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内村鑑三札幌講演会 「農業とキリスト教」

(承前)
 ここに学生なり職工があって、彼らを救いに入れ、彼らを喜びに生かし、失望を希望にかえ、死を悲哀の極となさず、かえって讃美の歌をうたうがごとき麗しき深き考えにすることができるのはキリストの福音を除いて他にいずくにありましょう。ポーロの場合をわたくしにとって言いますれば(不遜な話でありますけれども)わたくしが久しぶりで札幌に帰って来て考えますことは、明治10年にこの地に来て友と共に農学校に学びました。友はその専門において第一級の人となりました。わたくしはこれを大いに得意といたします。ところがもしわたくしが「君は何を持っておるか」と問われましたら、私は何も持たない、わたくしの水産学も、何も残っていない、農学校4年の生活が今何も残っていない、それで何の貢献も日本のためにしていないで番頭が無一文になって帰ってきたと同じことだとすれば、私は何の顔(かんばせ)あってこの地に帰って来ることができましょう。しかし幸いにもわたくしも何かを持って帰って来ました。わたくしはキリストの福音を恥としません、この福音は神のダイナマイトであります。神を信ずる者の神のダイナマイトであります。日本朝鮮支部の人々をも救う神のダイナマイトであります。幸いに私も一つのものを持って感謝に溢れて札幌に帰ってきました。いずくにいても何も持たない人でなくして、家庭問題その他の難問題を解決する所でのこの契約全書の教えを託されてこの札幌に帰って来ました。なにとぞ諸君もこの言葉を考えてもらいたいのであります。今夜わたくしの言ったことはローマ書講義の入門として聞いてもらいたいのであります。(札幌独立教会において)


  農業とキリスト教(10月19日農科大学農政経済学講堂において)
 久しぶりに札幌に帰り、特にわたくしの教育を受けた所において、かく教員生徒諸
君と共にあいまみえることは、わたくしの大いに喜びとするところであります。札幌
はわたくしの第二の故郷(ふるさと)というよりは唯一の故郷(こきょう)でありま
す。すべての山河は古き印象を呼び起こすので、この町、この付近において、わたく
しの仲のよかった木を見、これらの木にリスを撃(う)って歩いたことを思うと、いろいろ
の感慨に打たれ、嬉しくもまた恋しくもあるのです。
 わたくしは諸君と同じくこの学校の卒業生でありますが、私も思い人も思う事はわ
たくしと農学校農業との関係は絶えたのではないかということであります。東京の新
聞や雑誌がわたくしを農学士は名ばかりであると言って誉めたりまたは嘲ったりす
る。志賀君が農学校出身者の中で学校で教わらなかった事をやっているのは内村君と
私ばかりだと言ったと聞きましたが、志賀君の専門としています地理は農業に縁なし
という事はできません。地理は地の事を論じますけれども、わたくしは地の事は悪い
という宗教家でありますから、志賀君よりも縁遠い事となるのであります。宮部〔金吾〕君はわたくしを札幌の副産物だといいました。はなはだ残念ではあるが仕方がありませ
ん。こんなありさまでありますから札幌に来ましても学校にみやげはありません。始
めわたくしは水産が好きでありまして付近の池の魚(うお)とは懇意にしていまし
た。幸いにしてそれでも続けておりますと、農学校の水産部長にしてくれたかもしれ
ず、今度のように札幌に参りましてもおみやげがあったのでありますが、わたくしの
水産学はもうなくなっております。それでわたくしもかつてはこの学校において農業
を学んだことがあったと夢のように思うほどに縁遠くなって参りました。ところが幸
いにして全く絶縁にも至っておらない。わたくしは伝道上において農業にも接するこ
とになりました。この点において一つの接触点を見出しました。わたくしは副産物で
ありますけれども、農学士には違いありません。この関係はいかんともすることがで
