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二宮翁夜話 巻の4【19】~【37】

二宮翁夜話 巻の4

【19】翁曰く、
世界、人は勿論、禽獣(きんじう)虫魚(ちゆうぎよ)草木に至るまで、
凡そ天地の間に、生々する物は、皆天の分身と云ふべし。
何となれば孑ふり(ぼうふり)にても蜉蝣(かげろふ)にても草木(さうもく)にても、天地造化の力をからずして、人力(じんりよく)を以て生育せしむる事は、出来ざればなり、
而(しか)して人は其の長たり、
故に万物の霊と云ふ、
其の長たるの証(しょう)は、禽獣(きんじう)虫魚草木を、我が勝手に支配し、生殺(せいさつ)して何方(いづれ)よりも咎(とが)めなし、
人の威力は広大なり、
されど本来は、人と禽獣(きんじう)と草木と何ぞ分たん、
皆天の分身なるが故に、仏道にては、悉皆成仏と説けり、
我が国は神国なり、悉皆成神と云ふべし、
然るを世の人、生きて居る時は人にして、死して仏と成ると思ふは違へり、
生きて仏なるが故に、死して仏なるべし、生きて人にして、死して仏となる理あるべからず、
生きて鯖(さば)の魚(うを)が死して鰹節となるの理なし、
林にある時は松にして伐(き)つて杉となる木なし、
されば生前仏にて、死して仏と成り、
生前神にして、死して神なり、
世に人の死せしを祭つて、神とするあり、
是れ又生前神なるが故に神となるなり、
此の理明白にあらずや、
神と云ひ、仏と云ひ名は異なりといへども、実は同じ、
国異なるが故に名異なるのみ、
予此の心をよめる歌に
「世の中は草木もともに神にこそ死して命のありかをぞしれ」
「世の中は草木もともに生如来死して命の有かをぞしれ」、
呵々(かか)。

【19】尊徳先生はおっしゃった。
世界は、人はもちろん、動物や虫や魚や草や木に至るまで、およそ天地の間に、生きているものは、皆天の分身というべきである。
なぜかといえば、ボウフラでもカゲロウでも草や木でも、天地造化の力を借りないで、
人の力で生育させることはできないからである。
そして人はその長である。
だから万物の霊長というのだ。
その長である証は、動物や虫や魚や草や木を、人間が勝手に支配し、生殺してもどこからも咎められることがない。
人間の威力は広大である。
そうであれば本来は、人間と動物と草や木と何の違いがあろう。
皆天の分身であるために、仏道では、悉皆成仏と説くのだ。
我が国は神国であるから、悉皆成神というべきであろう。
そうであるのに世の人は、生きている時は人であって、死んで仏となると思うのは誤っている。
生きて仏であるために、死んで仏となるのだ。
生きて人であって、死んで仏となる道理はあるはずがない。
生きて鯖である魚が死んで鰹節となる道理はない。
林にある時は松であって、切られて杉となる木はない。
そうであれば生前仏であって、死んで仏と成り、
生前神であって、死んで神となるのだ。
世間で人の死んだのを祭って、神とすることがある。
これはまた生前神であるために神となるのだ。
この理は明白ではないか。
神といい、仏という。
名は異っているといっても、実は同じなのだ。
国が異っているために名が異っているだけだ。
私はこの心をよんだ歌に
「世の中は草木もともに神にこそ死して命のありかをぞしれ」
「世の中は草木もともに生如来死して命のありかをぞしれ」
ハハハ

【20】翁曰く、
儒に循環と云ひ、仏に輪廻転生(りんねてんしやう)と云ふ、則ち天理なり、
循環とは、春は秋になり、暑(しや)は寒に成り、盛は衰に移り、富(とみ)は貧に移るを云ふ、輪転(りんてん)と云ふも又同じ。
而して仏道は輪転を脱して、安楽国に往生せん事を願ひ、儒は天命を畏れ天に事(つか)へて泰山の安きを願ふなり、
予が教ふる所は貧を富(ふ)にし衰を盛にし、而して循環輪転を脱して、富盛の地に住せしむるの道なり。
夫れ菓木(くわぼく)今年大いに実法(みの)れば、翌年は必ず実法(みの)らざる物なり、
是を世に年切りと云ふ、
是(これ)の循環輪転の理にして然るなり、
是を人為を以て、年切りなしに、毎年ならするには、枝を伐(き)りすかし、
又莟(つぼみ)の時につみとりて花を減(へら)し、数度肥(こやし)を用ふれば、年切りなくして毎年同様に実法(みの)る物なり。
人の身代に盛衰貧富あるは、則ち年切りなり、
親は勉強なれど子は遊惰とか、親は節倹なれど子は驕奢とか、二代三代と続かざるは、所謂(いはゆる)年切りにして循環輪転なり、
此の年切りなからん事を願はゞ、菓木の法にならひて、予が推譲の道を勤むべし。

【20】尊徳先生がおっしゃった。
儒に循環といい、仏に輪廻転生という。
すなわち天理である。
循環とは、春は秋になり、暑は寒になり、盛は衰に移り、富は貧に移ることをいう。
輪転というのもまた同じだ、
そして仏道は輪転を脱し、極楽に往生する事を願い、
儒は天命を畏れて天につかえて泰山の安きを願う。
私が教える所は貧を富にし、衰を盛にし、そして循環輪転を脱して、富盛の地に住さしめる道である。
実のなる木も今年大いに実るならば、翌年は必ず実らない物である。
これを世に年切りといい、これは循環輪転の理であるからだ。
これを人の力をもって、年切りなしに毎年実をならすには、枝を切りすかし、
また、つぼみの時につみとって花を減らし、数度肥料を用いれば、年切りがなく、毎年同じように実るものである。
人の身代に盛衰貧富あるのは、すなわち年切りである。
親は勤め励むが子は遊惰であるとか、親は節倹だが子は驕奢だとか、二代三代と続かないのは、いわゆる年切りにして循環輪転するからである。
この年切がない事を願うのであれば、実のなる木の方法にならって、私が説く推譲の道を勤めるがよい。

【21】翁曰く、
人の心よりは、最上無類清浄(せいじやう)と思ふ米も、其の米の心よりは、糞水(ふんすゐ)を最上無類の好き物と思ふなるべし、
是も又循環の理なり

【21】尊徳先生はおっしゃった。
人の心からすれば、最上無類清浄と思う米も、その米の心からすれば、糞尿の水を最上無類の好いものと思うことであろう。
これもまた循環の理である。

