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金次郎 観音に祈る 国訳観音経

  金次郎 観音様に祈る

○先生14歳の時、隣村の飯泉(いいずみ)村の飯泉観世音に参拝し、お堂の下に坐って念じていた。
そこへ突然、旅の僧侶が来て、お堂の前に坐ってお経を読んだ。
その声は響き渡り、そのお経の内容が深く広く大きいことは、ひとたび聞いただけではっきりとして金次郎の心のうちを喜びで満たした。
お経をとなえおわった僧侶に金次郎は聞いた。
「今、読まれたお経は何というお経ですか」
「観音経である」
「わたしはたびたび観音経を聞いたことがありますが、いま聞いたのと異なっています。
どうしていま読んでいただいたお経が私のうちにしみとおって明らかなのでしょうか。」
「世間でよんでいる観音経は中国の呉の国の読み方でよんでいる。
 今、国音(日本の言葉)をもって転読したのである。これがお前にその意味がわかった理由であろうか」
 金次郎は、懐の中を探って200銭を差し上げていった。
「お願いです。わずかですがこころばかり差し上げますので、今一度お経をよんでいただけませんか」
僧侶はその志を感じて、前のように転読し、読み終わって去っていった。

「報徳記」では、この後、金次郎が菩提(ぼだい)寺の善永寺和尚に観音経の功徳はこれこれしかじかと解説し、和尚に「菩薩の再来か」と驚かれたという逸話を伝える。

○佐々井信太郎氏の「二宮尊徳伝」によると「飯泉の観音堂に経文を聞いたという話は、大澤氏の手記によれば甲子10月とあるから18歳のときである。「報徳記」には14歳とあるが、その説話中の一節に一家再興を志すとあるから16歳以後たるを想像するに難くない」とある。

○しかし、菅野八郎左衛門が、天保13年(1942年先生56歳)5月に書いた「桜街拾実」には「14歳の節か、飯泉村観音へ参詣したところ、行脚(あんぎゃ)の僧が堂前にしゃがんで読経されるのを聞いていたところ、経典の意味が面白く思われたので、持合の小銭を差し出し、今一篇読み給えと頼んで、かたわらで聞いていたところ、無辺無量の説法がこの上もなく尊いように思われた。そこで何のお経か問うたところ、「観音経」であるという。
他の人が読まれるより、あなたが読まれるのはよくわかりますと言ったところ、われらは日本の言葉で読んでいるからわかったのでしょうといって去られた。
 そのおり、考えたことは、すべて人を救うより大いなる善いことはほかにはないということで、その一念は今になっても変わらず、まるで一日のようだと尊徳先生からお聞きした」とある。

○「二宮大先生伝記」(岡田良一郎)においても、
「寛政10年先生年12、父病にかかる。床にあること3年、14歳にしてなくなった。年48、よって弟富次郎を他家に乳す。母悲嘆はなはだしきをもって、幾日ならずして乞うて家に帰す。先生慈恩の深きを感じ、孝心いよいよ切なり。
 この年10月飯泉村観音堂に参詣し、旅僧の観音経を訓読するのを聴いて大いに感発し、救世の志を起こす。善栄寺和尚これをもって観音の再来となす。

○そうしてみると、尊徳先生自ら14歳の頃とおおせられていたのであろうか。
 しかしまあ、14歳若しくは18歳のの少年が、
「すべて人を救うより大いなる善いことはほかにはない」と考え、死にいたるまで一日のように実践してきたことの偉大さよ。

 飯泉観音は東海道線鴨宮駅から20分くらいのところにあるが、境内の一角には観音様に向かって両膝をついて手を合わせて拝んでいる金次郎の銅像があります。
「金次郎初発願の像」とあり、「尊徳先生一大の鴻業はこの初志に徹し、救世の大誓願を具現せるのみ」と銘文が刻んであります。
金次郎観音さまに祈る

