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報徳記巻之二【8】青木邑興復【9】教戒

報徳記  巻之二
【8】川副氏采邑青木邑の衰廃を興す

 常陸国(ひたちのくに)眞壁郡青木村高八百五十石余、幕府の旗下(きか)川副(かわそえ)某(なにがし)の采邑なり。往時公料にして野州芳賀(はが)郡眞岡県令の管轄に属す。元禄度(ど)民家百三十戸、頗(すこぶ)る繁殖富饒(ふぜう)と称す。宝永年中に至りて川副氏の采邑(さいいふ)となる。邑(むら)の西北川あり、桜川と云ふ。此の川を堰(せ)き、青木高森二邑(むら)の田水(たみづ)となす。此の堰の左右水底皆細砂(さいしや)灰の如くにして、更に岩石無し。故に木石を遠所より運搬し、縦横大木(たいぼく)を用ゐて建築すと雖も、大雨洪水至れば、忽焉(こつえん)細砂(さいしや)と共に流失し、田水(たみづ)沽渇耕耘(かううん)を得ず。公料の時に当りては破壊毎に役夫(えきふ)三千余人を諸村に課し、入費数百金を以て造築せり。
 宝永度以来は一邑(むら)の民力之を修築する能(あた)はず。耕田の道を失ひ、民心放肆(ほうし)、良田蕪頼(ぶらい)、怠惰、博奕(ばくえき)を常とし、戸々(こゝ)絶窮遂に四方に離散するに至り、民屋(みんをく)切近の田と雖も茫々たる原野に帰し、葭茅(かぼう)荻萩(てきしう)繁茂、狐兎(こと)斯(こゝ)に住す。天明度野火(のび)茅(かや)を焼き、延(ひ)いて民屋に及び、之が為に三十一戸灰燼となる。是(こゝ)に於て益々窮し、僅に二十九戸を存す。是も亦貧困支ふ可からず。曾(かつ)て遊歴の者此邑(このむら)を過ぐるに茅中(ぼうちゆう)炊烟(すゐえん)の起るを見て一句を吟ず、曰く、家ありや すゝきの中の 夕烟(ゆうけむり)と。此の句を以て衰廃亡村に等しきを推知す可し。租税僅少、川副氏の窮も亦甚し。邑(むら)の里正(りせい)を舘野(たての)勘右衛門(かんうゑもん)と云ふ。性廉直篤実にして、大いに衰邑亡地に至らんとするを憂ひ、再復の事を謀(はか)ると雖も貧村の力如何(いかに)とも為すべからず。桜町陣屋を去ることを僅に三里、故に先生の良法三邑再興の事業を聞き、邑民を会し、諭して曰く、我邑(わがむら)の衰頽既に極る。是独り人民の力足らざるのみに非ず。桜川の堰破壊、闔村(かふそん)の用水を失ひ、水田悉く蕪没(ぶぼつ)に帰し、戸戸耕耘(こううん)を得ず。故に衣食欠乏、往々家産を破り流民となる。今にして衰廃、再興の道を謀らざれば、八百石の邑(むら)亡滅に至んこと必せり。然りと雖も、愚不肖貧弱の力を以て何事をか成し得んや。曾て聞く、物井村(ものゐむら)陣屋詰の二宮先生、相模小田原侯の命を以て桜町に至り、数年にして三邑を興復し、邑民を安撫すること、父母の其の子を保するが如しと。其の事業誰(たれ)か感動せざらんや。我輩物井に往て再興の方法を歎願せば、先生は仁者なり、憐愍(れんみん)の処置なしと謂ふべからず。果して許諾あらば是の廃堰(はいえん)も挙ぐべく、荒蕪も開くべく、邑民の困苦をも免るべし。然れども先生は他の誠、不誠を察観すること明鏡の如しと。故に懇願のもの純誠にあらざれば、百度(ひやくたび)歎願すと雖も断然許諾せず。故に此の願の成否は先生にあらずして、当邑一同の一心にあり。各(おのおの)の思慮如何(いか)んと。邑民応(こた)へて曰く、素(もと)より冀望(きぼう)する所なり、速(すみやか)に歎願せんと云ふ。
