とすべき者、則ち上流の人をのみ友となし居らば、国を失ひ悪名を得る事も有るまじきに、 婦女子佞悪者のみを友となしたる故に、国亡びて悪是に帰したり、 只紂王のみ然るにあらず、人々皆然り、 常に太鼓持や、三味線引などゝのみ交り居らば、忽ち滅亡に至るは必定、 夫も御尤是も御尤と、錆付く者のみと交らば、正宗の名刀といへども腐れて用立ざるに至らん、 子貢はさすが、聖門の高弟なり、 紂の不善此の如く甚しからずといひ、是を以て君子は下流に居る事を悪むと教へたり、 必紂が不善も、後世伝ふるが如く甚しきにはあらざるなるべし、 汝等自ら戒めて下流に居る事なかれ。 【18】尊徳先生はおっしゃった。 子貢は言った。 紂(ちゅう)王の不善はこのようにひどいものではなかろう。 これを以て君子は下流に居るをにくむ、 天下の悪は皆これに帰する、とある。 下流に居るとは、心の下った者とともにいることをいう。 紂王も天子の友とするべき者、上流の人をだけ友となすならば、国を失い、悪名を得る事も有ることがなかろうに、婦女子が佞悪者だけを友としたために、国は滅びたために悪がこれに帰したのだ。 ただ紂王だけのことではない。 人々皆同じだ。 常に太鼓持ちや、三味線引などとだけ交ったならば、たちまち滅亡に至るは必定である。 それもごもっとも、これもごもっともと、錆付く者とのみと交わるならば、正宗の名刀であっても腐れて用いる役立てることができないであろう。 子貢はさすがに、聖門の高弟である。 紂の不善此の如く甚しからずといい、これをもって君子は下流に居る事を悪(にく)むと教えた。 必ず紂の不善も、後世伝えるように甚しいことはなかったであろう。 なんじらも自ら戒めて下流にいてはならない。 【19】翁曰く、 堯仁を以て天下を治む、 民歌つて曰く、 井を掘つて以て飲み、田を耕して以て喰ふ、帝の力何ぞ我に有らんやと、 是堯の堯たる所以にして、仁政天下に及んで跡なきが故なり、 子産の如きに至つては、孔子、恵人といへり。 【19】尊徳先生はおっしゃった。 「堯(ぎょう)は仁をもって天下を治めた。 民は歌って言った。 井戸を掘って飲み、田を耕して食らう、 皇帝の力ななんぞ我にかかわりが有ろうか」と。 これが堯の堯であるゆえんであって、仁政が天下に及んで跡がないようであるためである。 名宰相の子産のごときにいたっては、孔子は「恵人」と呼んだ。 【20】翁曰く、 論語に、孔子に問ふ時、孔子知らずと答ふる事しばしばあり。 是は知らざるにあらず、教ふべき場合にあらざると、教ふるも益なき時となり。 今日金持の家に借用を云ひ込むに、先方にて折悪く金員なしと云ふに、同じ場合なり、 知らずと云ふに大(だい)なる味ひあり、 能く味ひて其の意を解すべし。 【20】尊徳先生がおっしゃった。 論語に、孔子に問う時、孔子が知らずと答える事がしばしばある。 これは知らないのではなく、教える場合ではないのと、教えてもためにならない場合がある。 今日、金持の家に借用を申し込むのに、先方で折りあしく金がないというのと、同じ場合である。 知らずということに大きな味わいがある。 よく味わってその意味を解しなさい。 【21】翁曰く、 哀公問ふ、 年饑ゑて用足らず是を如何、 有若答へて曰く、 何ぞ徹せざるやと、 是れ面白き道理なり、 予常に人を諭す、 一日十銭取つて足らずんば、九銭取るべし、 九銭取つて足らずんば、八銭取るべしと、 夫れ人の身代は多く取れば益々不足を生じ、少く取りても、不足なき物なり、 是れ理外の理なり。 【21】尊徳先生がおっしゃった。 論語で哀公が 「今年は飢饉で必要な税が不足している。こんなときどうすればよいのでしょうか」 有若(孔子の弟子)が答えて言った。 「どうして租税を半額(10分の1税)にしないのですか。」 これは面白い道理である。 私は常に人を諭すに、 一日で十銭取って足らなければ、九銭取るがよい。 九銭取って足らなければ、八銭取るがよい。 人の身代というものは、多く取ればますます不足を生ずる。 少なく取っても、不足がない物である、 これは理外の理である。 ■顔淵第十二 297 〔読み下し〕 哀公(あいこう)、有若(ゆうじゃく)に問(と)うて曰(いわ)く、 年(とし)饑(う)えて用(よう)足(た)らず、之(これ)を如何(いか)にせん。 有若対(こた)えて曰く、 盍(なん)ぞ徹(てつ)せざるや。 曰く、二すら吾(われ)猶(なお)足らず、之を如何んぞそれ徹せんや。 対えて曰く、百姓(ひゃくせい)足らば、君(きみ)孰(たれ)と与(とも)にか足らざらん。 百姓足らずんば、君孰と与にか足らん。 〔通釈〕 魯の哀公が有若に「今年は飢饉で財政がままならぬが、どうしたものだろうか?」と問うた。 有若は「どうして徹(十分の一税)を実施しないのですか?」と云った。 