碑文
(二宮尊徳先生道歌9)
かりの身を 元のあるじに 貸し渡し
 民安かれと 願ふこの身ぞ

(二宮翁夜話)
それ人 生まれたる以上は死することのあるは必定なり
長生きといえども100年を越えるは稀なり 限りのしれたることなり
天といい寿というも 実は毛弗(ごくわずかな)の論なり
たとえば ろうそくに 大中小あるに同じ
大ろうといえども 火のつきたる以上は 4時間か5時間なるべし
しかれば人と生まれたる以上は 必ず死するものと覚悟するときは
一日生きれば一日のもうけ 一年いきれば一年の益なり
ゆえに本来わが身もなきもの わが家もなきものと覚悟すれば
あとは百事百般みなもうけなり
わたしの歌に
「かりの身を 元のあるじに 貸し渡し 民安かれと 願ふこの身ぞ」とある
それこの世は 我 人とともに わずかの間の 仮の世なれば
この仮の身を わが身と思わず 生涯一途に
世のため人のためのみを思い
国のため天下のために 益あることのみを勤め
一人なりとも一家たりとも一村たりとも
困窮を免れ富裕になり 土地開け道橋整い 安穏に渡世のできるようにと
それのみを日々の勤めとし 朝夕願い祈りて 怠らざるわがこの身である
という心にてよめるなり

妙法蓮華経観世音菩薩普門品 第二十五(「訓訳法華経」平楽寺書店版より)

爾(そ)の時に、無尽意菩薩、即ち座より起って偏(ひとえ)に右の肩を袒(あらわ)にし、
合掌し仏に向いたてまつりて是の言(ことば)を作(な)さく、

「世尊、観世音菩薩は何の因縁を以て観世音と名(なづ)くる。」

仏、無尽意菩薩に告げたまわく、

「善男子、若(も)し無量百千万億(まんのく)の衆生あって、
諸々の苦悩を受けんに、是の観世音菩薩を聞いて、一心に名を称せば、
観世音菩薩、即時に其の音声を観じて、皆解脱することを得せしめん。


若し是(こ)の観世音菩薩の名を持(たも)つことあらん者は、設(たと)い大火(だいか)に入るとも、
火も焼くこと能(あた)わず、是の菩薩の威神力(いじんりき)に由るが故に。
若し大水のために漂(ただよ)わされんに、其の名号を称せば、即ち浅き処を得ん

若し百千万億の衆生あって、金(こん)・銀(ごん)、瑠璃(るり)、(しゃこ)、瑪瑙(めのう)、珊瑚(さんご)、琥珀(こはく)、真珠等の宝を求むるを為(もっ)て大海に入らんに、仮使(たとい)黒風其(そ)の船舫(せんぼう)を吹いて、羅刹鬼(らせつき)の国に漂堕(ひょうだ)せん。
其の中に若し乃至(ないし)一人(いちにん)も、観世音菩薩の名を称せば、
是の諸人等(しょにんら)、皆羅刹(らせつ)の難を解脱(げだつ)することを得ん。
是の因縁を以て観世音と名(なづ)く。


若(も)し復(また)人あって、当(まさ)に害せらるべきに臨んで、観世音菩薩の名を称せば、
彼(か)の執(と)れる所の刀杖、尋(つ)いで段々に壊(お)れて、解脱することを得ん。

若し三千大千国土の中に満つる、夜叉(やしゃ)・羅刹(らせつ)来って、人を悩まさんと欲せんに、
其の観世音菩薩の名を称するを聞かば、是(こ)の諸々の悪鬼、尚(な)お悪眼(あくげん)を以て之を視ること能(あた)わず、況(いわ)んや復(また)害を加えんや。

設(たと)い復(また)人あって、若しは罪あり、若しは罪なきも、忸械(ちゅうかい)枷鎖(かさ)、其の身を検繋(けんげ)せん。
観世音菩薩の名を称せば、皆悉く断壊(だんね)して、即ち解脱することを得ん。

若(も)し三千国土の中に満てる怨賊(おんぞく)あらんに、一人の商主(しょうしゅ)あって、諸々の商人を将(ひき)い、重宝を齎持(さいじ)して、険路を経過(きょうか)せん。

其の中に一人、是の唱言(しょうごん)を作(な)さん。
諸々の善男子、恐怖するを得ること勿れ。
汝等(なんだち)応当(まさに)に一心に観世音菩薩の名号を称すべし。
是の菩薩は能(よ)く無畏(むい)を以て衆生に施したまう。
汝等(なんだち)若し名(みな)を称せば、此の怨賊に於(おい)て当に解脱することを得べし。
衆(もろもろ)の商人聞いて倶(とも)に声を発して、南無観世音菩薩と言わん。
其の名を称するが故に即ち解脱することを得ん。
無尽意、観世音菩薩は威神の力巍巍(ぎぎ)たること是(かく)の如し。