【22】或(あるひと)曰く、
女大学(をんなだいがく)は、貝原氏の著なりといへど、女子を圧する甚だ過ぎたるにあらずや、
翁曰く、
然らず、
女大学は婦女子の教訓、至れり尽せり、婦道の至宝と云ふべし、
斯(か)の如くなる時は、女子の立つべき道なきが如しといへ共、
是れ女子の教訓書なるが故なり、
婦女子たる者、能く此の理を知らば、斉はざる家はあらじ、
舜(しゆん)の瞽そう(こそう)に仕へしは、則ち子たる者の道の極にして、同一の理なり、
然りといへ共、若し男子にして女大学を読み、婦道はかゝる物と思ふは以ての外の過ちなり、
女大学は女子の教訓にして、貞操心を鍛練するための書なり、
夫れ鉄も能々(よくよく)鍛練せざれば、折れず曲らざるの刀とならざるが如し、
総て教訓は皆然り、
されば、男子の読むべき物にあらず、誤解する事勿れ、
世に此の心得違ひ往々あり、
夫れ教へは各々異なり、論語を見ても知らるべし、
君には君の教へあり、民には民の教へあり、親には親、子には子の教へあり、
君は民の教へを学ぶ事勿れ、民は君の教へを学ぶなかれ、
親も又然り、子も又然り、
君民親子夫婦兄弟(けいてい)皆然り、
君は仁愛を講明すべし、民は忠順を道とすべし、
親は慈愛、子は孝行、各々己が道を違へざれば、天下泰平なり、
之に反すれば乱なり、
男子にして、女大学を読む事勿れと云ふは、是が為なり、
譬へば教訓は病に処する薬方の如し、
其の病に依つて施す物なればなり。 

【22】ある人が尊徳先生に言った。
「女大学」は、貝原益軒氏の著作ですが、女子を圧すること、はなはだしぎるのではありませんか。
尊徳先生はおっしゃった。
そうではない。
「女大学」は婦女子の教訓書であって、至れり尽せりである。
婦道を説いた至宝の書というべきであろう。
このようであるときは、女子の立つべき道がないようであるが、これは女子の教訓書であるためである。
婦女子たる者が、よくこの理を知るならば、斉わない家はあるまい。
舜(しゅん:古代中国の聖王)が瞽(こ)そう(舜の父)に仕えたのは、すなわち子である者の道の極みであるのと同一の理である。
しかしながら、もし男子が女大学を読んで、婦道はこのようなものであると思うのはもってのほかの過ちである。
「女大学」は女子自らの教訓であって、貞操心を鍛練するための書である。
鉄もよくよく鍛練しなければ、折れることがなく曲ることがない刀とはならないようなものだ。
すべて教訓は皆そうなのだ、
そうであれば男子の読むべき物ではない。
誤解してはいけない。
世の中にはこの心得違いが往々にしてある。
教えはおのおの異っている。
論語を見ても知ることができよう。
君には君の教えがある、民には民の教えがある。
親には親、子には子の教えがある。
君は民の教えを学んではならない。
民は君の教えを学んではならない。
親もまた然り、子もまた然り、
君民親子夫婦兄弟皆然り、
君は仁愛を究明しなければならない。
民は忠順を道としなければならない。
親は慈愛、子は孝行、おのおの自分の道を違えなければ、天下は泰平である。
これに反するならば乱となる。
男子は、「女大学」を読んではならないというのは、このためである。
たとえば教訓は病に対する薬の処方のようなものだ。
その病によって施すものだからである。

☆舜(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
舜(しゅん)は中国の神話に登場する君主。
五帝の一人。
名は重華。
儒家により神聖視され、堯(ぎょう)と並んで堯舜と呼ばれて聖人と崇められた。
舜は、母を早くになくして、継母と連子と父親と暮らしていたが、父親達は連子に後を継がせるために隙あらば舜を殺そうと狙っていた。
舜はそんな父親に対しても孝を尽くしたので、名前が高まり尭の元にもうわさが届いた。
尭は舜の人格を見極めるために自分の娘二人を舜に降嫁させた。
舜の影響によりこの娘達も非常に篤実となり、また舜の周りには自然と人が集まり、舜が居る所には3年で都会になるほどだった。
そんな中で舜の家族達は相変わらず舜を殺そうとしており、舜に屋根の修理を言いつけた後に下で火をたいて舜を焼き殺そうとした。
舜は二つの傘を鳥の羽のようにして逃れた。
それでも諦めずに井戸さらいを言いつけ、その上から土を放り込んで生き埋めにしようとした。
舜は横穴を掘って脱出した。
このような事をされていながら舜は相変わらず父に対して孝を尽くしていた。
この事で舜が気に入った尭は舜を登用した。
そうすると朝廷から悪人を追い出して百官が良く治まった。
それから20年後、尭は舜に禅譲(ぜんじょう:帝王の位を譲る)した。
帝位についた舜は洪水を治めるために禹(う)を採用し、禹はこれに成功した。
その後39年間、帝位にあって最後は禹に禅譲して死去した。

【23】翁の家に親しく出入する某なる者の家、嫁と姑(しうと)と中悪(あ)しゝ、
一日其の姑来つて、嫁の不善を並べ喋々(てうてう)せり、
翁曰く、
是れ因縁にして是非なし、堪忍(かんにん)するの外に道なし、
夫れ共(とも)其の方若き時、姑を大切にせざりし報いにはあらずや、
兎(と)に角(かく)嫁の非を数へて益なし、自ら省みて堪忍すべしと、
いともつれなく言ひ放ちて帰さる、
翁曰く、
是れ善道なり、
斯(かく)の如く言ひ聞かす時は、姑必ず省(かへるみ)る処ありて、向来(かうらい)の治(をさま)り、幾分か宜(よろ)しからん、
掛(かか)る時に坐(ざ)なりの事を言ひて共々(ともども)に嫁を悪く云ふ時は、姑弥々(いよいよ)嫁と中悪敷(あし)くなる者なり、
惣(すべ)て是等の事、
父子の中を破り嫁姑の親みを奪ふに至る物なり、心得ずばあるべからず。