哀公は「既に十分の二税を徴収してもまだ足りないというのに、どうして徹などできようか」と云った。 これに対して有若は、 「人民が豊かになれば君主も富み、人民が貧しければ君主も貧しくなるというのが為政の常道ではありませんか。」と云った。 【22】翁曰く、 君子は、食飽かん事を求むる事なく、居安からん事を求むる事なし、仕事は骨を折り、無益の言は云はず、其の上に有道に就いて正す、余程誉むるならんと思ひしに、学を好むと云ふべきのみとあり、聖人の学は厳なる物なり、今日の上にいはゞ、酒は呑まず仕事は稼ぎ、無益の事は為さず、是れ通常の人なり、と云へるが如し。 【22】尊徳先生はおっしゃった。 君子は、食は飽きることを求める事がなく、居宅は安楽であることを求める事もない。 仕事は骨を折って働き、無益の言葉は言わず、その上に道の人があればこれについて正す。 よほど誉めるかと思うに、学問を好むというだけである。 聖人の学はこのように厳格なものである。 今日の上で言えば、酒は呑まず仕事はよく稼いで、無益の事はなさない、これが通常の人であると言うようなものである。 <論語01-14> 子の曰わく、君子は食飽かんことを求むること無く、居安からんことを求むること無し。事に敏にして言に慎み、有道に就きて正す。学を好むと謂うべきのみ。 先生がいわれた、「君子は腹いっぱいに食べることを求めず、安楽な家に住むことを求めない。仕事によくつとめて、ことばを慎重にし、[しかもなお]道義を身に付けた人に就いて[善しあしを]正してもらうというようであれば、学を好むといえるだろうね」 【23】翁曰く、儒に大極無極の論あれど、思慮の及ぶを大極と云ひ、思慮の及ばざるを無極と云へるのみ、 思慮及ばずとて、無と云ふべからず、遠海波なし遠山木なしと云へど、無きにあらず、 我が眼力の及ばざるなり、是れに同じ。 【23】尊徳先生はおっしゃった。 儒教で大極と無極という論がある。 思慮が及ぶのを大極といい、思慮の及ばないのを無極といっただけだ。 思慮が及ばないからといって、無いというわけではない。 遠海に波がなく、遠山に木がないようだが、無いわけではない。 自分の眼力が及ばないのと同じことだ。 【24】翁曰く、 大学に、安んじて而して后能く慮り、 慮りて而して后能く得、 とあり、 真に然るべし、世人は大体苦し紛れに、種々の事を思ひ謀る故に、皆成らざるなり、 安んじて而して后に能く慮りて、事を為さば、過(あやま)ちなかるべし、而して后に能く得ると云へる、真に妙なり。 【24】尊徳先生がおっしゃった。 「大学」に、「安んじて、しかしてのち、よく慮(おもんぱか)り、慮りて、しかしてのちよく得」とある。 誠にそのとおりである。 世人は大体苦しまぎれに、種々の事を思いはかるために、皆成らないのである。 安んじて、しかしてのちによく慮って、事をなすならば、過ちがないであろう。 しかしてのちによく得るという。 誠に妙である。 【25】翁曰く、 才智勝(すぐ)れたる者は、大凡道徳に遠き物なり、 文学あれば申韓を唱へ、文学なければ三国志太閤記を引く、 論語中庸などには一言も及ばざる物なり、 如何となれば、道徳の本理は才智にては解せぬものなればなるべし、 此の流の人は必ず行ひ安き中庸を難しと為る物なり、 中庸に、賢者は之に過ぐ、とあり、 うべなり、 凡そ世人は、太閤記三国誌等の俗書を好めども、甚だ宜(よろ)しからず、 さらでだに争気(そうき)盛んに、偽心萌(きざ)し初る若輩の者に、かゝる書を読ましむるは悪し、世人太閤記三国誌等を能く読めば、怜利になるなどゝ云ふは誤りなり、心すべし。 【25】尊徳先生がおっしゃった。 才知が勝れた者は、おおよそ徳に遠いものである。 学問があれば申韓(重刑主義の法家の申不害と韓非子)を主張し、 学問がなければ三国志や太閤記を引用する。 論語や中庸などには一言も及ばないものである。 なぜかといえば、道徳の本理は才知では理解できないものだからである。 この類の人は必ず実行することがやさしい中庸を難かしい難しいと言うものである。 中庸に、賢者はこれに過ぎる、とある、もっともなことだ。 おおよそ世人は、太閤記や三国誌などの俗書を好むけれども、大変よろしくない。 そうでなくても争う気が盛んであるのに、偽心が起きはじめる若者に、このような書物を読ませるのは悪いことだ。 世人が太閤記や三国誌などをよく読めば、利口になるなどというのは誤りである、心しなければならない。 【26】翁曰く、 仏者も釈迦が有難く思はれ、儒者も孔子が尊く見ゆる内は、能く修行すべし、 其の地位に至る時は、国家を利益し、世を救ふの外に道なく、世の中に益ある事を勤るの外に道なし、 譬へば山に登るが如し、 山の高く見ゆる内は勤めて登るべし、 登り詰れば外に高き山なく、四方共に眼下なるが如し、 此の場に至つて、仰ぎて弥々高きは只天のみなり、 此処まで登るを修行と云ふ、 天の外に高き物ありと見ゆる内は勤めて登るべし学ぶべし。 