若し衆生有って淫欲多からんに、常に念じて観世音菩薩を恭敬(くぎょう)せば、
便(すなわ)ち欲を離るることを得ん。
若(も)し瞋恚(しんに)多からんに、常に念じて観世音菩薩を恭敬せば、
便ち瞋(しん)を離るることを得ん。
若(も)し愚癡(ぐち)多からんに、常に念じて観世音菩薩を恭敬せば、
便ち癡(ち)を離るることを得ん。
無尽意(むじんに)、観世音菩薩は、是(かく)の如き等(ら)の大威神力ありて、饒益(にょうやく)する所多し。
是の故に衆生常に心に念ずべし。


若(も)し女人(にょにん)あって設(たと)い男(なん)を求めんと欲し、観世音菩薩を礼拝し供養せば、便(すなわ)ち福徳智慧の男を生まん。
設(と)い女(にょ)を求めんと欲せば、便(すなわ)ち端正有相(たんじょううそう)の女を生まん。
無尽意(むじんに)、観世音菩薩は是(かく)の如き力あり。
若し衆生あって、観世音菩薩を恭敬礼拝せば、福唐捐(ふくとうえん)ならじ。
是(こ)の故に衆生、皆観世音菩薩の名号(みょうごう)を受持(じゅじ)すべし。

無尽意、若(も)し人有って、六十二億恒河沙(ごうがしゃ)の菩薩の名字(みょうじ)を受持し、復(また)形を尽(つ)くすまで、飲食(おんじき)、衣服(えぶく)、臥具(がぐ)、医薬を供養せん。
汝が意(こころ)に於(おい)て云何(いかん)。

是(こ)の善男子・善女人の功徳多しや不(いな)や。
無尽意の言(もう)さく。
甚(はなは)だ多し、世尊。
仏(ほとけ)の言(のたま)わく、
若し復(また)人あって観世音菩薩の名号を受持し、乃至(ないし)一時(じ)も礼拝供養せん。
是の二人の福、正等(しょうとう)にして異なること無し。
百千万億劫(まんのっこう)に於ても、窮め尽くすべからず。

無尽意、観世音菩薩の名号を受持せば、是(かく)の如き無量無辺の福徳の利を得ん。


無尽意菩薩(むじんにぼさつ)、仏に白(もう)して言(もう)さく。

世尊、観世音菩薩は、云何(いかに)してか此(こ)の娑婆世界に遊び、云何にしてか衆生の為に法を説く、方便の力、其(そ)の事(じ)云何(いかん)。

仏、無尽意菩薩に告げ給わく、善男子、若し国土の衆生あって、
仏身を以て得度すべき者には、観世音菩薩、即ち仏身を現じて為(ため)に法を説き、
辟支仏(びゃくしぶつ)の身を以て得度すべき者には、即ち辟支仏の身を現じて為に法を説き、
声聞(しょうもん)の身を以て得度すべき者には、即ち声聞の身を現じて為に法を説き、
梵王(ぼんのう)の身を以て得度(とくど)すべき者には、梵王の身を現(げん)じて為に法を説き、
帝釈(たいしゃく)の身を以て得度すべき者には、即ち帝釈の身を現じて為に法を説き、
自在天(じざいてん)の身を以て得度すべき者には、即ち自在天身を現じて為に法を説き、
大自在天の身を以て得度すべき者には、即ち大自在天の身を現じて為に法を説き、
天大将軍の身を以て得度すべき者には、即ち天大将軍の身を現じて為に法を説き、
毘沙門(びしゃもん)の身を以て得度すべき者には、即ち毘沙門の身を現じて為に法を説き、
小王(しょうおう)の身を以て得度すべき者には、即ち小王の身を現じて為に法を説き、
長者の身を以て得度すべき者には、即ち長者の身を現じて為に法を説き、
居士の身を以て得度すべき者には、即ち居士の身を現じて為に法を説き、
宰官(さいかん)の身を以て得度すべき者には、即ち宰官の身を現じて為に法を説き、
婆羅門(ばらもん)の身を以て得度すべき者には、即ち婆羅門の身を現じて為に法を説き、
比丘(びく)、比丘尼(びくに)、優婆塞(うばそく)、優婆夷(うばい)の身を以て
得度すべき者には、即ち比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷の身を現じて為に法を説き、
長者、居士、宰官、婆羅門の婦女(ぶにょ)の身を以て得度すべき者には、即ち婦女身を現じて為に法を説き、
童男童女の身を以て得度すべき者には、即ち童男童女の身を現じて為に法を説き、
天、龍、夜叉(やしゃ)、乾闥婆(けんだつば)、阿修羅(あしゅら)、迦楼羅(かるら)、緊那羅(きんなら)、摩候羅迦(まごらが)、人非人等の身を以って得度すべき者には、即ち皆之を現じて為に法を説き、
執金剛神(しゅうこんごうしん)を以て得度すべき者には、即ち執金剛神を現じて為に法を説く。
無尽意(むじんに)、是(こ)の観世音菩薩は是(かく)の如き功徳を成就して、種々(しゅじゅ)の形を以て諸(もろもろ)の国土に遊んで、衆生を度脱(どだつ)す。
是(こ)の故に汝等(なんだち)応当(まさ)に一心に観世音菩薩を供養すべし。