きません。およそ伝道の快はすべての人に接触することであります。政治家農工商業
老幼男女を論じません。けれどもこのうち、わたくしは百姓と接すると直ちに仲がよ
くなる。その理由は甘藷、大根、稲、麦、に興味を有し、その名前を聞いたり、また
話しますので、百姓にこの人は少しは農のことを知っていると思わしめるので、自然
と両方の間を接近せしめるようになるのであります。これに反してわたくしと最も関
係の薄いものは文学であります。近代文学に至ってはわたくしは少しの趣味をもって
おりません。同情もすこぶる薄くあります。農業につぎてわたくしの近づきやすいの
はまず製造業、次は商業で、地の産物に関係し、または従事せる人は、わたくしの考
えの深いところも察してくれ、わたくしもその人たちを解することができるので、わ
たくしはこの方面に最も多くの友人を有しています。それでありますからどうかわた
くしも副産物と見られずして真正の産物として見られたいのです。
 わたくしのここに申しますのは宗教はわたくしの宗教ですべての宗教につきまして
はこれを述べることはできません。エスキリストの福音をさすものと思われたいので
あります。またキリスト教が真(まこと)であるか否やは別の問題でありますからそ
れもこの席では許してもらいたく思います。
 さて問題はキリスト教と農業とは果たして深き関係を有するや否やであります。先
夜来(せんやらい)お話をしましたが、宗教は農業を助けようが助けまいが、国家が
いかになろうが、それは宗教の問題ではありません。宗教は感覚以上で土地、国家、
人間には無関係であります。神との関係でありまして住家(すみか)を天に置かんと
するものであります。この意味よりしますれば我々の宗教を信ずる目的は天に住まう
事であります。ゆえに土中より物を生産せんとするものやビート、豚、馬、牛と直接
の関係あるはずがありません。まことにスーパー、アースター(超越的)なるべしと
考えるのであります。この事は諸君が宗教をしらべる時に考えられたき事でありま
す。宗教は農政を助けるために利益あるや否やという事を研究してもよろしいですけ
れども、この方面よりしては宗教の本質を解されぬことは確かであります。肉体を離
れて霊、人を離れて神、地を離れて天であります。かく考えて参りますと宗教と農業
とは全然無関係となって来ますが、他の点より見ますれば関係を有することは確かで
あります。それは双方向ともリアル(実)なる点についてであります。哲学、文学と
は違い計算を誤れば直ちにその結果が表れる的確なるリアルであります。宗教もこれ
と同じくリアルであります。キリスト教にいう天とか神とかいうものはアンリアル
(虚)というのはまだ宗教を知らざるものの言葉であります。我々の経験するものの
うちにて何よりもリアルなものはセルフ(自己)であります。然るにこのセルフは
手、足、胃、心臓にあらずして見えざるものであります。同様に神は思索の結果では
ありません。霊魂を有する人間にとって最もリアルなものであります。故に宗教はリ
アリテー(実在)として研究しなければなりません。即ち我自身経験すべきものであ
ります。かく言えばとて、わたくしを宗教哲学の方面から霊魂不滅を証明しておるも
のだと思うは誤りであります。わたくしはわたくしの霊魂の実験を述べておるのであ
ります。私はいかにして心に平和を得るか、世に打ち勝つか、これほどリアルなもの
はありません。農業は手足においてリアルでありますが、宗教は高き深き意味におい
てリアルであります。今このリアルの対照を求めんとしますれば、それは近世文学、
カンジナビアン文学でありましょう。この文学は想像や空想がおもなる部分をなし
て、思索のためにする思索であります。神学の大部分はスベキユーレチーブ、フィロ
ソフィー(空論的哲学)であります。彼らは豚の首に胸を結びてひけばいずれが引く
のであろうかという問題を考えます。けれども農家にあれ、宗教家にあれ実際家に
は、そんな話はどうでもよろしい。豚をひきさえすればよろしいのであります。農業