勘右衛門曰く、我等の請願而己(のみ)にては、是相対(あひたい)の如くにして先生許容ある可らず。地頭よりの依頼に非れば不可也と。直(たゞち)に出都此の条を川副某へ具陳す。川副氏大いに悦び、時の用役並木柳助に命じ、直書を以て依頼せしむ。
柳助、勘右衛門村民を率ゐて桜町に到り、一邑(むら)再興の方法を請ふ。時に天保三年なり。先生暇なきを以て之を辞す。邑民屡(しばしば)請ひて止まず。先生曰く、
汝の邑(むら)衰廃極るもの、独り田水を失ひ、農事を勤むること能はざるのみに非ず。何ぞ用水なくんば従前の田を畑(はた)と為し、多く雑穀を得て、活計をなさゞるや。豈人命を養ふもの、独り稲梁(たうりやう)耳(のみ)ならん。百穀皆生命を養ふもの也。而して田水乏しきを口実となし、良田を蕪没(ぶぼつ)に帰して顧みず、博奕(ばくえき)を事とし、他の財を借り、一時の窮を補はんとす。是(これ)家々絶窮、遂に離散する所以にあらずや。抑々(そもそも)博奕なるもの富家(ふうか)と雖も祖先伝来の家株を傾覆するに至る。況や貧人(ひんじん)にして此の悪業を為す、其の亡滅迅速ならざるを得ず。且田水なきを以て良田を荒し、衣食なきを憂ふ。夫れ田圃(でんぼ)は衣食の本也。其の根本を棄てゝ以て他に求む。猶井を塞ぎて水を求るが如し。何れの時か之を得んや。農力勧み、糞培(ふんばい)怠らざる時は、圃(ぼ)の有益たる田に勝れり。何ぞや、田は一作に止まり、圃(ほ)は両毛作(りようげさく)なればなり。汝等農を以て業とす、素(もと)より畑の有益を知らざるには非ず。知りて而して耕耘せざるは他無し、其の労苦を厭ひ、怠惰を旨とし労せずして米財を貪らんとするが為め也。我が方法は節倹以て冗費を省き、有余を生じ、他の艱苦を救ひ、各其の業を勉励刻苦、修身善行を履み、悪業を為さず、勤動以て一家を全するにあり。戸々此の如くならば貧村必ず富ますべく、廃亡の邑里(いふり)と雖も必ず興復再盛に至るなり。然して汝の邑(むら)の如きは我が再興の道と反対せり。其の窮苦は憫然(びんぜん)なりと雖も自業自得、他より如何(いかに)ともなすべからざるもの也。汝ら再び来ること勿れ と教誨す。勘右衛門涕泣(ていきう)して曰く、邑民の無頼実に高諭の如し。然れども今一邑(むら)再興の大業を請願するに至りては、旧来の懶惰(らんだ)を改め、示教(しけう)を得て、以て粉骨の労を尽し、艱苦に堪(た)へ、再興の業に従事せんと誓約の上歎願せり。冀(こひねがは)くは先生の許容あらんことを。先生曰く、無頼の習慣己(すで)に久矣(ひさし)、今一時の約言何ぞ永年(ながねん)を保つことを得んや。人情困苦に迫る時は艱苦の業も厭はずと雖も、少しく欲する所を得るに至りては、忽然惰心を発し、旧弊再び起るもの也。汝安(いづく)んぞ後年の憂なきを保たんや。一旦再興の大業を挙げて後、廃棄に至らば、寧(むし)ろ其の初より止むには如(しか)かざるなり と。邑民、何等(なんら)の苦行にも堪えんと云ひて歎願止まず。先生曰く、汝等衰村を興さんこと甚だ難し。目今(もくこん)其の易き事をも為さずして、其の難きことを為さんとする惑(まどひ)にあらずや。今其の易き者を示さん。汝邑民目下(もくか)の良田蕪莱(ぶらい)し、葭(よし)茅(かや)茂盛(もせい)し、冬に至れば野火茅を焼き、之が為に民家を焼亡するもの数々なりと聞く、仮令(たとひ)開田耕耘(かううん)の力足らずと雖も、此の茅を刈る何の難きことか有らん。而して之を刈らず、家をも灰燼となし、他邦に流離す。何ぞ愚の甚しきや。一邑(むら)再興の事は暫く措(お)き、先づ火災の本たる茅を刈るべし。刈り畢(をわ)らば我れ用ゐる所あり、至当の代価を以て之を買ふべし。汝能くするや否や。