是(こ)の観世音菩薩摩訶薩(まかさつ)は、怖畏急難(ふいきゅうなん)の中(なか)に於て、能(よ)く無畏(むい)を施す。
是(こ)の故に此(こ)の娑婆世界、皆之(こ)れを号して施無畏者(せむいしゃ)とす。
無尽意菩薩(むじんにぼさつ)、仏に白(もう)して言(もう)さく。
世尊、我今(いま)当(まさ)に観世音菩薩を供養すべし。
即ち頸(くび)の衆宝珠(しゅほうじゅ)の瓔珞(ようらく)の価直(げじぎ)百千両金(りょうこん)なるを解いて以て之を与え、是(こ)の言(ことば)を作(な)さく、
仁者(にんしゃ)、是(こ)の法施(ほうせ)の珍宝(ちんぼう)の瓔珞を受けたまえ。
時に観世音菩薩肯(あえ)て之を受けず。
無尽意、復(また)観世音菩薩に白(もう)して言(もう)さく。
仁者(にんしゃ)、我等(われら)を愍(あわれ)むが故に此(こ)の瓔珞(ようらく)を受けたまえ。
爾(そ)の時に仏(ほとけ)、観世音菩薩に告げたまわく、
当に此(こ)の無尽意菩薩及び四衆(しゅ)・天、龍、夜叉(やしゃ)、乾闥婆(けんだつば)、阿修羅(あしゅら)、迦楼羅(かるら)、緊那羅(きんなら)、摩候羅迦(まごらが)、人非人等を愍(あわれ)むが故に是(こ)の瓔珞(ようらく)を受くべし。
即時(そくじ)に観世音菩薩、諸(もろもろ)の四衆及び天、龍、人非人等を愍(あわれ)んで其の瓔珞(ようらく)を受け、分(わか)って二分と作(な)して一分は釈迦牟尼仏に奉(たてまつ)り、一分は多宝仏塔に奉(たてまつ)る。
無尽意、観世音菩薩は是(かく)の如き自在神力(じざいじんりき)あって娑婆世界に遊ぶ。
爾(そ)の時に無尽意菩薩、偈(げ)を以て問うて白(もう)さく