と宗教とはこの点において深き関係あることを認めます。農の敵は宗教でありませ
ぬ。つまらぬ夢想空論家であります。然らばいかにして宗教の経験をリアルと見る
か、豚、馬、家畜の実在は認むる事ができますけれども、いかにして神と霊魂の実在
と不滅とを証明すべきか。この問題に関してはカントのクリチック・オブ・ピュ
アー・リーズンスにさかのぼりて論ぜねばなりませぬが、時間がありませぬからお断
りしたい、実物教育に従事するときは実物以外に実在のあることを疑います。
物は物となりて現われなければならぬと思います。わたくしどもが学生時代に農業を
学ぶのは今日のようではありませんでして、いかにすれば北海道の産物を増すことが
できるのか、いかにして改良すべきかという問題でありました。麦、じゃがいもが沢
山収穫されて売れてさえ行けば北海道全体が利益すると考えた。然るに漸々農業の進
歩した結果、以上の要求が満たされた時に、問題が進んで我らはさらに物産以上の機
関、すなわち農工銀行、拓殖銀行等の力をかりて利益を増加せんとする。かように金
融上の問題が来たり、次に法律学が加わる。農業はただ生産なる単純の問題では済ま
なくて、金融及び法律問題がきまらなければ発達はしない。また更に進んでこの機関
を託する人間はいかん、信用のある人はいかんということになる。ここに至って法律
を行う人間の問題となり、これなければ法律なく物産衰える事となる。約言すれば物
質より道徳問題に趣き、今度は道徳の方面より物質に帰って来ることになるのです。
ここにおいて農業は他の問題と併せて考えなければならぬ。この解決なくして農業の解
決はつかぬことになるのであります。じゃがいもの問題は単純でありますが、これよ
り利益を得るには経済、法律遂には宗教も関係を有してくる。農業は豚、馬のみから
なるならばごく単純であります。馬がひとり鋤きまた耕すのなら宗教はいらなくなる
けれども、百姓といえども人間であります。人が作りて生産物を売却し富を得る故に
農業は遂に宗教と深き関係を有するに至るのです。
 心理学は新しい学問であります。最近に至りまして長足の進歩をなし、また進歩し
つつありまして誰でもこの学問は知らざるべからざるものとなりました。ところがわ
たくしが農学校にいます時にある農書を翻読しますと、ブリックが農家の知らざるべ
からざる学問の種類を述べたところに、「農家は昆虫学、化学、物理学、経済学・・・
等を知らざるべからず」と記してありましたが、そのうちに生理学はありませんでし
た。文学もありませんでした。わたくしは学生時代には学校において大いに文学をや
らされたものであります。ここにござる学長とは大の違いでしてわたくしは文学が非
常に嫌いでありました。農業に文学は少しも関係がないと思いましたにかかわらず学
校はこれを強いまして、チョーサーのカンタベリー、テールスの中にあるナンス、ブ
リーストテールなどは暗誦をやらされました。わたくしは非常にこれを苦痛に感じま
したが、英文学の試験の済んだ時に、いかにわたくしが英文学が嫌いであるかを証明
せんがために、学校の講堂の前で筆記帳を焼き捨てました。今日に至りましてもわた
くしは筆をとる事は嫌いでありますが、筆をとらざるべからざる境遇に立ちましたの
で、大いに悔いておる次第であります。今日もわたくしの所に唐紙を持ってこられ
て、揮毫を望まれた方がありますが、誠に悪筆にて往時の祟(たた)りを蒙ったわけ
であります。
 元に帰りまして農業は人間の従事する仕事であります。故に農業の理想が人間全体
を益するにある事はもちろんです。心理学からでも人間を完全にするには人類全体を
よくする上において必要な事であります。わたくしの読みました心理学の本にナビル
著の「人間の三要素」という本があります。人は古き心理学といって排斥するかもし
れませんが、誠に便利でありますからこれをかりて用いますが、この書物のうちに人
のネーチャー(天性)を分かって身体、悟性、霊魂の3つとしてあります。この三つ
