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報徳記巻之六【3】先生上牧某を教諭す

報徳記  巻之六 

【3】先生上牧某を教諭す

一時(あるとき)先生上牧某(なにがし)に諭(さと)して曰く、
夫(そ)れ国家の衰貧に当りて君の禄其(そ)の名は二万石なりといへども、其の租税の減ずること三分の二に当らんか。
然らば一藩の恩禄も其の減少之に随ふべし。
是れ衰時の天命にして君禄の限りあることを如何(いか)にせん。
天命衰貧の時に当り艱難に素(そ)して艱難に行ふこと臣下の道にあらずや。
然るに君禄の減少を知らずして自俸(じほう)の不足を憂ひ、其のある無き所の米粟(べいぞく)を受んことを欲し怨望(ゑんぼう)の心を免れず。
国体の衰弱を知らざるが故也(ゆゑなり)といへども、誠に浅ましきことにあらずや。
国の政(せい)を執(と)るもの天分を明かにし衰時の自然を明弁し、一藩の惑ひを去り、其の貧に安(やす)んじ、専ら国家に忠義を尽さしむるは職分の最も先務なり。
然るに大夫(たいふ)以下猶(なほ)此の天命を弁(わきま)へず、何を以て一藩を諭(さと)さんや。
而して大夫(たいふ)其の天分を明かに知り一藩を諭すと雖も、猶(なほ)怨望の心止み難きものあり。
如何(なん)となれば衰時の天命に随ひ、国家にある無き所の物を渡すべき術なきを明示すれども小禄の臣下必ず云(い)はん。
大夫(たいふ)以下在職の輩(はい)は俸禄我が輩に十倍せり。
減少すといへども豈(あに)困窮我が輩の如くならんや。
人の上に居(を)り高禄を受け他の艱難を察せずして、天命衰時に当り其の無きものは渡すべきの道なし。
艱苦に安んじ専ら忠義を励むべしとは何ぞや。
執政(しつせい)の任たるもの仁政を行ひ国の憂患を除き、艱難を救ひ衰国をして再び盛んならしむるもの其の任にあらずや。
若し其の任に在て此事を為すこと能はずんば其の職を貪る也(なり)。
何ぞ速かに退職せざるやと云ふ。
是(これ)怨望(ゑんぼう)止まざる所以(ゆゑん)なり。
是の如く怨望する者、素(もと)より臣の道に非ずして、大いに本意(ほんい)を失ひたりといへども、此(こ)の怨望の心なからしむるものは執政(しつせい)の道也(なり)。
一藩の怨望弁明理解を待たずして忽(たちま)ち消除し、其の艱難を安んじ忠義の心興起(こうき)するの道斯(こゝ)に一あり。
子(し)之を行はずんば国弊(こくへい)を矯(た)め上下の艱難を救ふことあたはず。
夫(そ)れ之を行ふべきか否や。


上牧曰く、
一藩の人情誠に先生の明察の如し。
我多年之を憂ふるといへども如何(いかに)ともすること能はず。
今我が行ひを以て一藩の卑心(ひしん)を解(かい)することを得(え)ば上下の幸(さいはひ)何事か之に如(し)かん。
其の道なるもの如何(いかん)。
先生曰く、
其の道他にあらず。
惟(たゞ)子(し)の恩禄を辞せん而已(のみ)。
其の言に曰く、
今国家の窮困(きゆうこん)既に極れり。
君艱難を尽し玉ふといへども臣下の扶助(ふじよ)全からず、
一藩の艱難も亦(また)甚しといふべし。
某(それがし)大夫(たいふ)の任にありて上(かみ)君の心を安(やす)んずることあたはず、下(しも)一藩を扶助すること能はざるは是(これ)皆不肖(ふせう)の罪なり。
今二宮の力を借り以て衰国を再興せんとす。
先づ恩禄を辞し聊(いささ)かたりとも用度(ようど)の一端を補ひ、無禄にして心力(しんりよく)を尽さんこと某(それがし)の本懐(ほんくわい)なりと主君に言上(ごんじやう)し、一藩に告げて以て禄位(ろくい)を辞し、国家の為に万苦を尽す時は衆臣(しゆうしん)必ず曰(い)はん。
執政(しつせい)国の為に肺肝を砕き再復の道を行ひ、恩禄を辞して忠義を励む。
然るに我輩(わがともがら)国家に力を尽さずして空しく君禄(くんろく)を受く。
豈(あに)之を人臣(じんしん)の本意(ほんい)とせん。
仮令(たとひ)禄の十ヶ(が)一を受(う)くるも大夫(たいふ)に比すれば過(す)ぎたるにあらずやと。
積年の怨望(ゑんぼう)氷解(ひようかい)し、始めて素餐(そさん)の罪を耻(は)づるの心を生じ、日々活計(くわつけい)の道に力を尽し、他を怨みず人を咎めず、如何(いか)なる艱苦をも安んじ、之を常とし之を天命とし、婦女子に至るまで其(そ)の不足の念慮を去らん。
然らば則ち一藩を諭(さと)さずして当時の艱難に安んじ、忠義の一端をも励まんとするの心を生ぜん。
是の艱難の時に当り大夫(たいふ)たるもの上下の為に一身を責めて人を責めず大業(たいげふ)を行ふの道なり。
然して惟(たゞ)之を行ふ事のあたはざるを憂ひとせり。
此の道を行はずして人の上に立ち高禄を受け、弁論を以て人を服せしめんとせば、益々(ますます)怨望(ゑんぼう)盛んにして国家の殃(わざわひ)弥々(いよいよ)深きに至らん。
何を以て衰国を挙げ上下を安んずることを得んや 
と。
上牧某(なにがし)大いに此の言(げん)に感激して曰く、
謹(つゝしみ)て教へを受け直ちに之を行はんと云ふ。
下館(しもたて)に帰り此の事を聞(ぶん)し速(すみや)かに恩禄三百石を辞したり。
微臣(びしん)大島某(それ)小島某(それ)なるもの此の事を聞き感動し、二人共に自俸を辞し無禄にして奉仕せり。
先生之を聞きて曰く、
上(かみ)これを好むときは下(しも)之より甚(はなはだ)しきものあり。
上牧(かみまき)一度非常の行ひを立つれば両人亦(また)此の事を行ふ。
古人の金言(きんげん)宜(うべ)ならずや。