世尊は妙相具(そな)わりたまえり
我今重ねて彼れを問いたてまつる
仏子(ぶっし)何の因縁あってか 
名(なづ)けて観世音とする

妙相を具足したまえる尊(そん) 
偈をもって無盡意に答えたまわく 
汝(なんじ)観音の行(ぎょう)を聴け 
善く諸(もろもろ)の方所(ほうしょ)に応ずる

弘誓(ぐぜい)の深きこと海の如し
劫(こう)を歴(ふ)とも思議せじ
多千億の仏(ほとけ)に侍(つか)えて
大清浄の願を発(おこ)せり

我汝が為に略して説かん
名を聞き及び身を見 
心に念じて空しく過ぎざれば
能(よ)く諸有(しょう)の苦を滅す


假使(たとい)害の意(こころ)を興(おこ)して
大いなる火坑(かきょう)に推し落(おと)されんに
彼(か)の観音の力を念ぜば
火坑変じて池と成らん

或(あるい)は巨海(こかい)に漂流して
龍・魚(ご)・諸鬼の難に
彼(か)の観音の力を念ぜば 
波浪も没すること能わじ

或(あるい)は須弥(しゅみ)の峯に在って 
人に推し堕(おと)されんに 
彼(か)の観音の力を念ぜば 
日の如くにして虚空に住ぜん

或(あるい)は悪人に逐(お)われて
金剛山(こんごうせん)より堕落せんに 
彼(か)の観音の力を念ぜば  
一毛をも損ずること能(あた)わじ

或(あるい)は怨賊(おんぞく)の繞(かこ)んで
各(おのおの)刀(つるぎ)を執って害を加うるに値(あ)わんに 
彼(か)の観音の力を念ぜば   
咸(ことごと)く即ち慈心を起さん

或(あるい)は王難の苦に遭うて
刑(つみ)せらるるに臨んで寿(いのち)終らんと欲せんに 
彼(か)の観音の力を念ぜば    
刀(つるぎ)尋(つ)いで段段に壊(お)れなん

或(あるい)は枷鎖(かさ)に囚禁(しゅうきん)せられて 
手足(しゅそく)に柱械(ちゅうかい)を被(こうむ)らんに 
彼(か)の観音の力を念ぜば     
釈然として解脱(げだつ)することを得ん

呪詛諸(もろもろ)の毒薬に
身を害せんと欲せられん者 
彼(か)の観音の力を念ぜば      
還(かえ)って本人に著(つ)きなん

或(あるい)は悪羅刹 毒龍諸鬼等に遇わんに  
彼(か)の観音の力を念ぜば       
時に悉(ことごと)く敢(あえ)て害せじ

若しは悪獣圍繞(いにょう)して 
利(と)き牙爪(げそう)の怖るべきに 
彼(か)の観音の力を念ぜば        
疾く無辺の方に走りなん

玩蛇(がんじゃ)及び蝮蠍(ふつかつ) 
気毒煙火の燃ゆるがごとくならんに 
彼(か)の観音の力を念ぜば         
声(こえ)に尋(つ)いで自ら回り去らん

雲雷(うんらい)鼓掣電(くせいでん)し 
雹(あられ)を降らし大(おおい)なる雨をそそがんに 
彼(か)の観音の力を念ぜば 
時に応じて消散することを得ん


衆生困厄(こんやく)を被(こうむ)って 
無量の苦 身を逼(せ)めんに 
観音妙智の力 
能く世間の苦を救う

神通力を具足し
広く智の方便を修して
十方の諸(もろもろ)の国土に
刹(くに)として身を現ぜざることなし


種種(しゅじゅ)の諸(もろもろ)の悪趣 
地獄・鬼(き)・畜生 
生・老・病・死の苦 
以て漸(ようや)く悉(ことごと)く滅せしむ
真観・清浄観 廣大智慧観 悲観及び慈観あり
常に願い常に譫仰(せんごう)すべし


無垢清浄の光あって 
慧日諸(もろもろ)の闇を破(は)し 
能く災(さい)の風火を伏(ぶく)して 
普(あまね)く明らかに世間を照らす

悲体の戒 雷震のごとく 
慈意の妙 大雲のごとく 
甘露の法雨をそそぎ 
煩悩の焔(ほのお)を滅除す

諍訟(じょうしょう)して官処を経(へ) 
軍陣の中に怖畏せんに 
彼の観音の力を念ぜば 
衆(もろもろ)の怨(あだ)悉(ことごと)く退散せん

妙音観世音 
梵音海潮音 
勝彼世間音あり 
是の故に須(すべか)らく常に念ずべし

念念に疑いを生ずることなかれ 
観世音浄聖(じょうしょう)は 
苦悩・死厄において 
能く為に依怙(えこ)と作れり

一切の功徳を具して 
慈眼をもって衆生を視る 
福聚(ふくじゅ)の海無量なり 
是の故に頂礼すべし


爾(そ)の時に持地菩薩 即ち座より起って 前(すす)んで仏に白(もう)して言(もう)さく 
世尊 若し衆生あって 是の観世音菩薩品の 自在の業・普門示現の神通力を聞かん者は、
当(まさ)に知るべし 是の人の功徳少からじ。
仏是の普門品を説きたもう時、衆中の八万四千の衆生、皆無等等の阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)の心を発(おこ)しき。