が人のネーシャーを作りますので、もちろん実験室内において一つ一つを別々に分つ
ことはできませんが、人間はこの三つの明白なネーチャーをそなえておりますからに
は、人を完全に発展せしめるためには、この三つの方面がおのおの平均して発達する
事が必要となります。故に人は運動を必要として、新鮮なる空気を必要とし、かくし
て身体の発達を計った上に悟性の修養を必要として、かくして人の幸福は作りあげら
れるのです。この点においてシャイクスピアもチョーサーも必要となってまいりま
す。然らば身体と悟性とが発達すれば、それにてよろしきか、否(いな)否、このほ
かに人間として大切なる要求があります。それは霊魂の要求でありまして、いまだ国
家国民、個人の歴史より見て宗教のなかった国はないのであります。人は自分らより
以上のものと交通し、この者より愛と導きとを要求するのであります。この苦しき世
の中に立ちて、世界全体が自分に反対する時にも、自分を慰め、自分にエネルギー
(努力)を与えるものを求むるのであります。故に三つのネーチャーのうち、この霊
魂のネーチャーが不備なる時はわたくし自身が不完全となるのです。もしこの理を諸
君が否定するなら諸君自身が害を受ける事となるのです。イムモータリチー(不死)
について若き時は考える事を好まない、死んだ後(のち)はどうなってもよろしいと
考える。もし諸君の仲間の一人が死んだ時に彼のこの世においてなしたる事績はただ
終りたるものと考えるであろう。けれども年老いた時には、この問題が痛切に襲って
きて、その解決を済まさなければ真の愉快、希望はないのであります。何らかの方法
をもって霊魂を養わなければ身体も悟性も健全になる事ができず、我らの仕事が誤り
やすいのである。されば商人も職工も教授も学生もことごとく宗教は必要となってき
ます。いったん宗教を得ればすべてが活動して、より大なるより聖(きよ)きものと
なることは明らかで、学者はより大なる学者おなり、農業家はより大なる農業者とな
るのであります。これを世界の歴史より見ますも宗教を受けた国はこれを受けぬもの
よりも勝っておることは明らかであります。クロムウェル、ミルトンのなせし清教徒
運動がいかに産業上に関係を有したるかは明白な事であります。またオランダがその
小なる国土をもって一時世界を圧倒せきごときもその例であります。海の面よりも陸
地は低く地味悪き天恵の少なき国でありながら、かかる勢力を得たことはカルビン神
学の力なりし事は明らかであります。歴史と生産業との関係は興味ある問題でありま
すが、今はその時がありませんから、私自身の目撃したことを述べて証明してみたい
と思います。この話に入ります前に予め申したいことは、先夜も教育会場で述べた事
でありますが、宗教は霊魂の深き実験でありまして、霊魂の要求に応ずるものであり
ます。故にその結果を十年、二十年の後に期待するのは無理であります。人の全身全
力を動かして表れ来るものでありますから、その結果は少なくとも百年の後を期して
まつべきであります。仏教が日本に渡りまして聖徳太子の立つに至るまでは百年を要
しました。現今日本のキリスト教の勢力が微々として振るわないのはこの点より見
て、至当な事といわなければならぬ事であります。今一つ申したきは僅かな事物に働
く同じ法則をもって全世界に適用する事ができますから、今わたくしが述べんとする
実例の範囲が小なるがためにアンリアルであると思うてはならぬ事であります。いか
にして一村が改良せられたかと話しすれば同じ原理をもって一郡、更に大にしては国
家をも改良さるべき事は推察する事ができます。時間の都合でこの実例もあまりたく
さん述べる事はできませんから、最も印象深いもの二三を選んで、キリストの福音が
いかに農業を改良するに力あるかをお話したいと思います。
 日本という国は、土地が狭くて人口が多い、ゆえに殖民せなければならぬとは人の
一般に認むるところであります。しかし政府の殖民政策ははなはだしく誤っておるた