【26】尊徳先生はおっしゃった。 仏者も釈迦がありがたく思われ、儒者も孔子が尊く見えるうちは、よく修行するべきである。 その地位に至る時は、国家を利益し、世を救うのほかに道はなく、世の中に益ある事を勤めるほかに道はない。 たとえば、山に登るようなものだ。 山が高く見えるうちは勤めて登るべきである。 登りつめたら外に高い山はなく、四方ともに眼下であるようなものだ。 この場に至って、仰いでいよいよ高いのはただ天だけである。 ここまで登るのを修行という。 天の外に高いものがあると見えるうちは勤めて登るがよい。学ぶがよい。 【27】翁曰く、 何程勉強すといへ共、何程倹約すといへ共、歳暮に差支へる時は、勉強も勉強にあらず、倹約も倹約にあらず、 夫れ先んずれば、人を制し、後るれば、人に制せらるといふ事あり、 倹約も先んぜざれば、用をなさず、後る時は無益なり、世の人此の理に暗し、 譬へば千円の身代、九百円に減ると、先づ一年は他借を以て暮す、 故に又八百円に減るなり、 此の時初めて倹約して、九百円にて暮す故に、又七百円に減る、 又改革をして、八百円にて暮す、年々此の如くなる故、労して功なく、終に滅亡に陥るなり、 此の時に至て、我れ不運なりなどゝ云ふ、 不運なるにあらず、後るゝが故に、借金に制せられしなり、 只此の一挙、先んずると後るゝとの違ひにあり、 千円の身代にて九百円に減らば、速かに八百円に引き去つて暮しを立つべし、 八百円に減らば、七百円に引き去るべし、 之ヲ先んずると云ふなり、 譬へば難治の腫物(しゆもつ)の出で来たる時は、手にても足にても断然切つて捨つるが如し、姑息(こそく)に流れ、因循する時は、終に死に至り悔ひて及ばざるに至る、恐るべし。 【27】尊徳先生はおっしゃった。 どれほど勤め励んでも、なにほど倹約しても、歳の暮れに差しつかえる時は、勤勉も勤勉ではなく、倹約も倹約でもない。 先んずれば、人を制し、後れると、人に制せられるといふ事がある。 倹約も先んじなければ、用をなさない。 後れる時は無益である。 世の人はこの理に暗い。 たとえば1,000円の身代が、900円に減ると、まず一年は他から借りて暮す、 そこでまた800円に減る。 この時初めて倹約して、900円で暮すために、また700円に減る、 また改革をして、800円で暮す、 年々このようにするために、労して効果がなく、ついには滅亡に陥いるのである。 この時になって、自分は不運であるなどと言う。 これは不運なのではない、後れるために、借金に制せられたのである。 ただこの一挙、先んずるのと後れるのとの違いにある。 1,000円の身代で900円に減らせば、すぐに800円に引き去って暮しを立てるべきである。 800円に減らせば、700百円に引き去るべきである。 これを先んずるというのである。 たとえばば難治の腫れ物のできた時は、手でも足でも断然切て捨てるようなものだ。 姑息に流れためらう時は、ついに死に至り悔いても及ばないようになる、恐るべきことではないか。 【28】翁曰く、 国家の盛衰存亡は、各々利を争ふの甚しきにあり、 富者は足る事をしらず、世を救ふ心なく、有るが上にも願ひ求めて、己が勝手のみを工夫し、天恩も知らず国恩も思はず、貧者は又何をかして、己を利せんと思へ共、工夫あらざれば、村費の納む可きを滞り、作徳の出すべきを出さず、借りたる者を返さず、貧富共に義を忘れ、願ひても祈りても出来難き工夫のみをして、利を争ひ、其の見込みの外れたる時は身代限りと云ふ、 大河のうき瀬に沈むなり、 此の大河も覚悟して入る時は、溺れ死するまでの事はなき故、又浮み出る事も向ふの岸へ泳ぎ付く事も、あるなれども、覚悟なくして、此の川に陥ひる者は、再浮み出る事出来ず、身を終ふるなり、 愍む可し、我が教は世上かゝる悪弊を除きて、安楽の地を得せしむるを勤めとす。 【28】尊徳先生はおっしゃった。 国家の盛衰や存亡は、各々利を争うことの甚しいことから起こる。 富者は足る事をしらないで、世を救う心もなく、有るが上にも願い求めて、自分の勝手だけを工夫し、天の恩も知らず、国の恩も思わず、 貧者はまた何とかして、自分のみ利せんと思うけれども、工夫がないから、村費の納めるべきを滞らせ、収穫した租税を出さず、借りたものを返さず、 貧富ともに義を忘れて、願っても祈ってもできがたい工夫のみをして、利を争い、その見込が外れた時は身代限りという。 大河のうき瀬に沈んでしまう。 この大河も覚悟して入る時は、溺れ死ぬまでの事はない。浮んで出る事も向うの岸へ泳ぎつく事も、あるだろうが、覚悟がなくて、この川に落ちる者は、再び浮び出る事はできず、身を終わるのである。 