現代語訳

 先生又命じて曰く、川幅に応じ茅屋(ぼうをく)を作り、之を葺(ふ)くべし と。
衆人何の故を知らず。水上に屋を作りて堰を作らず、亦異ならずやと、秘(ひそか)に笑ふものあり。水上の屋既に成る。先生曰く。誰(たれ)か屋上に登り、繋(つな)ぐ所の縄を伐り、水中に落す可しと。衆皆驚愕一人(いちにん)敢て応ずるものなし。先生曰く、何を憚(はゞか)りて上らざるや。衆同音答へて曰く、川上の屋、縄を以て繋げり。今之を断ぜば屋と共に川中(かわなか)に陥り、死生計るべからずと。先生怫然として曰く、汝等危しとせば、我上りて之を断ぜんと。直(たゞち)に屋上に登り刀(たう)を振ひて数所の縄を断ず。其の迅速飛ぶが如し。屋一震(しん)水中に落つ。衆皆愕然、先生屋上に立ちて曰く、汝等之を危殆(きたい)とす。我何ぞ汝等に危事(きじ)を命ぜんやと。衆皆其の過ちを謝し、益(ますます)先生の神知測るべからざるを感ず。先生曰く、汝等速(すみやか)に両岸の木石を屋上に投ぜよと。衆協力大石、大木を投じ畢(をふ)る。然して後、工匠をして其の上に堰を作らしむ。大小二つの水門を設け、小水には小門を開き、大水には両(ふた)つながら開きて、以て洪水の憂ひ無からしむ。茅屋(ぼうをく)を以て両岸水底の細砂を閉塞するが故に水更に漏洩せず。古来此の如き堰を見ず。遠近来集し、大いに其の奇功且神速成功を驚歎し、凡智の及ばざる処を称す。初め衆皆謂(いへら)く、此の役五旬に非ざれば、功を竣(をは)ること能はずと。然るに事を挙ぐるより僅かに旬日にして、全く成る。故に往年百余金にあらざれば成すこと能はざるを、今用費其の半(なかば)を費さずして堅固比無し。爾来数十年屡(しばしば)洪水ありと雖も、些(すこし)も動かず。或(ある)人先生に問ひて曰く、古今闔国(かんこく)の用水堰其の数幾千万、未だ聞かず屋根を作り水を防ぐ者を、夫(そ)れ何の故ぞや。先生曰く、
川底(かわそこ)両岸皆細砂(さいしや)、元より木石の保つ能はざる所也。夫れ水を防がんとして堤防を築くも、蟻穴(ぎけつ)猶破壞するに足る。我思ふに茅屋(ぼうをく)雨水を防ぎて洩らさず、何ぞ流水を防がざらんや。是此の堰を作る所以(ゆえん)なりと。
先生事に臨みて其の術を施すの神算(しんさん)窮り無し。初め此の役を挙(あぐ)るや、始終多く酒餅(しゆへい)を設け、酒を好む者は之を飲め、酒を好まざるものは餅を食せよ。惟(たゞ)過酒す可からず。過酒すれば用を為(なさ)ず。半日働きて止めんとする者は、一朱(しゆ)を受けて家に帰りて休すべしと。役夫大に悦び其の労を忘る。時人(ときのひと)此の役(やく)を唱えて極楽普請と云ふ。是(こゝ)に於て溝恤(こうきよく)を浚(さら)へ、新渠(しんきよ)を穿ち、水を漑ぐ。闔邑(かふいふ)の田に充満、余水隣邑高森村の田に及び、旱魃に白雨を得るが如し。民大いに悦ぶ。是(こゝ)に於て孝悌篤実善良の民を選み投票せしめ、大いに之を賞し、貧民を撫恤し、道を作り、橋を架し、農馬農具を給し、負債を償却し、人倫の道を教諭し、旧染の汚俗を洗ひ、淳厚の風(ぷう)に化し、奢侈懶惰を改め、専ら勤業節倹を行ひ、開墾に従事し、百年の廃蕪悉く開け、産粟許多、多年の絶窮を免れ、租税従つて増倍し、上下富饒(ふぜう)を得たり。天保七申(さる)の大飢(だいき)に及び男女老幼を別たず。一人に付き、雑穀共に五苞(へう)を与へ、民食平年よりも豊かならしむ。民大いに感銘し、益(ますます)励業す。遠国の亡民(ぼうみん)来集し、之を撫育し、戸口を倍し、全く旧復せりと云ふ。先生良法の下る所、皆是(こ)の如し。素(もと)より拙文巨細(こさい)を挙ぐる能はず。
実に其の概略を記するのみ。