【23】尊徳先生の家に親しく出入していた者の家でが、嫁と姑(しゅうとめ)となかが悪かった。
ある日その姑が来て、嫁の善からぬところを並べたててお喋べりした。
尊徳先生はおっしゃった。
これは因縁であっていたしかたがない。
堪忍するより外に道はない。
それはその方が若い時、姑を大切にしなかった報いではあるまいか。
とにかく、嫁の非を数えても益はない、自ら省みて堪忍しなければならない。
と大変つれなく言い放って帰されたことがたあった。
尊徳先生は門弟達におっしゃった。
これは善い方法である。
このように言い聞かせる時は、姑は必ず省みるところがあって、今までの治り方が、幾分かはよくなるであろう。
このような時におざなりの事を言って、一緒になって嫁のことををわるく言う時は、
姑はいよいよ嫁と仲が悪くなる者である。
すべてこれらの事は、父子の仲を破り、嫁姑の親みを奪ってしまうものである。
心得ておかなくてはならない。

【24】翁曰く、
「郭公(ほととぎす)鳴(なき)つる方をながむれば只(ただ)有明の月ぞ残れる」、
此の歌の心は、譬へば鎌倉の繁花(はんくわ)なりしも、今は只(ただ)跡のみ残りて物淋しき在様(ありさま)なりと、感慨の心をよめるなり、
只(ただ)鎌倉のみにはあらず、人々の家も又然り、
今日は家蔵建並(たてなら)べて人多く住み賑(にぎ)はしきも、一朝行(ゆき)違へば、身代限りとなり、屋敷のみ残るに至る、
恐れざるべけんや、慎まざる可(べ)けんや、
惣(すべ)て人造物は、事ある時は皆亡びて、残る物は天造物のみぞ、と云ふ心を含みて詠(よ)めるなり、
能く味ひて其の深意を知るべし。

【24】尊徳先生がおっしゃった。
「郭公(ほととぎす)鳴きつる方をながむれば、ただ有明の月ぞ残れる」、
この歌の心は、たとえば鎌倉の繁花(はんか:繁栄)していたというも、今はただ跡のみ残って物淋しいありさまであると、感慨の心をよんだ歌である。
鎌倉だけではない、人々の家もまた同じである。
今日は家や蔵が建ち並んで人が多く住んでにぎやかであっても、一朝行き違うならば、身代限りとなって、屋敷だけが残るだけになる。
恐れなければならない。慎しまなければならない。
すべて人造物は、事ある時は皆亡んで、残る物は天造物だけである、という心を含んで詠んだものである。
よく味わってその深意を知るがよい。

【25】翁曰く、
凡そ万物皆一つにては、相続は出来ぬものなり、
夫れ父母なくして生ずる物は草木なり、
草木は空中に半分幹枝(かんし)を発し、地中に半分根を挿(さ)して生育すればなり、
地を離れて相続する物は、男女二つを結び合せて倫(りん)をなす、
則ち網の目の如し、
夫れ網は糸二筋を寄せては結び、寄せては結びして網となる、
人倫も其の如く、男と女とを結び合せて、相続する物なり、
只人のみならず、動物皆然り、
地を離れて相続する物は、一粒の種、二つに割れ、其の中より芽を生ず、
一粒の内陰陽あるが如し、
且(か)つ天の火気を受け、地の水気を得て、地に根をさし、空に枝葉を発して生育す、
則ち天地を父母とするなり、
世人草木の地中に根をさして、空中に育する事をば知るといへども、
空中に枝葉を発して、土中に根を育する事を知らず、
空中に枝葉を発するも、土中に根を張るも一理ならずや。

【25】尊徳先生はおっしゃった。
おおよそ万物は皆一つだけでは、相続はできないものだ。
父母がなくて生ずるものは草木である。
草木は空中に半分幹や枝を発して、地中に半分根をさして生育するからだ。
地を離れて相続するものは、男女二つを結び合せて一組とする。
すなわち網の目のようなもので、網は糸の二筋を寄せては結び、寄せては結びして網となる、
人倫もそのように、男と女とを結び合せて、相続するものである。
ただ人だけではない、
動物も皆そうである、
地を離れて相続するものは、一粒の種が二つに割れて、その中から芽を生ずる、
一粒のうちに陰陽があるようなものだ。
かつ天の火の気を受け、地の水の気を得て、地に根をさし、空に枝葉を発して生育する、
すなわち天地を父母とするのである。
世の中の人は草木が地中に根をさして、空中に育つ事を知っているけれども、
空中に枝葉を発して、土中に根を育する事を知らない。
空中に枝葉を発するも、土中に根を張るというのも一理ではないか。

【26】翁曰く、
世上一般、貧富苦楽と云ひ、躁(さわ)げども、世上は大海の如くなれば、是非なし、
只(ただ)水を泳ぐ術の上手と下手とのみ、
舟を以て用便する水も、溺死する水も水に替りはあらず、
時によりて風に順風あり逆風あり、海の荒き時あり穏(おだや)かなる時あるのみ、
されば溺死を免(まぬ)がるゝは、泳ぎの術一つなり、
世の海を穏かに渡るの術は、勤と倹と譲の三つのみ

【26】尊徳先生がおっしゃった。
世間では一般に、貧富・苦楽と言って、さわぐけれども、世間は大海のようであるから、良いも悪いもない。
ただ水を泳ぐ術が上手か下手かがあるだけである。
舟の上から用便する水も、溺死する水も水に替りはない。
時によって風に順風があり逆風があり海が荒い時があり穏かな時があるだけである。
そうであれば溺死を免がれるのは、泳ぎの術一つである。
世の海を穏やかに渡る方法は、勤勉と倹約と推譲の三つだけである。

【27】翁曰く、
凡そ世の中は陰々と重りても立たず、陽々と重なるも又同じ、
陰陽々々と並び行るゝを定則(ていそく)とす、
譬へば寒暑・昼夜・水火・男女あるが如し、
人の歩行も、右一歩左一歩、尺蠖(しやくとり)虫も、屈(かが)みては伸び、屈みては伸び、蛇も、左へ曲り右に曲りて、 此の如くに行(ゆ)くなり、
畳の表や莚(むしろ)の如きも、下へ入りては上に出て、上に出でては下に入り、麻布(あさぬの)の麁(あら)きも羽二重(はぶたへ)の細(こま)かなるも皆同じ、天理なるが故なり