なんとあわれなことではないか。 私の教えは世上このような悪弊を除いて、安楽の地を得させることを勤めとする。 【29】翁曰く、 天下国家、真の利益と云ふものは、尤も利の少き処にある物なり、 利の多きは、必ず真利にあらず、 家の為土地の為に、利を興さんと思ふ時は、能く思慮を尽くすべし。 【29】尊徳先生はおっしゃった。 天下国家、真の利益というものは、もっとも利の少いところにある。 利の多いのは、必ず真の利ではない。 家のため土地のために、利をおこそうと思う時は、よく思慮を尽さなければならない。 【30】翁曰く、 財宝を産み出して、利を得るは農工なり、 財宝を運転して、利を得るは商人なり、 財宝を産出し、運転する農工商の大道を、勤めずして而して、富有を願ふは、譬へば水門を閉ぢて、分水を争ふが如し、智者のする処にあらざるなり、 然るに世間智者と呼ばるゝ者のする処を見るに、農工商を勤めずして、只小智・猾才を振ふて、財宝を得んと欲する者多し、誤れりと云ふべし、迷へりと云ふべし。 【30】尊徳先生はおっしゃった。 財宝を産み出して、利を得るのは農業・工業に従事する者である。 財宝を運び転がして、利を得るのは商人である。 財宝を産み出し、運び転がす農工商の大道を、勤めないで、 それで富有を願うのは、たとえば水門を閉じて、分水を争うようなものだ。 智者のするところではない。 そうであるのに世間で智者と呼ばれる者のするところを見ると、 農工商を勤めないで、ただ小智・浅知恵をふるって、財宝を得ようと欲する者が多い。 誤っているというべきである。迷いというべきである。 【31】翁曰く、 千円の資本にて、千円の商法をなす時は、他より見て危き身代と云ふなり、 千円の身代にて、八百円の商法をする時は、他より見て小なれど堅き身代と云ふ、 此の堅き身代と云はるゝ処に、味ひあり益あるなり、 然るを世間百円の元手にて、弐百円の商法をするを、働き者と云へり、 大なる誤謬(ごびやう)と云ふべし。 【31】尊徳先生がおっしゃった。 千円の資本で、千円の商法を行う時は、他から見て危い身代であるという。 千円の身代で、800円の商法をする時は、他から見て小さいけれども堅い身代だという。 この堅い身代といわれるところに、味いがあり、益があるのである。 それなのに世間では、百円の元手で、200円の商法をするのを、働き者という。 大きな誤りであるというべきである。 【32】翁曰く、常人の情願は、固(もと)より遂ぐべからず、 願ひても叶(かな)はざる事を願へばなり、 常人は皆金銭の少きを憂ひて、只多からん事を願ふ、若し金銭をして、人々願ふ処の如く多からしめば、何ぞ砂石と異ならんや、 斯の如く金銭多くば、草鞋一足の代、銭一把(は)、旅泊一夜の代、銭一背負(せおひ)なるべし、 金銭の多きに過ぐるは、不弁利の到りと云ふべし、 常人の願望は、斯の如き事多し、 願ふても叶はず、叶ふて益なき事なり、 世の中は金銭の少きこそ、面白けれ。 【32】尊徳先生がおっしゃった。 世間の人の願いは、もとより遂げられない。 願ってもかなわない事を願うからである。 世間の人は皆金銭の少いことを憂えて、ただ多い事を願う。 もし金銭を、人々が願うように多くするならば、どうして砂や石と異なることがあろうか。 このように金銭が多ければ、草鞋一足の代金が銭一把(は)、旅宿の一夜の代金が銭一背おいとなるであろう。 金銭の多すぎるのは、不便この上ないというべきである。 世間の人の願望は、このような事が多い。 願ってもかなわず、かなっても益がない。 世の中は金銭が少いことが、面白いのだ。 【33】尊徳先生はおっしゃった、 仏説は面白い。 今近くたとえるならば、 豆の前世は草なり、草の前世は豆なり、というようなものだ。 だから豆粒に向えば、なんじは元は草の化身である、 疑わしく思うならば、なんじの過去を説いて聞かせよう。 なんじの前世は草であって、だれだれの国のだれだれの村のだれだれの畑に生れて、 雨風をしのぎ、炎暑を厭って草におおわれ、兄弟をまびかれ、辛苦・患難をへて、豆粒となったなんじであるぞ。 この畑主の大恩を忘れないで、またこの草の恩をよく思って、早くこの豆粒の世を捨てて元の草となって、繁茂する事を願え、 この豆粒の世は、仮の宿りであるぞ、未来の草の世こそが大事であるというようなものだ。 また草に向ってはなんじが前世は種であるぞ、 この種の大恩によって、今草と生れて、枝を発し葉を出し肥を吸って露を受け、花を開くに至ったのだ この恩を忘れないで、早く未来の種を願え この世は苦の世界であって、風雨寒暑の患いがある、早く未来の種となって、風雨寒暑を知らず、水火の患いもない土蔵の中に、住する身となれというようなものだ。 