現代語訳

報徳記巻之二
【9】先生青木邑の貧民を教諭す

青木邑(むら)衰廃極り、再復の方法を先生に請(こ)ふ。
先生之を辞(じ)すること三年、而(しか)して其(そ)の懇願(こんぐわん)止まず、
其(そ)の艱難殆(ほとん)ど亡村に及ばんとするを悲しみ、己むを得ずして、再興の方法を下(くだ)す。
一時(じ)貧民老幼(ろうよう)を携(たづさ)へ他郷に走らんとする者あり。
先生之を察(さつ)し問ひて曰く、
汝(なんぢ)将(まさ)に此の地を去らんとするの意(い)あり。
夫(そ)れ人情故郷を思念(しねん)せざるものなし。
暫時(ざんじ)他郷に至るも速かに家へ帰(かへ)らんことを思ひ、昼夜(ちうや)安(やすん)ぜず、遠路(ゑんろ)旅行の労(らう)に厭はず、帰村し、始めて安眠するを得(う)るにあらずや。
且(かつ)当邑(たういふ)の如きは幸福自在の地なり。
然るを祖先以来の家株を棄て、故郷(こきやう)を去らんとするものは何ぞや。
応(こた)へて曰く、
貧苦既に迫り、負債償(つぐな)ふ能(あた)はず。
且(かつ)其(そ)の督責(とくせき)に堪(た)へず。
真(しん)に已(やむ)を得ざれば也(なり)。
何ぞ家産を失ひ、故郷を去るを好まんや。
先生曰く、
実(じつ)に汝(なんぢ)の心情愍(あはれ)むべし。
我今汝に唐鍬(からぐは)を与(あた)へん。
此(こ)の鍬を以て貧苦を除き、負債を償ひ、富優(ふゆう)を得よ。
何ぞ此の地を去るに及ばんや。
且(かつ)当邑(たういふ)には家屋(かをく)あり、田圃(でんぼ)あり、然して尚(なほ)一家を保つことを得ず。
他郷に至らば家屋(かをく)なく田圃(でんぼ)あることなし。
何を以て一日も生活の道あらん。
徒(いたづら)に道路に飢餓(きが)して其(そ)の斃(たふ)るゝを俟(ま)たん耳(のみ) と。
貧民曰く、
僅(わずか)に一挺(てう)の鍬を以て富を得、借財を返すことを得ば、何を以て是(こ)の如きの絶窮(ぜつきゅう)に至らんやと。
先生諭(さと)して曰く、
汝富を得るの道を知らざるが故に窮せり。
夫(そ)れ天地の運動頃刻(けいこく)の間断(かんだん)あるなし。
是故(このゆゑ)に万物(ばんぶつ)生々(せいせい)息(やま)ず。
人之に法(のっと)り、間断(かんだん)なく勉励(べんれい)する天の運動の如くならば、困窮を求むと雖(いへど)も得(う)べからず。
汝(なんぢ)種々の艱苦ありと雖(いへど)も、畢竟(ひつきやう)農力足らず、怠惰に流れ、終(つひ)に窮乏に及べり。
今我が教(をしふ)る所に従ひ、一の唐鍬(たうぐは)を以て従来の廃地(はいち)を開墾し、老幼(らうよう)に至りては開田の草根(くさね)を振(ふる)ふべし。
是(こ)の如くして此(こ)の鍬の破るゝ迄(まで)に力を尽(つく)さば、必ず多数の開田を得可(うべ)し。
弥々(いよいよ)黽勉(びんべん)、此(こ)の開田を耕耘(かううん)せば、数年ならずして富に至らん。
何ぞや今汝所有(しよいう)の田圃(でんぼ)を鬻(ひさ)ぎ、代価を以て宿債(しゆくさい)残(のこ)らず返却せば負債頓(とみ)に消(せう)す。
而(しか)して開田を耕す時は十年乃至(ないし)十五年も無税也(なり)。
是(これ)を以て産粟(さんぞく)皆汝の有(もの)となる。
夫(そ)れ生地(せいち)の出穀(しゆつこく)、其(そ)の半(なかば)は租(そ)となり、高掛(たかゞか)りとなる。
有税(いふぜい)の田を以て負債を償ひ、無税の田を耕す時は、求めずと雖も必ず富を得ること疑ふ可からず。
是れ唐鍬(たうぐは)一つを以て富優(ふいう)を得る所以(ゆえん)也(なり)。
是(こ)の如き安心自在の村里(むらさと)に生れ、之を棄て他郷に走り、安地(あんち)を出で危地(きち)に入る、何ぞ愚の甚しきや。
貧民良(やや)久しくして大(おほい)に感悟(かんご)し、悦びて曰く、
高教(かうけう)に従ひて勉励(べんれい)せんと。
先生直(たゞち)に唐鍬(たうぐは)を付与(ふよ)せり。
是(これ)に於て生田(せいでん)を以て、負債を償ひ、挙家(きょか)開墾に尽力(じんりょく)し、年々多分の産粟を有し、累年の貧苦を免れ、富饒(ふぜう)を得たり。
村民亦(また)之を感じ、互(たがひ)に勉強(べんきやう)し、之が為に開墾頗(すこぶ)る速か也(なり)。
先生の教諭(けうゆ)を下し、懶惰(らんだ)を改め、勉業(べんげふ)と化し、貧人(ひんじん)をして富を得せしめる者往々(わうわう)此(こ)の如しと云ふ。