【27】尊徳先生はおっしゃった。
およそ世の中は陰々と重なっても立たず、陽々と重なってもまた同じである。
陰陽陰陽と並び行われることを定則とする。
たとえば寒さ暑さ・昼と夜・水と火・男と女があるようなものだ。
人の歩行も、右に一歩左に一歩とすすめ、尺取り虫も、屈んでは伸び屈んでは伸び、蛇も、左へ曲り右に曲って、このように行く、
畳の表や莚(むしろ)のようなものも、下へ入っては上へ出て、上に出ては下に入り、麻布の目のあらいのも羽二重の細やかなものも皆同じである。
天理だからである。

【28】翁曰く、
火を制する物は水なり、陽を保つ物は陰なり、
世に富者あるは貧者あるが為なり、此の貧富の道理は、則ち寒暑・昼夜・陰陽・水火・男女、皆相持ち合つて相続するに同じ、則ち循環の道理なり。

【28】尊徳先生はおっしゃった。
火を制する物は水である。
陽を保つ物は陰である。
世に富者があるのは貧者があるためである。
この貧富の道理は、すなわち寒暑・昼夜・陰陽・水火・男女、皆互いに持ち合って相続するのと同じだ、
則ち循環の道理である。

【29】翁曰く、
飲食店に登りて、人に酒食を振舞(ふるま)ふとも、払ひがなければ、馳走(ちそう)せしとは云ふ可らず、不義の財を以てせば、日々三牲(せい)の養ひを用ふといへども、何ぞ孝行とせん、
禹王(うわう)の飲食を薄うし、衣服を悪(あし)うし、と云へるが如く、出所が慥(たし)かならざれば孝行にはあらぬなり、
或(あ)る人の発句(はつく)に
「和(やわ)らかにたけよことしの手作麦(てさくむぎ)」、
是れ能く其の情を尽せり、
和らかにと云ふ一言に孝心顕はれ、一家和睦の姿も能く見えたり、
手作麦と云へるに親を安んずるの意言外にあふる、よき発句(はつく)なるべし。

【29】尊徳先生がおっしゃった。
飲食店に登って、人に酒食をふるまっても、支払いがなければ、ご馳走したと言う事はできない。
不義の財を以てするならば、日々三牲(牛・羊・豚)で養うとしても、どうして孝行といえようか。
禹王(うおう:古代中国の聖王)の飲食を薄くし、衣服の粗末なものを着て、と言うようなもので、出所が確かでなければ孝行とはならない。
ある人の発句に「和らかにたけよことしの手作麦」とある。
この句はよくその情を尽している。
「和らかに」という一言に孝心が顕われ、一家和睦の姿もよく見えている。
手作麦というところに親を安んずるの心が言外にあふれている、よい発句であるというべきだ。

【30】翁曰く、
世の中、大も小も限りなし、
浦賀港(うらがみなと)にては米を数ふるに、大船にて一艘(そう)二艘(そう)と云ひ、
蔵前にては三蔵四蔵と云ふなり、
実に俵米は数を為さざるが如し、
然れども、其の米大粒なるにあらず、通常の米なり、
其の粒を数ふれば一升の粒六七万有るべし、
されば一握りの米も、其の数は無量と云ふて可なり、
まして其の米穀の功徳に於(おい)てをや、
春種を下(くだ)してより、稲生じ風雨寒暑を凌(しの)ぎて、花咲き実のり、又こきおろして、搗(つ)き上げ白米となすまで、此の丹精容易ならず実に粒々辛苦なり、
其の粒々辛苦の米粒を日々無量に食して命を継(つ)ぐ、
其の功徳、又無量ならずや、
能く思ふべし、故に人は小々の行ひを積むを尊(たふと)むなり、
予が日課繩索(なはない)の方法の如きは、人々疑はずして勤るに進む、
是れ小を積みて大を為せばなり、
一房(ふさ)の繩にても、一銭の金にても、乞食に施すの類(るひ)にあらず、
実に平等利益の正業(せいげふ)にして、国家興復の手本なり、
大なる事は人の耳を驚かすのみにして、人々及ばずとして、退けば詮(せん)無き物なり、
縦令(たとひ)退かざるも、成功は遂げ難き物なり、
今爰(ここ)に数万金の富者ありといへども、必ず其の祖其の先一鍬の功よりして、小を積んで富を致せしに相違なし、
大船の帆柱、永代の橋杭(はしくひ)などの如き、大木といへども一粒の木の実より生じ、幾百年の星霜を経て寒暑風雨の艱難を凌(しの)ぎ、日々夜々に精気を運んで長育(ちやういく)せし物なり、
而して昔の木の実のみ長育するにあらず、今の木の実といへども、又大木となる疑ひなし、
昔の木の実今の大木、今の木の実後世の大木なる事を、能々弁(わきま)へて、大を羨(うらや)まず小を恥ぢず、速かならん事を欲せず、日夜怠らず勤むるを肝要とす、
「むかし蒔(ま)く木の実大木と成りにけり今蒔く木の実後の大木ぞ」

【30】尊徳先生はおっしゃった。
世の中は、大も小も限りがない。
浦賀港では米を数えるのに、大船で一艘(そう)二艘と言い、
蔵前では三蔵四蔵と言う。
実に俵米で数えるのは数に入らないようである。
しかし、その米が大粒であるわけではない、通常の米である。
その粒を数えれば一升の粒は6,7万あるであろう。
そうであれば一握りの米も、その数は無量といってもよい。
ましてその米穀の功徳においてはなおさらである。
春に種を下してから、稲が生じ風雨や寒暑をしのいで、花が咲き実って、またこきおろし、つき上げて白米とするまで、この丹精は容易なものではない、実に粒々辛苦である。
その粒々辛苦の米粒を日々無量に食べて命を継いでいる。
その功徳は、また無量ではないか、
よく思うがよい、だから人は小さい行いを積むことを尊ぶのだ。
私が教える日課繩ないの方法のごときは、人々が疑わないで勤めるよう勧めている、
これが小を積んで大をなす方法であるからである、
一房の繩でも、一銭の金でも、乞食に施すの類ではない、
実に平等利益の正業であって、国家興復の手本なり、
大きい事業は人の耳を驚かすだけであって、人々がとても及ばないといって、退くならば仕方が無いものだ。
たとえ退かなくても、成功は遂げがたいものである。
今ここに数万金の富者があるといっても、必ずその祖先が一鍬の功から、小を積んで富をいたしたに相違ない、
大船の帆柱、永代の橋杭などのような大木であっても一粒の木の実から生じ、幾百年の星霜を経て寒暑風雨の艱難をしのいで、日々夜々に精気を運んで生育したものである。
そして昔の木の実だけが生育するだけでない、今の木の実でも、また大木となることは疑いない、
昔の木の実が今の大木となり、今の木の実が後世の大木なる事を、よくよくわきまえへて、大を羨やまず小を恥かしがらず、速かであろう事を欲しないで、日夜怠らず勤めることを肝要とするのだ、
「むかし蒔(ま)く木の実大木と成りにけり今蒔く木の実後の大木ぞ」