めに、我が国の殖民の成績がすこぶる発展せぬ事は実際でありますが、さてまたこの
罪ははたして政府にのみ帰すべきものであるかというと、さようではありません。日本国民もその責任の一半を負わなければならぬように思われます。それは日本国民中には植民思想がないということであります。言葉を換えますれば、日本人はあまりに愛国的であるというのであります。あまりに愛国心に富むという事はよろしくありません。自分の国土を離れることができないのであります。内地の人が北海道に永住する事をすら好まない国民であります。いわんや遠きカルフォルニア、メキシコにおいてをやであります。これらの遠き国において楽しく生活する事は日本人に取りては不可能に属するようです。けれどもキリスト教を信仰せる人に取りては大いにその趣きを異にしておるのです。我らの振興によりますれば、我らの家庭は全宇宙であります。いずくに行くも我らの最も大切なるものがおる事を思いますから少しも恐れません。これはキリスト教の宇宙の宗教によるのでありまして、神は至るところに在りて我らを慰め、我らの命を終る土地はいずくにあれ、その霊は天なる父のもとに行くと信ずるのであります。故に行くところを選ぶ必要もありませず、世界がおのずから拡がるのであります。これについて一つの実例があります。メキシコの南にチャバールと申す所があります。ここに小さな日本の部落がありますが、ここは榎本子〔〕が日本の将来のために移民奨励の必要を感じて移住を計った所であります。初めのうちは事業も有望でありましたが、年を経ると共に一人去り二人去り、終に一人もいなくなって、その事業は失敗に帰しておりました。しかるにわたくしのところへよく参りました駒場の農学実科の学生が一人おりました。○○○○というものではなはだ有望な学生でありました。この○○が一日(じつ)わたくしのところへ参りまして突然メキシコへ行きたいという事を申しました。わたくしはかかる善良なる学生を手放すのが惜しかったものですから不賛成を申して置きましたところ、突然妻君をわたくしの宅へ預けたまま出発してしまいました。乱暴な話もあるもので、妻君はちと病身でしたから、わたくしども夫婦は妻君の介抱に骨を折った事でありましたが、まもなくかの地より手紙が参りました。妻君はこの間にキリスト教の感化を受けてかの地に渡りました。昨年でした9年目に彼は立派な紳士となってわたくしにあいに参り、大変開墾の事業について面白い実験を話しました。メキシコには考えの及ばぬ奇談があります。彼は南の処女林中に生えたるままの樹木を柱として家を建てました。窓には閉まりなく戸障子もありません。盗賊の防御には犬を30匹も養って置くそうです。楽しみといえば、ワニや虎を狩る事くらいで、ある時彼はガラガラ蛇に指をかまれたので、面倒臭かったから指を切ったとて、指が一本不足した手をもっておりました。いろいろ話の末に、幸いにして今は地盤も固まり成功の段落を告げたから喜んでくれと彼は申しました。しかしてまたこの成功は自分の精力の賜物にあらずして福音の力であると付け加えました。その理由とするところをきくに、移住地において移住民の永続せぬは女にその原因があるのでありまして、男はいかにもしてその楽しみを取ることができるけれども、困るのは女です。隣が2里もあって銀行が20里もある森林の中でありますからほとんど耐えられぬ。そこでしきりに帰国を夫に要求するので、男も已(や)むを得ず引かれて帰るというありさまになるのです。ところが幸いにして彼の妻はゴムの林にオウムの群がり来たって赤色(せきしょく)を呈する熱帯国の森林を楽しみまして、ここが神の与えたもうた所であって、ここに神と交わるこの生活が最もうれしい、もし彼が死ぬことがあっても彼の妻は残ってその業を継続するという決心が固く、遂に動揺が来らずして事業は成功するに至ったと申すことでした。移住者は皆その妻君に○○の妻君を見ならえと言うけれども、こは外形的に見ならっただけでは、ダメでありまして、宗教的個人的経験が必要であり、心霊の深き経験なき時は彼女の心地(ここち)を解する事は不可能でありましょう。わたくしのところに4年ほど勤めた下女があります。わたくしどもはその処置を考えておりましたが、○○はこれはよい人があったと言って早速連れ帰った事であります。女に世界を家とする精神を与えて永遠なる実在を味わわしめる事は殖民事業には必要の事であります。もしもかかる精神が日本中に拡がるならば、外務省がどうなろうとも内務省がどうなろうとも、いやがおうでも同胞(どうぼう)はどしどし出て膨張せる国となることは容易であると思います。