高慶曰ク、
青木村ノ如き、衰頽極レリト謂フ可シ。
先生是ガ為メ深慮遠計措置宜ヲ得ルニ非レバ何ヲ以テ窮餓ヲ免ルゝヲ得ンヤ。
然リ而シテ先生能ク此民淳厚此土墾闢セシメ、則チ天下固ヨリ化ス可カラザルノ民無ク、墾ク可カラザルノ地無キ亦明カナリ。
里正勘右衛門ノ此邑ニ在ル。
譬ヘバ蓮ノ泥中ニ在ルガ如シ。
若シ勘右衛門微セバ、則先生亦何ゾ良法ヲ施スコトヲ得ン。
古ヨリ事ノ成否要スルニ其ノ人ニ存ス。
小邑猶ホ然リ、況ヤ焉ヨリ大ナル者ヲヤ。



報徳記巻の2【9】先生青木邑の貧民を教諭す

 青木村の衰廃は極って、旧に復する方法を先生に求めた。先生はこれを辞退すること3年、そしてその懇願は止まなかった。その艱難がほとんど亡村に及ぼうとすることを悲しんで、やむを得ず、再び盛んにする方法を下された。ある時、貧民で老人と子供を連れて他国に逃げ去ろうとする者があった。
先生は之を推察してこのように問うた。
「お前はまさにこの地を去ろうと思っているようだ。そもそも人の情として故郷を思わない者はいない。しばらくの間他国に行ってもすぐに家へ帰ろうと思い、昼夜安らかにできず、遠路旅行の苦労を厭わず、帰村し、始めて安眠することができるではないか。さらに当村は幸福自在の地である。そうであるのに祖先以来の家や土地を棄て、故郷を去ろうとするのはどうしたことか。」貧民はこう答えた。
「貧苦が既に迫って、負債を償うことができません。さらにその促し責めることに堪えられません。本当にやむを得ないからです。どうして一家の財産を失い、故郷を去ることを好みましょうか。」
先生は言われた。
「本当にお前の心情はあわれむべきである。私はお前に唐鍬(からぐわ:刃が厚く幅の狭い開墾、根切りなどに使う打ち鍬)を与えよう。この鍬で貧苦を除いて、負債を償い、富裕を得よ。どうしてこの地を去ることがあろうか。さらに当村には家屋がある、田畑もある、それなのになお一家を保つことができない。他国に行けば家屋もなく田畑もない。どうして一日も生活の道があろうか。いたずらに道路に飢えてその倒れることを待つだけである。」 と。貧民は言った。
「わずかに一挺の鍬で富を得、借財を返すことができれば、どうしてこのような困窮が極まることになりましょうか。」と。先生はこう諭された。
「お前は富を得る道を知らないために窮したのだ。そもそも天地の運動はしばらくの時間も途切れることがない。このゆえに万物は生々してやまない。人はこれにのっとって、途切れることがなく、つとめ励む天の運動のようであれば、困窮を求めても得ることができない。お前は種々の悩み苦しみがあったとしても、結局農力が足らず、怠惰に流れ、ついに窮乏したのではないか。今私が教える所に従って、一の唐鍬で従来の廃地を開墾して、老人や子供は開田の草の根を取らせるがよい。このようにしてこの鍬が壊れるまでに力を尽すならば、必ず多数の開田を得ることができよう。いよいよ励み努めてこの開田を耕作するならば、数年もたたないで富むことができよう。どうして今お前が所有している田畑を売り払って、代価で以前からの負債を残らず返却するならば負債は急に消えよう。そして開田を耕す時は10年ないし15年は無税である。そこで産出する米は皆お前の所有となる。そもそも生れた地の産出する穀物は、そのなかばは租税となり、高掛り(いろいろな付加税)となる。有税の田で負債を償って、無税の田を耕す時は、求めなくても必ず富を得ることは疑いようがない。これ唐鍬一つで富裕を得る理由である。このような安心自在の村里に生れて、これを棄てて他国に逃げ去り、安らかな地を出で危ない地に入る、どうして愚の甚しいことではないか。」貧民はややしばらくしておおいにはっと思い当たって、喜んで言った。「お教しえに従って勤め励みます」と。先生は直ちに唐鍬を与えた。
貧民はこうして生田で、負債を償い、一家を挙げて開墾に力を尽し、年々多分の穀物を算出し、累年の貧苦を免れ、富裕になったという。村民もまたこれを感じ、互いに一生懸命勤め励んで、このために開墾が大変速やかであった。先生が教諭を下して、なまけ怠ることを改め、仕事に努めるように化し、貧しい人に富を得させることは往々このようであったという。