私は仏道を知らないけれども、およそこのようであろう。 そして世界の百草は、種になれば生ずるきざしがある、生ずてば育つきざしがある、育てば花が咲くきざしがある、花が咲けば実を結ぶきざしがある、実を結べば落るきざしがある、落ればまた生ずるきざしがある、これを不止不転・循環の理というのだ。 【33】尊徳先生はおっしゃった、 仏説は面白い。 今近くたとえるならば、 豆の前世は草なり、草の前世は豆なり、というようなものだ。 だから豆粒に向えば、なんじは元は草の化身である、 疑わしく思うならば、なんじの過去を説いて聞かせよう。 なんじの前世は草であって、だれだれの国のだれだれの村のだれだれの畑に生れて、 雨風をしのぎ、炎暑を厭って草におおわれ、兄弟をまびかれ、辛苦・患難をへて、豆粒となったなんじであるぞ。 この畑主の大恩を忘れないで、またこの草の恩をよく思って、早くこの豆粒の世を捨てて元の草となって、繁茂する事を願え、 この豆粒の世は、仮の宿りであるぞ、未来の草の世こそが大事であるというようなものだ。 また草に向ってはなんじが前世は種であるぞ、 この種の大恩によって、今草と生れて、枝を発し葉を出し肥を吸って露を受け、花を開くに至ったのだ この恩を忘れないで、早く未来の種を願え この世は苦の世界であって、風雨寒暑の患いがある、早く未来の種となって、風雨寒暑を知らず、水火の患いもない土蔵の中に、住する身となれというようなものだ。 私は仏道を知らないけれども、おおよそこのよであろう。 そして世界の百草は、種になれば生ずるきざしがある、生ずてば育つきざしがある、育てば花が咲くきざしがある、花が咲けば実を結ぶきざしがある、実を結べば落るきざしがある、落ればまた生ずるきざしがある、これを不止不転・循環の理というのだ。 【34】宮原瀛洲(えいしう)、問うて曰く、 一休の歌に「坐禅する祖師の姿は加茂川にころび流るゝ瓜か茄子か」とあり、 歌の意如何、 翁曰く、是は盆祭済みて精霊棚を川に流すを見てよめるなるべし、 歌の意は、坐禅する僧を嘲るに似たれども、実は大に誉めたるなり、 瓜茄子の川に流れゆくを見よ、石に当り岩に触れても、障りなく痛みなく、沈むといへ共、忽(たちまち)浮かみ出で沈む事なし、 是を如何なる世の変遷に遭遇するも、仏者の障りなく滞ほりなきを誉めて、 世上の人の、世変の為に浮瀬に沈むを賤しめ、且つ此の世のみならず、来世の事をも含ませたるなるべし、 夫れ鎌倉を見よ、源家も亡び、北条も上杉も亡びて、今跡形もなけれど、其の代に建立せる建長・円覚・光明の諸寺は、現に今存在せり、 則ち此の意なり、仏は元より世外の物なるが故に、世の海の風波には浮沈せず、と云ふ道理をよめる歌にして別の意あるにはあらざるべし。 【34】 宮原瀛洲(神奈川の豪商)、が質問した、 一休の歌に「坐禅する祖師の姿は加茂川にころび流るゝ瓜か茄子か」とあります、 この歌の意味はどういうことでしょうか。 尊徳先生はおっしゃった。 これは盆の祭が済んで精霊棚(しようりやうだな)を川に流すのを見て詠んだのであろう。 歌の意味は、坐禅する僧を嘲笑しているようだが実は大いに誉めているのだ。 瓜やナスが川に流れゆくのを見よ、 石に当っても岩に触れても、さわりなく痛みなく、沈んでも、すぐに浮かびあがって沈む事もない。 これをどんな世の変遷に遭遇しても、仏者が障りなく滞りなくいくのを誉めて、 世間の人が、世の移り変わりのために浮瀬に沈んでしまうのをいやしめて、かつこの世だけではなく、来世の事をも含ませたのであろう。 たとえば鎌倉を見るがよい、 源家も亡び、北条も上杉も亡んで、今あとかたもないけれども、その時代に建立した建長寺、円覚寺、光明寺の諸寺は、現に今存在する。 すなわちこのことである。 仏はもとより世間の外の物であるから、世の海の風波には浮いたり沈んだりしないという道理をよんだ歌であって、別の意味があるわけではないであろう。 【35】翁曰く、 天に暴風雨あり、是を防がんが為に、四壁に大木を植え、水勢の向ふ堤には、牛枠に蛇籠(じやかご)を設け、海岸に家あれば、乱杭(らんぐい)に柵(しがらみ)を掛く、 是れ皆平日は無用の物なれども、暴風雨あらん時の為に、費用を惜まずして修理するなり、 夫れ天地にのみ暴風雨あるにあらず、往年大磯駅、其の他所々に起りし暴徒乱民は、則ち土地の暴風雨なり、 此の暴風雨は必ず其の地の大家に強く当る事、大木に風の強く当るが如し、 地方豪家と呼ばるゝ者、此の暴徒の防ぎを為さゞるは危からずや、瀛洲(ゑいしう)問ふて曰く、此の予防の法方如何、 翁曰く、平日心掛けて米金を蓄はへ、非常災害あらんとする時、是れを施与するの外、道なし、 敢へて問ふ、 此の予防に備ふる金員、其の家の分限に依るといへ共、大凡何程位備へて相当なるべきや、 翁曰く、其の家々に取りて第一等の親類一軒の交際費丈(だけ)を、年々此の予防の為と、別途にして米麦稗(ひへ)粟等を蓄はへ置きて、慈善の心を表さば必ず免がるべし、 然りといへ共、是はこれ暴徒の予防のみ、 慈善に非ず、譬へば雨天の時、傘(からかさ)をさし蓑を着るに同じ、只(ただ)ぬれざらんが為のみ。 