 次は内地の農村について述べてみましょう。村の生活は幸福なものであると詩人は歌うであろうが、わたくしは最も不幸なものであると思います。百姓は情実や古き習慣に縛られ、狡猾で怠惰であります。こんな事は諸君がよくご存知の事でありましょう。日本の村を改良する事はむつかしいことであります。日本は進歩せりと言います。法令は加わって間然するところはありません。けれどもわたくしの見るところをもってしますれば依然として古き村であります。しかして古き日本を形成しております。日本を訪問した西洋人は新日本の駸々(しんしん)たる進歩に驚くことでありましょう。横浜、東京、日光、箱根等のみを見て歩きますれば年一年と進歩を重ねております。けれども今一歩踏み込んで埼玉に行きますと依然たる旧日本でして、至るところ進歩を妨げ青年を圧し、新農業新思想を排斥するのであります。よし諸君が新知識を持ちて村落に至るも、直ちにその門前てくいとめられるでしょう。この困難なる農村を改良するにはそのままでは到底いかぬ、何が必要である、それに役立つものはこの前に独立教会で話しました霊のダイナマイトであります。これをもって農家の頭を粉砕しなければなりません。このダイナマイトはすなわち神にほかならないのです。この力は人の心の最も深き所から出るものでありまして、これによって非常に善いことで果たされる。法律が清まり、信用が高まり、すべてが改良されて行くのであります。
わたくしはこの際ちょうどよい機会でありますから、わたくしが何ゆえに水産をやめたかを告白してみたい。その最初の理由は、わたくしが学校を卒業し、東京へ参る時、小樽から田村丸という船に乗りました。ニシンのシメ粕(かす)と同居して三等船室に陣取りましたが、この室にはたくさんの漁夫の出稼ぎ人が乗り込んでいました。彼らは漁期が去ったために帰国するところででしたが、まだ船の出航に間があるというので博奕(ばくえき)を始めました。この光景たるや非常に盛大なるものでありましたが、見かねたものかこの席に警官が踏み込んで来ました。その時の人々の狼狽(ろうばい)は激しいもので、わたくしの前にも5円札が飛んで参りました。わたくしはこのありさまを見て、つくづく感じたのは、かかる漁師に金を与うるのは博奕の材料を与えるようなものであるということです。しかし、わたくしはいまだ水産はやめませんでした。その後わたくしは水産講習所に教鞭を取っていました時に生徒を率いて房州(千葉県)に参りました。房州の布良(めら)村に神田吉右衛門という実地に関しては日本に有名なる漁夫がありました。一夜わたくしは彼と共に炉火(ろか)を囲んで話をしましたが、談興に入った時、彼の申しますには、内村さん改良もよいけれど何よりも先に漁師を改良しなければダメですよと道破しました。これを聞いたわたくしはなるほどさようだと思いました。これがわたくしが水産科をお暇乞いした理由であります。