是(これ)に於て上牧大島小島三人一家(いっか)扶助の米粟(べいぞく)を桜町より贈り、其の艱苦を補ひたりと云ふ。

(原文は漢文)
高慶曰く、
国家の憂を以て憂と為て一己の私憂とせず。
夙夜身を致し以国事に任ずる者人臣の常道に非ずや。
苟も恩禄栄利を以て心と為し阿諛面從豈與に君に事ふ可んや。
先生甞て曰く
君に事て利禄に離れざる者譬へば商賈の物を鬻ぎ価を争ふ也。
君子の君に事る豈其れ斯の如くならん哉。
先生一たび臣為るの道を教へて下館の衆臣多くを貪り不足を憂ふるの意弭み而して忠義の心油然として生ぜり。
徳の物に及ぶ何ぞ其れ速か也るや。

(「訳注 報徳記」佐々井典比古)
著者(富田高慶)が思うに、
国家の憂いを憂いとして一己の私事を憂いとせず、日夜身をささげて国事に任ずるのが人臣の常道ではないか。
いやしくも俸禄や栄誉利益を心として、おもねりへつらい、うわべだけ人に従うような者とは、到底共に君に仕えることはできない。
先生はあるとき言われた。
「君に仕えて心が利録から離れない者は、たとえば商人が物を売り、価を争うようなものである。
君子は決してこのようにして君に仕えるものではない」と。
先生がひとたび臣たるの道を教えられて、下館の衆臣は多くをむさぼり不足を憂える心がやみ、忠義の心が油然として生じた。
徳の推し及ぶことは、何とすみやかなものであろう。