【31】或(ある)人、一飯に米一勺(しやく)づゝを減ずれば、一日に三勺、一月に九合、一年に一斗(と)余、百人にて十一石、万人にて百十石なり、此の計算を人民に諭(さと)して富国の基(もとひ)を立てんと云へり。
翁曰く、
此の教諭、凶歳の時には宜しといへ共(ども)、平年此の如き事は、云ふ事勿れ、
何となれば凶歳には食物を殖(ふや)す可(べ)からず、
平年には一反に一斗づゝ取り増せば、一町に一石、十町に十石、百町に百石、万町に万石なり、
富国の道は、農を勧めて米穀を取り増すにあり、何ぞ減食の事を云はんや、
夫れ下等(かとう)人民は平日の食十分ならざるが故に、十分に食ひたしと思ふこそ、常の念慮なれ、
故に飯の盛り方の少なきすら快(こころよ)からず思ふ物なり、
さるに一飯に一勺づゝ少なく喰へなどゝ云ふ事は、聞くも忌々(いまいま)しく思ふなるべし、
仏家(ぶつけ)の施餓鬼供養(せがきくよう)に、ホドナンパンナムサマダと繰り返し繰り返し唱ふるは、十分に食ひ玉へ沢山に食ひ玉へ、と云ふ事なりと聞けり、
されば施餓鬼の功徳は、十分に食へと云ふにあり、
下等の人民を諭さんには、十分に喰ふて十分に働け、沢山喰ふて骨限り稼げと諭し、土地を開き米穀を取り増し、物産の繁殖する事を勤むべし、夫れ労力を増せば土地開け物産繁殖す、物産繁殖すれば商も工も随つて繁栄す、
是れ国を富(とま)すの本意なり、
人或ひは云はん、
土地を開くも開くべき地なしと、
予が目を以て見る時は、何国(いづくに)も皆半開なり、
人は耕作仕付けあれば皆田畑とすれ共(ども)、湿地・乾地、不平(ふへい)の地、麁悪(そあく)の地、皆未だ田畑と云ふ可らず、
全国を平均して、今三回も開発なさゞれば、真の田畑とは云ふべからず、
今日の田畑は只(ただ)耕作差し支へなく出来るのみなり。

【31】ある人が、一飯に米1勺ずつを減ずるならば、一日に3勺、一月に9合、一年に1斗余り、百人で11石、万人で110石である。この計算を人民に諭(さと)して富国の基(もと)を立てたらいかがかと言った。
尊徳先生はおっしゃった。
この教諭は、凶歳の時にはよろしいけれども、平年にこのような事は言ってはならない。
なぜかといえば凶歳には食物を増やすことはできない。
平年には一反に一斗ずる増収するならば、一町に1石、10町に10石、100町に100石、万町に万石である。
富国の道は、農業を勧めて米穀を取り増すことにある。どうして食を減らす事をいうことがあろうか。
貧しい人民は平日の食が十分でないために、十分に食べたいと思うことが、常の思いであろう。
だから飯の盛り方が少ないことですら快く思わないものだ。
それであるのに一飯に1勺ずつ少なく食えなどと言う事は、聞くもいまいましく思うであろう、
仏教の施餓鬼供養(せがきくよう)で、ホドナンパンナムサマダと繰り返し繰り返し唱えるのは、十分に食いたまえ、たくさん食ひたまえということだと聞いた。
そうであれば施餓鬼の功徳というのは、十分に食べなさいということにあるのだ。
貧しい人民を諭すには、十分に食べて十分に働け、たくさん食べて骨を惜しまず稼げと諭し、土地を開き米穀を増収して、物産の繁殖する事を勤めるべきである。
労力を増すならば土地は開け物産は繁殖する、
物産が繁殖すれば商も工もしたがって繁栄する、
これが国を富ますの本意である、
人はあるいは言うであろう、
土地を開くにも開くべき地がありませんと、
私の目をもって見る時は、どの国も皆半分しか開けていない。
人は耕作し仕付けてあれば皆田畑だとするが、湿地や乾地、平らでない地や、土壌の悪い地、皆まだ田畑とはいえない。
全国を平均して、今三回も開発しなければ、真の田畑とは言うことができない。
今日の田畑はただ耕作がさしつかえなくできるといった程度だ。

【32】翁曰く、
凡そ事を成さんと欲せば、始めに其の終りを詳(つまびらか)にすべし。
譬へば木を伐(き)るが如き、未だ伐(き)らぬ前に、木の倒(たふ)るゝ処を、詳(つまびら)かに定めざれば、倒れんとする時に臨んで、如何共(いかにとも)仕方無し、
故に、予印旛沼(いんばぬま)を見分(けんぶん)する時も、仕上げ見分をも、一度にせんと云ひて、如何(いか)なる異変にても、失敗なき方法を工夫せり。
相馬侯、興国の方法依頼の時も、着手より以前に百八十年の収納を調べて、分度の基礎を立てたり、
是れ荒地開拓、出来上りたる時の用心なり、
我が方法は分度を定むるを以て本とす、
此の分度を確乎(かくこ)と立て、之を守る事厳(げん)なれば、荒地何程(なにほど)あるも借財何程あるも、何をか懼(おそ)れ何をか患(うれ)へん、
我が富国安民の法は、分度を定むるの一つなればなり。
夫れ皇国は、皇国丈(だ)けにて限れり、此の外へ広くする事は決してならず、
然れば十石は十石、百石は百石、其の分を守るの外に道はなし、
百石を二百石に増し、千石を二千石に増す事は、一家にて相談はすべけれども、一村一同に為る事は、決して出来ざるなり、
是れ安きに似て甚だ難事なり、
故に分度を守るを我が道の第一とす、
能(よ)く此の理を明かにして、分を守れば、誠に安穏(あんをん)にして、杉の実を取り、苗を仕立て、山に植ゑて、其の成木を待つて楽しむ事を得るなり、
分度を守らざれば先祖より譲られし大木の林を、一時に伐(き)り払(はら)ひても、間に合はぬ様に成り行く事、眼前(がんぜん)なり、
分度を越(こ)ゆるの過(あやまち)恐るべし、
財産ある者は、一年の衣食、是にて足ると云ふ処を定めて、分度として多少を論ぜず、分度外を譲り、世の為をして年を積まば、其の功徳無量なるべし、
釈氏(しゃくし)は世を救はんが為に、国家をも妻子をも捨てたり、
世を救ふに志あらば、何ぞ我が分度外を、譲る事のならざらんや。