(「補注報徳記」より)
 高慶が思うに、青木村のごときは」、衰頽の極というべきであった。先生が深慮遠計によって、適宜の措置を講ぜられなかったならば、どうして窮乏飢餓を免れることができたであろう。そして先生がよくこの村民を純厚にし、その土地を開発せられ得たからには、天下にもとより感化できない民も、開墾できない土地もあり得ないこと明らかである。名主の勘右衛門がこの村にあったのは、たとえば蓮が泥中にあるようなものであった。もし勘右衛門がいなかったならば、先生もどうして良法を施すことができただろうか。古来、事の成否は、要するに当事者の人物に存する。小さな村さえその通りである、まして大きな国においては、なおさらのことである。



「報徳秘録」【301】常州青木村、荒蕪開起之良術を先生に乞ふ。
先生辞して受けざる事3年、猶乞て止まず。
之に於いて、其の下情の切なるを見て是に応ず。
時に借責の為に家産を破り、他郷に走らんとする者あり。
先生諭して曰く、
汝何ぞ幸福の地を去り、自ら深淵に陥る哉。
答えて曰く、
借責日々迫り、進退すでに極り、好で去るにあらず。
先生曰く、
我今汝に唐鍬一枚を与ん。
是を以借責を償ひ、家を富せよ。
彼(かの)舎笑曰く、
一つの鍬を以て家を富し、借を返す事易くは、何ぞ是の如きに至らんや。
先生曰く、
汝富を得るの道を知らず、是故に窮せり。
夫れ天地の運数些も間断無く、是を以て万物生ず。
人間断なく勉励運動天の如くならば、困窮を欲すれ共来らず。
故に我が教に随ひ、唐鍬一つを以て廃地を起し、力を尽し、老幼は力弱きが故に、起したる田地の草根にても振ふべし。
然して此鍬のあらん限り起し耕すべし。
此鍬破る迄には、富大の幸を得る事疑無し。
何んとなれば、今持する所の田面、残らず借財の方に遺せば、借責頓に滅す。
荒地を開き是を作れば、米穀取高皆汝の有となりて、10年・15年間責なし。
生地の分は作益半ば貢なり。
貢税あるの田地を借責に向け、無責の田を耕す時は家必ず大に富まん。
代金1分の鍬を以て、是の如き幸福を得らる自在の村里に生れ、他に走らんとするは何事ぞや。
百姓大に悦び、是を乞ふ。
之に於いて、生地を残らず与へ借を返し、一家を挙る荒地を起し富を得たり。
邑民皆是に法とる故に、荒蕪年々開け、良法成就の一端なり。





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