【35】尊徳先生がおっしゃった。 天に暴風雨があるときは、これを防ぐために、家の四壁に大木を植える。 また水の勢いの向う堤防には、牛枠に蛇籠(じゃかご)を設ける。 海岸に家があれば、乱杭に柵を掛ける。 これは平日は無用の物であるようだが、暴風雨があらん時のために、費用を惜まないで修理するのである。 天地にのみ暴風雨があるのではない。 往年大磯駅その他の所で起った暴徒乱民は、すなわち土地の暴風雨である。 この暴風雨は必ずその地の大家に強く当たる事は、大木に風が強く当たるのと同じだ。 地方の豪家と呼ばれる者が、この暴徒を防がなければ危いというべきだ。 宮原瀛洲(ゑいしう)が質問した。 この予防の方法はどうすればよろしいのでしょうか。 先生はおっしゃった。 平日心掛けて米や金をたくわえて、非常の災害があるときに、これをを施与するほか道はない。 瀛洲(ゑいしう)は あえて質問しますが。 この予防に備える金額は、その家の分限によると思いますが、おおよそどのくらい備えればよろしいでしょうか。 先生はおっしゃった。 その家々に取って第一等の親類一軒の交際費だけを、年々この予防のために、別途にして米・麦・稗・粟等をたくわえて置いて、慈善の心をあらわさば必ず免れるであろう。 しかしながら、これは暴徒の予防のみである。 慈善ではなく、たとえば雨天の時に、傘をさしたり蓑を着るのに同じで、ただぬれないためだけである。 【36】翁曰く、 暴風に倒れし松は、雨露入りにて既に、倒れんと為る処の木なり、 大風に破れし籬(まがき)も、杭(くひ)朽ち繩腐れて、将に破れんとする処の籬(まがき)なり、 夫れ風は平等均一に吹く物にして、松を倒さんと殊更(ことさら)に吹くにあらず、 籬(まがき)を破らんと、分けて吹くに非(あ)らねば、風なくとも倒るべきを、風を待つて倒れ破れたるなり、 天下の事皆然り、鎌倉の滅亡も、室町の亡滅も、人の家の滅却も皆同じ。 【36】尊徳先生はおっしゃった。 暴風に倒れた松は、雨露が入って既に、倒れようとするところの木である。 大風に破れた垣根も、杭が朽ち繩が腐って、まさに破れようとするところの垣根である。 風は平等均一に吹くもので、松を倒そうとことさらに吹くのではない、 垣根を破ろうと、分けて吹くわけではなく、風がなくとも倒れるところを、風を待って倒れ破れたのである。 天下の事皆同じである。 鎌倉幕府の滅亡も、室町幕府の亡滅も、人の家が滅却するのも皆同じである。 【37】翁曰く、 夫れ此の世界咲く花は必ずちる、 散るといへ共、又来る春は必ず花さく、 春生ずる草は必ず秋風に枯る、枯るといへ共、又春風に逢ヘば必ず生ず、 万物皆然り、然れば無常と云ふも無常に非ず、有常と云ふも有常に非ず、 種と見る間に草と変じ、草と見る間に花を開き、花と見る間に実となり、実と見る間に、元の種となる、 然れば種と成りたるが本来か、草と成りたるが本来か、 是を仏に不止不転の理と云ひ、儒に循環の理と云ふ、 万物皆この道理に外るゝ事はあらず。 【37】尊徳先生はおっしゃった。 この世界咲く花は必ず散る、 散るといえども、また来る春は必ず花が咲く、 春に生ずる草は必ず秋風に枯れる、 枯れるといっても、また春風に逢えば必ず生ずる、 万物皆同じである、 そうであれば無常といっても無常にあらず、 有常といっても有常にあらず、 種と見る間に草と変じ、草と見る間に花を開き、花と見る間に実となり、実と見る間に、元の種となる、 そうであれば種となったのが本来か、草と成ったのが本来か、 これを仏に不止不転の理といい、儒に循環の理という。 万物は皆この道理にはずれる事はあるまい。 【38】翁曰く、 儒に、至善に止(とどま)るとあり、 仏に、衆善奉行(しゆぜんぶぎやう)と云へり。 然れども其の善と云ふ物、如何なる物ぞと云ふ事、慥(たしか)ならぬ故に、人々善を為す積りにて、其の為す処皆違へり。 夫れ元善悪は一円なり。 盗人(ぬすびと)仲間にては、能く盗むを善とし、人を害しても盗みさへすれば善とするなるべし。 然るに、世法は盗みを大悪とす、其の懸隔此の如し。 