農業におけるもこれと同じ理であります。法律や改良法は具わっても農民の心を動かさなければダメであります。茨城県の小石村は人口6千余の四方山に囲まれたうるわしい村落であります。わたくしはこの村を友人の紹介によりて訪問し、村長に面会しまして感じべき改良談を聞きました。元来この小石村は同県中の難村でありましたので不取締りは有名なものでした。この村の樺山神社の宮司○○○○○氏は足利時代からの旧家で一村の名望家であります。同村の家長は一度は村長になるという慣例でありますので、○○○氏も村長の職を勤むることとなりました。彼は不思議な事から聖書を読み、単純なクリスチャンとなりました。彼が村長となるや、大いにその責任の重大なる事を感じましてこの難村を再興しようと決心しました。そこで彼は聖書を開きまして適切なる言葉を捜しましたが、彼は「人に仕ふるは人に仕へらるるより幸ひなり」という句を発見して大いに感動し、これを実際に行いました。人に仕うるが幸いである。ゆえに村長となるは彼らを命ずるためではなくして彼らに命ぜらるる神よりの僕(しもべ)であるちうクリスチャンの態度に出ました。村落の難村とか模範村であるとかいうのは村税の皆納が行われておるか否かが中心問題であります。内務省より表彰せらるる模範村となるの第一資格は村税がよく納まっておるか否やにあるらしいのであります。ゆえに村長は上級官省に対する心配からして、滞納の税額を引き受けて自腹を切るものすら少なくないとの事であります。実際村税の滞納が多いようでは村長も改良計画をする事はできないのであります。この小石村も難村の例にもれず、700戸のうちで600戸は滞納をしていることを発見しました。そこで○○氏はこの滞納者に対して催促するにおきまりの一片の催促状を小使いに持たしてやるというような事は行わないで、自分自ら脚袢(きゃはん)草鞋(わらじ)の装束で少しも権式ぶらずに村の殿様が各戸を訪問して租税の納入を勧誘しました。初めのうちは旦那が税を取りに来さしった、払わななるベーナというような調子でありました。彼はなお滞納者に対して2回、3回、4回・・・・・10幾回も倦むことなく頭を下げて納入せんことを頼み歩きました。彼はこれが神のためだと思いまして少しも恥ずかしく思わなかったということでした。ある家へは15回も訪問しまして十幾年間の滞納税金を完納せしめたということであります。今では小石村は県内においては最も善く治まった村となったと申す事であります。かくして村が整然と秩序を回復した上、彼は村長を辞し青年団を組織し、道徳的に宗教的に自村を改良し、進んでは近村までをも改良せんことを期しました。わたくしがこの村を訪問したのは桜の花が開いていた時でありましたが、導かれて城のような彼の住まいに至りました。然るにわたくしはこの屋敷の門の入口の右に奇態なる建物を発見しました。この建物はガラス戸がはめてありましてガラスは色ガラスを使ってありました。わたくしはだいたいの形よりしてきこれを改良した養蚕室と早合点しました。建物の内部は三つに仕切られてありまして、中央は板の間でイスがならべられ多数の青年が集まっていました。その室の隣には本箱が置かれて、この中にわたくしの著書も貯えられてありました。その反対の室には布団や台所道具が設備されている。○○氏はこれを会堂であると説明しました。その由来は彼の屋敷のうちに生えた大きな杉の木が風のために倒れたので、彼は青年を集めて板を引かし、彼の弟が器用なのでその人をも頼んで建築したというのです。私はこの会堂において青年たちに一場の話を試みましたが、○○氏の話によって私は同氏の治村上の計画の遠大なるに驚きました。その計画と申すは外ではありません。かの会堂においては教派に一切関係なく、ただキリストとバイブルあるのみという考えで集会をしているのであります。青年団はまた宗教的会合のみを目的としませず、彼の所有の未開の山を青年らの暇を利用して畑地となし、これを耕作して得たる収入をことごとく挙げて会堂の費用に当てました。その畑(はた)の面積は5反歩あります。また改良事業を永遠に伝えんとして、彼は子息を師範学校に学ばしめています。○○氏の意見によれば学士などにして高等の専門教育を授けますと、自村に止まらずして他所(よそ)へ出てゆくがゆえに、むしろ教育を師範学校に止め、村に止めて小学校の校長となし、長く村の子弟の教育の任に当たらしめようというにあるのです。そればかりか新宅の長男を医学校に送りて医学を学ばしめ、これを村に止めて開業せしめるはずであります。このようにして校長と医者とがクリスチャンで村の改良の先導者となるならば大丈夫であろうとの話でした。