「報徳記」現代語訳 巻の6 【3】先生上牧某を教諭す

ある時、先生は上牧甚五太夫を次のようにさとされた。
「そもそも国家の衰貧に当って君の禄がその名は2万石であっても、その租税がおよそ3分の2に減少しています。そうであれば、藩士の恩禄もその減少に随って減少すべきです。これは衰時の天命であって君禄に限りがあることですから仕方がありません。天命が衰貧の時に当っては<艱難に素(そ)して艱難に行う>(中庸)ことは臣下の道ではありませんか。そうであるのに君禄が減少していることを知らないで自らの俸禄の足らないことを憂い、そのありもしない米穀を受けることを欲して恨みの心を免れない。国体の衰弱を知らないからであるといっても、誠に浅ましいことではありませんか。国の政治を執る者は、天分を明らかにして衰時の自然を明らかにわきまえて、一藩の惑いを去って、その貧に安んじ、専ら国家に忠義を尽させることが職務上最も先にすべき務めです。そうであるのに家老以下なおこの天命をわきまえないで、どうして一藩をさとすことができましょうか。そして家老がその天分を明らかに知って一藩をさとすとしても、なお恨みの心が止みがたいものがあります。なぜかといえば衰時の天命に随って、国家にありもしない所の物を渡すことができないことを明らかに示しても小禄の臣下は必ず言うことでしょう。『家老以下の在職の連中は私たちの10倍も俸禄を受けている。減少したとしても、どうしてその困窮が私たちのようであろうか。人の上にいて高禄を受けて他の艱難を察しもしないで、 天命の衰時に当ってその無いものは渡すべき方法がない。艱苦に安んじて専ら忠義を励むべきだ とは何ということか。政治を執る者の任務というものは仁政を行って国の憂患を除いて、艱難を救い衰国を再び盛んにならせるのがその任務ではないのか。もしその任務に在ってこの事を為すことができなければその職を貪るものだ。どうしてすぐに退職しないのか』と言う。これが恨みの止まない理由です。このように恨む者は、もとから臣の道ではなく、非常に本意を失っているといっても、この恨みの心をなくするのが執政の道です。一藩の恨みを弁明や説得を待たないでたちまちに消して除き、その艱難を安んじ忠義の心をおこす道がここに一つあります。あなたがこれを行わなければ国の弊害を矯正し上下の艱難を救うことができないでしょう。いったい、これを実行されますか、されませんか。」
上牧は言った。
「一藩の人情は誠に先生の明らかに考察されたとおりです。私は長年これを憂えてきましたがどうにもすることができませんでした。今、私の行いで一藩の卑しい心を解消することができれば上下の幸いはこれにまさるものはありません。その道というのはどのようなものですか。」
先生は言われた。
「その道は他ではありません。ただあなたが恩禄を辞退することだけです。そしてこのように言って辞退するのです。『今、国家の困窮はすでに極っています。君が艱難を尽されていますが臣下の扶助を全うすることができず、一藩の艱難もまたはなはだしいというべきです。私は家老の任務にあって上には君の心を安らかにできず、下には一藩を扶助することができないのはこれ、皆愚かな私の罪です。今、二宮の力を借りて衰国を再興しようとする。まず恩禄を辞退し少しでも必要な費用の一端を補い、無禄で心力を尽すことが私の本望です』と主君に申し上げて、一藩に告げて禄位を辞退し、国家のために万苦を尽す時は多くの臣は必ず言うでしょう。『執政が国のために肺肝を砕いて再復の道を行い、恩禄を辞退して忠義を励まれる。そうであるにわれらは国家に力を尽さないで空しく君禄を受ける。どうしてこれが人臣の本意としようか。たとえ禄の10分の1を受けるのも家老に比べれば過ぎたことではないか。』と。積年の恨みは氷解し、始めて無為無能でいたずらに俸禄を受ける罪を恥じる心を生じて、日々の生計の道に力を尽し、他を恨まず人を咎めず、どのような艱苦も安んじ、これを常としこれを天命とし、婦女子に至るまでその不足していることが思慮から去ることでしょう。そうであれば一藩をさとさないで現在の艱難に安んじ、忠義の一端をも励もうとする心を生じるでしょう。この艱難の時に当って家老である者が上下のために自らの身を責めて人を責めないで大業を行うという道です。そしてただこれを行う事ができないことを憂いとします。この道を行わないで人の上に立って高禄を受け、弁論で人を服させようとすれば、ますます恨みは盛んになって国家の災難はいよいよ深くなることでしょう。どうして衰国を挙げ上下を安らかにすることができましょうか。」と。
上牧甚五太夫は非常にこの言葉に感激して言った。「謹んで教えを受けてすぐにこれを行いましょう。」と言った。下館に帰ってこの事を君のお耳に入れてすぐに恩禄300石を辞退した。小禄の家臣である大島儀左衛門と小島半吾(足軽)という者がこの事を聞いて感動し、2人共に自らの俸禄を辞退して無禄で奉仕した。先生はこれを聞かれて言われた。
「<上(かみ)これを好むときは下(しも)これより甚しきものあり>(孟子)という。上牧が一度非常の行いを立てれば両人がまたこの事を行う。古人の金言はもっともなことではないか。」
そこで上牧・大島・小島3人の一家扶助の米穀を桜町から贈って、その艱苦を補われたと言う。

(「訳注 報徳記」佐々井典比古)
著者(富田高慶)が思うに、国家の憂いを憂いとして一己の私事を憂いとせず、日夜身をささげて国事に任ずるのが人臣の常道ではないか。いやしくも俸禄や栄誉利益を心として、おもねりへつらい、うわべだけ人に従うような者とは、到底共に君に仕えることはできない。
先生はあるとき言われた。
「君に仕えて心が利録から離れない者は、たとえば商人が物を売り、価を争うようなものである。君子は決してこのようにして君に仕えるものではない」と。
先生がひとたび臣としての道を教えられて、下館の衆臣は多くをむさぼり不足を憂える心がやみ、忠義の心が盛んに湧き起こるように生じた。
徳の推し及ぶことは、何とすみやかなものであろう。



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