而して天に善悪あらず、善悪は、人道にて立たる物なり、 譬へば草木の如き、何ぞ善悪あらんや、 此の人体よりして、米を善とし、莠(はぐさ)を悪とす、食物になると、ならざるとを以てなり、天地何ぞ此の別ちあらん、 夫れ莠草(はぐさ)は、生(はえ)るも早く茂るも早し、 天地生々の道に随ふ事、速かなれば、是を善草と云ふも不可なかるべし、 米麦の如き、人力を借りて生ずる物は、天地生々の道に随ふ事、甚だ迂闊(うかつ)なれば、悪草と云ふも不可なかるべし、 然るに只食ふべきと、食ふ可からざるとを以て、善悪を分つは、人体より出たる、癖(へき)道にあらずして何ぞ、此の理を知らずばあるべからず、 夫れ上下貴賤は勿論、貸す者と借る者と、売る人と買ふ人と、又人を遣ふ者、人に遣はるゝ者に引き当て、能々思考すべし、 世の中万般の事皆同じ、彼に善なれば是に悪しく、是に悪きは彼によし、 生を殺して喰ふ者はよかるべけれど、喰はるゝ物には甚だ悪し、 然りといへ共、既に人体あり、生物を喰はざれば、生を遂ぐる事能はざるを如何せん、 米麦蔬菜(そさい)といへ共、皆生物にあらずや、 予此理を尽し 「見渡せば遠き近きは無かりけり己々が住処(すみど)にぞある」 と詠めるなり、 され共、是は其の理を云へるのみ、 夫れ人は米食ひ虫なり、此の米食虫の仲間にて、立てたる道は、衣食住になるべき物を、増殖するを善とし、此の三ッの物を、損害するを悪と定む、 人道にて云ふ処の善悪は、是を定規とする也、 此に基きて、諸般人の為に便利なるを善とし、不便利なるを悪と立てし物なれば、天道とは格別なる事論を待たず、然りといへども、天道に違ふにはあらず、天道に順ひつゝ違ふ処ある道理を知らしむるのみ。 【38】尊徳先生はおっしゃった。 儒(「大学」)に、「至善に止まる」とあり、 仏に、「衆善奉行」(もろもろの善を行え)という。 しかしながらその「善」というものは、どのようなものかということは、確かでないから、人々は善をなすつもりで、そのなすところが皆違ってしまうのだ。 もともと善悪は一円である。 泥棒の仲間では、よく盗むものを善とし、人を害しても盗みさえすれば善とするであろう。 しかるに、世間の法では盗みを大悪とする、 その隔たりはこのようである。 天には善悪はない。 善悪は、人道にて立てたものである。 たとえば草木のようなものに、どうして善悪があろうか。 この人体があるから、米を善とし、田に生える草を悪とする、 これは食物になるのと、ならないとをもってするのだ。 天地がどうしてこの別があろうか。 田に生える草は、生えるのも早く茂るも早い。 天地生々の道に随うことが速かであるから、これを善草といってもおかしくあるまい。 米や麦のように、人力を借りて生ずるものは、天地生々の道に随うことが、大変隔たっているから悪草といってもおかしくあるまい。 そうであるのにただ食うことができるのと、食うことができないをもって、善悪を区別しているのは人体から出た癖道というべきであろう。 この理を知らなければならない。 上下貴賤はもちろん、貸す者と借りる者と、売る人と買う人と、また人を使う者、人に使われる者に引き当てて、よくよく思考してみよ。 世の中すべての事は皆同じだ。 彼に善であればこれに悪しく、これに悪しきは彼によし、 生を殺して喰う者はよいが、喰われるものには大変悪い。 しかしながら、既に人体があり、生物を食わなければ、生を全うすることができないことをどうしようか。 米や麦や野菜といっても、皆生物ではないか。 私はこの理を尽して 「見渡せば遠き近きは無かりけり己々が住処(すみど)にぞある」 と詠んだのだ。 しかしながら、これはその理をいったのみだ。 人は米食い虫である。 この米食虫の仲間であって立てた道は、衣食住になるべき物を、増殖するものを善とし、この三つの物を、損害するを悪と定めた。 人道でいうところの善悪は、これを法定規とするのである。 これに基いて、すべて人のために便利であるのを善とし、不便であるのを悪と立てたものであるから、天道とは別のものであることは論を待たない。 しかしながら、天道に違うのではない、天道に順いながら違うところがある道理を知らせたのみである。 【39】翁曰く、 世の中、用をなす材木は、皆四角なり、 然りといへ共、天、人の為に四角なる木を生ぜず、 故に満天下の山林に、四角なる木なし、 又皮もなく骨もなく、鎌鉾(かまぼこ)の如く半片の如き魚(うお)あらば、人の為弁利(べんり)なるべけれど、天是を生ぜず、 故に、漫々たる大海に、斯の如き魚一尾もあらざるなり、 又籾もなく糠(ぬか)もなく、白米の如き米あらば、人世此の上もなき益なれ共、天是を生ぜず、故に全国の田地に、一粒も此の米なし、 是を以て、天道と人道と異なる道理を悟るべし、 又南瓜(かぼちや)を植へれば必ず蔓あり、米を作れば必ず藁あり、 是又自然の理也、 夫れ糠と米は、一身同体なり、 肉と骨も又同じ、 肉多き魚は骨も大なり、 然るを糠と骨とを嫌ひ、米と肉とを欲するは、人の私心なれば、天に対しては申訳けなかるべし、然りといへども、今まで喰ひたる飯もすへれば喰ふ事の出来ぬ人体なれば、仕方なし、 能々此の理を弁明すべし、 此の理を弁明せざれば、我が道は了解する事難く行ふ事難し。 