【32】尊徳先生がおっしゃった。
およそ事業を成功しようと欲するならば、始めにその終りを詳細にさせておくべきだ。
たとえば木を切るようなときは、まだ切らない前に、木の倒れるところを、詳細に定めなければ、倒れる時にあたって、どうにも仕方が無くなるものだ。
だから私は印旛沼を事前調査した時も、事業完成後の見込み調査も、一度に実施しようといって、どのような異変が起こっても、失敗がない方法を工夫した。
相馬侯が、相馬藩を復興する方法を依頼してきた時も、着手から以前の180年間の収納を調べて、分度の基礎を立てたものだ。
これが荒地を開拓し、成功するための用心である。
私の方法は分度を定めることをもって本とする、
この分度を確立し、これを厳格に守るならば、荒地がどれほどあっても借財がどれほどあっても、何を恐れ何を憂えることがあろう、
私の富国安民の方法は、分度を定めるということ一つであるからである。
この皇国(は、皇国だけに限り、この外へ広くする事は決してならない。
そうであれば、10石は10石、100石は100石のその分を守る外に道はない。
100石を200石に増し、1000石を2000石に増す事は、一家ならば相談はできようが、一村一同にする事は、決してできない。これは簡単なようで大変難しい事である。
だから分度を守ることを私の道の第一とする、
よくこの理を明かにして、分度を守るならば、誠に安穏であって、杉の実を取って、苗を仕立て、山に植えて、その成木を待って楽む事ができる。
分度を守らなければ先祖から譲られた大木の林を、一時に切り払っても、間に合わぬようになりいく事は、眼前である。
分度を越える過ちは恐るべきだ。
財産がある者は、一年の衣食はこれで足るというところを定めて、分度として多少を論ぜず、分外を譲って、世のために年を積んでいけば、その功徳は無量であろう。
釈尊は世を救うために、国家をも妻子をも捨てられた。
世を救う志があるならば、どうして自分の分度外を、譲る事を行わないでいられようか。

【33】翁曰く、
某(それ)の村の富農に怜悧(れいり)なる一子あり、
東京(えど)聖堂(せいどう)に入れて、修行させんとて、父子同道し来りて暇(いとま)を告ぐ、
予之を諭すに意(こころ)を尽せり、
曰く、
夫れは善き事なり、
然りといへ共(ども)、汝が家は富農にして、多く田畑を所持すと聞けり、
されば農家には尊き株なり、
其の家株を尊く思ひ、祖先の高恩を有難く心得、道を学んで、近郷村々の人民を教へ導き、此の土地を盛んにして、国恩に報いん為に、修行に出(いづ)るならば、誠に宜(よろ)しといへども、祖先伝来の家株を、農家なりと賤(いや)しみ、六(むつ)かしき文字を学んで只(ただ)世に誇らんとの心ならば、大いなる間違ひなるべし、
夫れ農家には農家の勤めあり、富者には富者の勤めあり、
農家たる者は何程(なにほど)大家(たいけ)たりといへども、農事を能(よ)く心得ずば有るべからず、
富者は何程の富者にても、勤倹(きんけん)して余財を譲り、郷里を富まし、土地を美(び)にし、国恩に報ぜずばあるべからず、
此の農家の道と富者の道とを、勤むるが為にする学問なれば、誠に宜(よろ)しといへども、
若し然らず、先祖の大恩を忘れ、農業は拙(つたな)し、農家は賤(いや)しと思ふ心にて学問せば、学問益々(ますます)放心の助けとなりて、汝が家は滅亡せん事、疑ひなし、
今日の決心汝が家の存亡に掛れり、迂闊(うくわつ)に聞く事勿れ、
予が云ふ処決して違(たが)はじ、
汝一生涯学問するとも、かかる道理を発明する事は必ず出来まじ、
又此の如く教戒する者も、必ず有るまじ、
聖堂に積みてある万巻の書よりも、予が此の一言の教訓の方、尊かるべし、
予が言を用ゐれば、汝が家は安全なり、用ひざる時は、汝が家の滅亡眼前にあり、
然れば、用ひばよし、用ふる事能ずば二度予が家に来る事勿れ、
予は此の地の廃亡を、興復せんが為に来て居(を)る者なれば、滅亡などの事は、聞くも忌々(いまいま)し、
必ず来る事勿れと戒めしに、用ふる事能はずして、東京(えど)に出たり、
修行未だ成らざるに、田畑は皆他の所有となり、終に子は医者となり、親は手習師匠をして、今日(こんにち)を凌(しの)ぐに至れりと聞けり、
痛(いたま)しからずや、
世間此の類の心得違ひ往々あり、
予が其の時の口ずさみに
「ぶんぶんと障子(せいじ)にあぶの飛ぶみれば明るき方へ迷ふなりけり」
といへる事ありき、痛(いたま)しからずや