なんと驚くべきほど遠大なる改良法ではありませんか。簡単なる「仕ふるは人に仕へらるるより幸ひなり」という聖句の精神が全国に及びますならば国家の大問題は解決されるのであります。最後に今一つの実例を申しあげましょう。福島県のある町に呉服屋を商売とせる有力なる紳士があります。この人も早くより単純なキリスト教徒となりまして単純なる福音によって町(ちょう)、郡のために大いなる改良の功を奏しました。独立教会で話したことでありますが、この人は聖書を煙草入れのように仕立てて腰にぶら下げております。わたくしはある日、君はまだタバコをのむのかと尋ねました時に、彼は根付をゆるめまして中より聖書を取り出し、先生これですといって見せました。せわしい彼は車上にある時、汽車にある時、その他零細なる時間を見つけました時に聖書を取り出して読むためであると答えたのであります。彼はクリスチャンにはなりましたけれども洗礼は嫌いでありました。彼は常に堅く信仰の上に立ちて、さらに譲りませんので、町人(まちびと)より憎まるるに至りました。それはどこでも同じようでありますが、祭礼の時に寄付金をしないチョウチンを出さないという。それではと町の人はこぞってポンプを門口に引き来たり、もしも応ぜぬならば水をかけると威嚇しました。その時に彼は自若として町の人々を前にして己の家族の者を店頭に並び座らしめて言うよう、わたくしは信者となりましたが、洗礼は嫌いでまだ水の礼を受けたことがありません。諸君が洗礼を授けてくださるということならわたくしの非常に喜ぶところであります。サアかけてくだされ、と言って町の人々を驚かしたという逸話をももっておる人であります。さてこの人が義憤を起こしましたのは銀行の腐敗でありました。地方の小銀行の(大きな銀行も同様であるが)信用のないことといったら非常なものでありまして、一度内幕を知るならば金を預けるのがいやになるほどであります。念に2回の決算報告によれば金はたくさんあるようになっておりますが、それは皆虚偽の数字であります。そのため地方の財政機関に多大の害毒を流しております。彼はこれを改良せんと試みましたが難物は有力者なる頭取であります。これあるうちは改良は絶対に望むことができません。彼は遂に決心して自分の財産を犠牲にして大戦争を開始し、独力遂に有力者なる頭取を去らしめて新しき頭取を置き根本的の改良を行いました。わたくしが汽車で福島県を通ったときに彼は福島駅で汽車の中に飛び込んできて、「先生、でかしました、でかしました」と叫んでわたくしに告げました。その言うところによりますと、この改革は3年間の苦心を経て成功したということで、元は20万円の資本に対して僅かに8万円しか預金がなかったものが、今は数倍額の預金を見るようになり、その他多くの信用を得るに至ったとのことでした。わたくしはよくこのことを他の地方で話しますが、どこでもわたくしの方にもかかる人があって欲しいと申します。日本の現状においてはもしも経済界に恐慌の波乱が起こりますならば多くの銀行はたちまち将棋倒しに破産するような危険きわまるありさまであります。この際に道徳的英雄が起こって根本的に改良を計るということはいずれの方面にも必要なこととなって来ました。
 先夜も時計台で話したことでありますが、外国人は日本の現在を批評しまして日本はすべての問題はよく解決されたが最後の最大問題として道徳問題があると申しております。新しき人が出て新しい改良をするは皆、人の望めるところであります。この改良に入るには人はまず最高の宗教によって霊性の陶冶(とうや)を受け地上にあれども天を歩める人とならなければならない。改良は法律、哲学、農業によって来るものではない。生ける霊のみこれを与うる事ができるのである。農業を改良するにも真の宗教の必要な事は誰でも同意しなければならぬ事であります。(文責在記者)(東北帝国大学農科大学校農政経済学講堂)


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