【39】尊徳先生がおっしゃった。 用をなす材木は、皆四角である。 しかしながら、天が人のために四角なる木を生じない。 だから満天下の山林に、四角の木はない。 また皮もなく骨もないカマボコのようにハンペンのような魚がいれば、人のために便利であるけれども、天はこれを生じない。 だから満々たる大海に、そのような魚は一尾もない。 またモミもなくヌカもない、白米のような米があれば、人の世にとってこの上もない利益があるけれども、天はこれを生じない。 だから全国の田地に、一粒もこんな米はない。 これをもって、天道と人道と異なる道理を悟るがよい。 また南瓜(かぼちゃ)を植えれば必ずツルがある。 米を作れば必ず藁がある。 これもまた自然の理である。 ヌカと米とは、一身同体である。 肉と骨もまた同じである。 肉が多い魚は骨も大きい。 それなのにヌカと骨とを嫌って、米と肉とを欲するのは、人の私心だからであって、天に対しては申訳けないではないか。 しかしながら、今まで食った飯も腐れば食うことのできない人体であるから、仕方がない。 よくよくこの理を明らかにしなければならない。 この理を明らかにしなければ、私の報徳の道は了解することが難かしく、実行することが難しい。 【40】翁曰く、 「咲ばちりちれば又さき年毎に詠(なが)め尽せぬ花の色々」、 困窮に陥り、如何ともすべき様なくて、売り出す物品を、安ひ物だと悦んで買ひ、又不運極り拠(よりどころ)なく、家を売りて裏店(うらだな)へ引き込めば、表店(おもてだな)へ出て目出度しと悦ぶ者、絶へずある世の中なり、 「増減は器(うつは)傾く水と見よ こちらに増せばあちらへるなり」、 物価の騰貴に、大利を得る者あれば、大損の者あり、損をして悲しむあれば、利を得て悦ぶ者あり、苦楽・存亡・栄辱・得失、こちらが増すとあちらの減るとの外になし、 皆是自他を見る事能はざる半人足の、寄合ひ仕事なり、 「喰へばへり減れば又喰ひいそがしや永き保ちのあらぬ此の身ぞ」、 屋根は銅板(あかがねいた)で葺(ふ)き、蔵は石で築づくべけれ共、三度の飯を一度に喰ひ置く事は出来ず、やがて寒さが来るとて、着物を先に着て置くと云事も出来ぬ人身なり、 されば長くは生られぬは天命なり、 「腹くちく喰ふてつきひく女子等は仏にまさる悟りなりけり」、 我が腹に食満れば寝て居るは、犬猫を始め心無き物の常情なり、 然るに食事を済ますと、直に明日喰ふべき物を拵(こし)らへるは、未来の明日の大切なる事を能悟る故なり、 此の悟りこそ人道必用の悟りなれ、 此の理を能じゅ悟れば、人間は夫れにて事足るべし、 是れ我が教、悟道の極意なり、 悟道者流の悟りは、悟るも悟らざるも、知るも知らざるも、共に害もなし益もなし、 「我といふ其の大元を尋れば食ふと着るとの二つなりけり」、 人間世界の事は政事も教法も、皆此の二つの安全を計る為のみ、 其の他は枝葉のみ潤色のみ。 【40】尊徳先生がおっしゃった。 「咲けば散り 散ればまた咲き 年ごとにながめ尽せぬ 花の色々」、 困窮に陥って、どうともするべき方法がなくて、売り出す物品を、安い物だと悦んで買う。 また不運が極ってよんどころなく、家を売って裏店へ引っこめば、表店へ出てめでたいと悦ぶ者も、絶えずある世の中である。 「増減は器傾く水と見よ こちらに増せばあちら減るなり」、 物価の騰貴に、大きい利を得る者があれば、大損の者がある。 損をして悲しむ者があれば、利を得て悦ぶ者がある。 苦楽・存亡・栄辱・得失、こちらが増すとあちらの減るほかはない。 皆これは自他を見る事ができない半人足の、寄合い仕事である。 「喰へば減り 減ればまた喰ひ いそがしや 永き保ちのあらぬこの身ぞ」、 屋根は銅板で葺いて、蔵は石で築けるが、三度の飯を一度に喰いおく事はできない。 やがて寒さが来るとて、着物を先に着て置くという事もできない人身である。 そうであれば長くは生きられないのは天命である。 「腹くちく 喰うて つきひく女子等は 仏にまさる悟りなりけり」、 我が腹に食満れれば寝ているのは、犬猫を始め心無き物の常の情である。 それなのに食事を済ますと、すぐに明日食べる物をこしらえるのは、未来の明日の大切なる事をよく悟るためである。 この悟りこそ人道に必要な悟である。 この理をよく悟れば、人間はそれだけで事足りるであろう。 これが私の教えであり、悟道の極意である。 あたかも道を悟ったような類の悟りは、悟っても悟らなくても、知っても知らなくても、ともに害もなく益もなない。 「我というその大元を尋ねれば食うと着るとの二つなりけり」、 人間世界の事は政事も教法も、皆この二つの安全を計るためだけである。 その他は枝葉のみであり、潤色のみである。 |