【33】尊徳先生がおっしゃった。
ある村の富農に利口な子供がいた。
江戸の聖堂に入れて、修行させようとして、父子で一緒に来て、暇乞いを告げた。
私はこれを一生懸命諭した。
このようだ。
それは善い事だ。
しかしながら、あなたの家は富農であって、多く田畑を所持していると聞いている。
そうであれば農家にとって尊い先祖伝来の財産だ。
その先祖伝来の財産を尊く思って、祖先の高恩を有難いと心得て、道を学び、近郷の村々の人民を教え導いて、この土地を盛かんにしよう、国恩に報いよう、そう願って修行に出るならば、誠に結構なことだ。
しかし、祖先伝来の財産を農家だからと賤しんで、難しい文字を学んで、ただ世に誇ろうという心であるならば、大きな間違いである。
農家には農家の勤めがあり、富者には富者の勤めがある。
農家はどれほど大家であっても、農事をよく心得なければならない。
富者はどれほど富者であっても、勤勉と倹約を行って余財を人に譲り、郷里を豊かにし、土地を美しくし、国恩に報いなければならない。
この農家の道と富者の道とを、勤めるためにする学問であれば、誠によろしいといえる。
もしそうではなく、先祖の大恩を忘れて、農業はつたない、農家はいやしいと思う心で学問するのであれば、、学問はますます放心を助長し、あなたの家は滅亡する事は疑いない。
今日の決心はあなたの家の存亡にかかっている。
うかつに聞いてはならない。
私の言うところは決して間違いがない。
あなたが一生涯学問しても、このような道理を発明する事は決してできまい。
またこのように教戒してくれる者も、決して有るまい。
聖堂に積んである万巻の書よりも、私のこの一言の教訓のほうが尊いであろう。
私の言うところを用いるならば、あなたの家は安全である。
用いない時は、あなたの家の滅亡は眼前にある。
そうであれば、用いるならばよいが、用いる事ができなければ二度と私の家に来てはならない。
私はこの地の廃亡を、復興させるために来ている者であるから、滅亡などということを、聞くもいまいましい、
必ず来てはならないと戒めたが、用いる事ができないで、江戸に出ていった。
修行がいまだならないうちに、田畑は皆他の所有となり、ついに子は医者となり、親は手習いの師匠をして、今日をしのぐようになったと聞いた。
痛しいことではないか。
世間にはこの類の心得違いがおうおうにしてある。
私がその時の口ずさみに
「ぶんぶんと障子(しょうじ)にあぶの飛ぶみれば明るき方へ迷ふなりけり」
とよんだ事があった。
なんといたましいことではないか。

【34】門人某、若年の過(あやまち)にて、所持品を質に入れ遣(つか)ひ捨て退塾せり、
某(ぼう)の兄なる者、再び入塾を願ひ、金を出し、質入品を受け戻して本人に渡さんとす、
翁曰く、
質を受くるは其の分なりといへども、彼は富家(ふか)の子なり、生涯質入れなどの事は、為す可(べ)き者にあらず、
不束(ふつつか)至極(しごく)といへども、心得違(ちが)ひなれば是非なし、
今改めんと思はゞ、質入品は打ち捨てて可なり、
一日も質屋の手に掛(かか)りし衣服は、身に付けじと云ふ位の精神を立たざれば、生涯の事覚束(おぼつか)なし、過(あやまち)と知らば速かに改め、悪(わろ)しと思はゞ速かに去るべし、
穢(きたな)き物手に付けば、速かに洗ひ去るは世の常なり、
何ぞ質入したる衣服を、受け戻して、着用せんや、
過つて質を入れ、改めて受け戻すは困窮の家の子弟の事なり、
彼は忝(かたじけな)くも富貴(ふうき)の大徳を、生れ得てある大切の身なり、
君子は固く窮すとある通り、
小遣(こづか)ひがなくば、遣(つか)はずに居(を)り、只(ただ)生れ得たる大徳を守りて失はざれば、必ず富家(ふか)の婿(むこ)と成りて、安穏(あんをん)なるべし、
此(こ)の如き大徳を、生れ得て有りながら、自ら此の大徳を捨て、此の大徳を失ふ時は、再び取り返す事出来ざる也、然る時は芸を以て活計を立つるか、自ら稼がざれば、生活の道なきに至るべし、
長芋すら腐れかゝりたるを、囲ふには、未だ腐れぬ処より切り捨てざれば、腐り止らず、
されば質に入れたる衣類は、再び身に附けじと云ふ精神を振り起こし、生れ得たる富貴(ふうき)の徳を失はざる勤めこそ大切なれ、
悪友に貸したる金も、又同じく打捨べし、
返さんと云ふとも、取る事勿れ、猶又貸すとも、悪友の縁を絶ち、悪友に近付かぬを専務とすべし、是能く心得べき事なり、
彼が如きは身分をさへ謹(つつし)みて、生れ得たる徳を失はざれば、生涯安穏(あんをん)にして、財宝は自然集り、随分他の窮(きゆう)をも救ふべき大徳(だいとく)、生れながら備(そなふ)る者なり、
能(よ)く此の理を諭(さと)して誤らしむる事勿れ。

【34】門人のなにがしが、若年の過ちで、所持品を質に入れて使い捨てて退塾した。
その者の兄が、再び入塾を願い、金を出して、質入品を受け戻して本人に渡そうとした。
尊徳先生はおっしゃった。
質を受けとるはよいが、彼は富家の子である。
生涯質入れなどの事は、なすべき者ではない。
ふつつか至極だといっても、心得違いをしたのだからやむをえない。
今改めようと思うならば、質入品は打ち捨てたほうがよい。
一日でも質屋の手にかかった衣服は、身に付けるまいというくらいの精神を立てなければ、生涯の事がおぼつかない。
あやまちと知れば速かに改めて、悪いと思えば速やかに去るがよい。
きたない物が手につけば、速かに洗いさるのは世の常である。
どうして質入した衣服を、受け戻して、着用しようか。
過って質を入れ、改めて受け戻すのは困窮した家の子弟の事である。
彼はかたじけなくも富貴の大徳を、生れながら持っている大切の身ではないか。
君子は固く窮すると論語にあるとおり、こづかいがなければ、使わずにおり、ただ生れ得た大徳を守って失わなければ、必ず富家の婿となって、安穏であろう。
このような大徳を、生れながら持っていながら、自らこの大徳を捨てて、この大徳を失う時は、再び取り返す事ができないであろう。
そうなれば芸をもって生計を立てるか、自ら稼がなければ、生活の道がないようになるであろう。
長芋ですら腐れかかったものを保存するには、まだ腐れていないところから切り捨てなければ、腐りは止らないものだ。
だから質に入れたる衣類は、再び身につけるまいという精神を振り起し、生れ持った富貴の徳を失わないように勤めていくことが大切であるのだ。
悪友に貸した金も、また同じく打ち捨てるがよい。
返そうといってきても、受け取ってはならない。
なおまた貸すことがあっても、悪友の縁を絶って、悪友に近づかないことを専務とするがよい。
これをよく心得ておかなければならない。
彼がような者は身分をさえ謹んで、生れ得た徳を失わなければ、生涯安穏であって、財宝は自然に集ってきて、随分他の困窮をも救う大徳を、生れながらに備っている者である。
よくこの道理を諭して誤らせてはいけない。

【35】翁曰く、
山谷(やまだに)は寒気に閉ぢて、雪降り凍れども、柳の一芽(が)開き初(そ)むる時は、山々の雪も、谷々の氷も皆夫れ迄なり、
又秋に至り、桐の一葉(えふ)落ち初(そ)むる時は、天下の青葉は又夫れ迄なり、
夫れ世界は自転して止まず、
故に時に逢ふ者は育ち、時に逢はざる物は、枯るゝなり、
午前は東向きの家は、照れ共(ども)、西向きの家は蔭(かげ)り、
午后は西に向く物は日を受け、東に向く物は蔭(かげ)るなり、
此の理を知らざる者惑ふて、我が不運なりといひ、世は末になれりなどゝ歎くは誤(あやま)ちなり、
今爰(ここ)に幾万金の負債あり共(とも)、何万町の荒蕪地あり共(とも)、賢君有つて此の道に寄る時は憂ふるに足らず、豈に喜ばしからずや、縦令(たとひ)何百万金の貯蓄あり、何万町の領地あり共(ども)、暴君ありて、道を踏まず、是も不足彼も不足と驕奢(けうしや)慢心、増長に増長せば消滅せん事、秋葉(しうえふ)の嵐に散乱するが如し、恐れざるべけんや、
予が歌に
「奥山は冬気に閉ぢて雪ふれどほころびにけり前の川柳(かわやぎ)」

【35】尊徳先生がおっしゃった。
山や谷は寒気に閉ざされ、雪が降り凍っていても、柳の一芽が開きはじめる時は、山々の雪も谷々の氷も皆それまでである。
また秋になって、桐の一葉が落ちはじめる時は、天下の青葉はまたそれまでである。
世界は自転して止まない。
だから時に逢う者は育ち、時に逢わない物は枯れるのだ。
午前は東向きの家は照って、西向きの家は影になり、午後は西に向く物は日を受け、東に向く物は影となる。この理を知らない者は惑って、自分は不運であるといい、世も末だなどと嘆くのは誤りである。
今ここに幾万金の負債があっても、何万町の荒れ果てた地があっても、賢君があってこの報徳の道によるときは憂えるに足りない。
なんと喜ばしいことではないか。
たとえ何百万金の貯蓄があっても、何万町の領地があっても、暴君があって、道を踏まず、これも不足、彼も不足と贅沢や慢心が増長に増長すれば消滅することは、秋の木の葉が嵐に散乱するようなものだ。
恐れないわけにいかない。
私の歌に「奥山は冬気に閉ぢて雪ふれどほころびにけり前の川柳」

【36】翁曰く、
仏に悟道の論あり、
面白しといへ共(ども)、人道をば害する事あり、
則ち生者必滅・会者定離の類なり、其の本源を顕(あらは)して云ふが故なり、
悟道は譬へば、草の根は此の如き物ぞと、一々顕はして、人に見するが如し、
理は然りといへども、之を実地に行ふ時は皆枯るゝなり、
儒道は草の根の事は言はず、草の根は見ずして可なる物と定め、根あるが為に生育する物なれば、根こそ大切なれ、培養こそ大切なれと教ふるが如し。
夫れ松の木の青々と見ゆるも、桜の花の麗しく匂ふも、土中に根あるが故なり、
蓮花の馥郁(ふくいく)たるも、花菖蒲の美麗(びれい)なるも、泥中に根をさし居(を)ればなり、
質屋の蔵の立派なるは、質を置く貧人(ひんじん)の多きなり、
大名の城の広大なるは、領分に人民多きなり、
松の根を伐(き)れば、直(ただ)ちに緑の先が弱り、二三日立てば、枝皆凋(しぼ)む、
民窮すれば君も窮し、民富めば君も富む、
明々了々、毫末も疑ひなき道理なり。

【36】尊徳先生がおっしゃった。
仏教に悟道の論がある。
面白いといっても、人道を害する事がある。
すなわち生者必滅・会者(えしゃ)定離(じょうり)の類である。
その本源を明らかにしていうためである。
悟道はたとえば、草の根はこのような物だと、一々明らかにして、人に見せるようなものだ。
理はそのとおりだが、これを実地に行う時は皆枯れてしまう。
儒道は草の根の事は言わず、草の根は見ないでよいものと定め、根があるために生育する物であるから、根こそ大切である、培養こそ大切であると教えるようなものだ。
松の木が青々と見えるのも、桜の花が美しく匂うのも、土中に根があるためである。
蓮の花が馥郁と薫るのも、花菖蒲が美しいのも、泥中に根をさしているからである。
質屋の蔵が立派なのは、質を置く貧しい人が多いためであり、
大名の城が広大なのは、領分に人民が多いためである。
松の根を切れば、すぐに緑の先が弱り、二三日もすれば、枝も葉もみなしぼんでしまう。
民が窮すれば君も窮し、民が富めば君も富む、
明々了々、少しも疑いのない道理である。

【37】翁、某(それ)の寺に詣(けい)す、灌仏会(くわんぶつゑ)あり、
翁曰く、
天上天下唯我独尊と云ふ事を、侠客(けうかく)者流など、広言を吐いて、天下広しといへ共(ども)、我に如(し)く者なしなど云ふと同じく、釈氏の自慢と思ふ者あり、是れ誤りなり、
是は釈氏のみならず、世界皆、我も人も、唯(ただ)此(これ)、我こそ、天上にも、天下(てんげ)にも尊き者なれ、我に勝りて尊き物は、必ず無きぞと云ふ、教訓の言葉なり、然れば則ち銘々各々、此の我が身が天地間に上無き尊き物ぞ、如何(いかん)となれば、天地間我(われ)なければ、物無きが如くなればなり、
されば銘々各々皆、天上天下唯我独尊なり、
犬も独尊なり、
鷹も独尊也、
猫も杓子(しやくし)も独尊と云ふて可なる物なり

【37】尊徳先生があるお寺に参詣された。
灌仏会があった。
尊徳先生はおっしゃった。
天上天下唯我独尊という事を、侠客者流などが、広言を吐いて、天下広しといえども、我にしく者はなしなどというのと同じように、釈尊の自慢と思っている者がある。
これは誤ちである。
これは釈尊だけでなく、世界皆、我も人も、ただこれ、我こそ、天上にも、天下にも尊い者である、我に勝って尊い物は、決して無いものであるという教訓の言葉である。
したがって銘々それぞれ、この我が身が天地間にこの上も無い尊いものである、なぜかといえば、天地間に自分がなければ、物が無いようであるからである。
そうであれば銘々それぞれ皆、天上天下唯我独尊である。
犬も独尊である、鷹も独尊である、猫も杓子(しゃくし)も独尊といってよいものである。



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