☆ 「二宮尊徳の政道論序説」(岡田博著)の180ページの「念彼観音力」(ねんぴかんのんりき)に佐々井典比古氏が昭和25年4月の「教養月報」に発表された「寸劇 観音」の一部が載せられている。
その全文が知りたいと思っていたが、「かいびゃく」第23巻5号(昭和49年5月号)にその全文が掲載されていたのを発見した。(2012年4月21日)

   寸劇 観音 ささい・のりひこ

時 文化元年(1804)
所 相州足柄上郡栢山村善栄寺
人 住職・考牛(60余歳)
  二宮金治郎(18歳)
〔以下、金、考で表記〕

金 和尚さん、和尚さん、ア、居なさった・・・・・・
考 何じゃ金さん、息せき切って。
金 大変です。田んぼの中に観音さんが居るんです。
考 ナ、何?
金 わらじも観音なんです。山も、河原も、馬も牛も・・・・・・
考 コレコレ、落ちつきなさい。そんな突拍子もないことを言い出すから、キ印じゃ何じゃと言われるのじゃ。
金 でも、うれしんです。観音様は、飯泉のお堂の中ばかりじゃないんです。そこにも、ここにも、一杯なんです。
考 ハハハ、始まった。まあ汗をおふき。お茶でも飲みなさい。今日はナニか。飯泉の観音様に参ったのか。
金 そうなんです。薪を売った帰りに、お参りしたくて行ったんです。
考 ウム。
金 そしたら、旅の坊さんが、お経をあげてるんです。それが、とてもよくわかるんです。
考 フムフム。
金 済んだから、何のお経かって聞いたら、観音経だって。そんなら時々きいたけど、寝言みたいでわからなかったのに、と言ったら、普通は呉音で棒読みにするんだが、今は訓で読んだんだって。
考 フム。
金 それで、おいら、薬代の二百文を出して、済みませんがもう一ぺん読んでくれって、頼んだんです。そして、聞いてるうちに、田んぼに観音様が居たんだって気づいたんです。
考 フーム、どこにそんなことが書いてあったかの?
金 ホラ、ウバソクだとか、夜叉〔ヤシャ〕だとか、童男童女とかってあるでしょ。百姓には百姓らしい身なりをして、子供には子供にわかる格好をして、助けに来るってことが。
考 ウム。「まさに優婆塞・優婆夷(ウバソク・ウバイ)の身をもって得度すべき者には、すなわち優婆塞、優婆夷の身を現じて、ために法を説く。まさに童男童女の身をもって得度すべき者には、すなわち童男童女の身を現じて、ために法を説く」・・・・・そうか。
金 それが、始めは分からなかったんです。おいら、無一文のみなし子になって、どうしたらつぶれた家を立て直せるか、毎日毎晩考えてきたんです。でも、わからなかった。百姓が貧乏から起きあがるしかたは、『大学』にも、どこにも書いてないし、だれも教えてくれないんです。
考 ・・・・・・
金 ところが、去年の春、砂埋めになった地所を掘り起こして、捨ててあった余り苗を植えておいたんです。秋になって刈ってみたら、和尚さん、なんと1俵あるんです。1俵ですよ!なんにもない荒地から、おいらの身上ができたんです。
よし、これだっ!荒地にだって、お米を実らせる力があるんだ、一粒の米が、お天道様の力と、人間の丹誠で、百倍にも、千倍にも、万倍にもなってゆくのが天地の道理なんだ、これで家が興せるんだーと悟ったんです。おいらはそれを、天地から教わったと思ってました。けれど、今のお経文で言えば、田んぼも捨て苗もみんな観音様で、おいらを助けてくれたことになるんです。
考 ウーム。
金 「大学」にある「明徳を明らかにする」ということも、〔「観音経」の〕「福聚(ふくじゅ)の海無量なり」ということも、同じだと思うんです。藁には藁の明徳がありますね。なわになったり、わらじになったり。ただ、作らなきゃ明らかにならないんです。一生懸命作るのが「念彼観音力(ねんぴかんのんりき)」でしょ。いいものができれば明明徳だし、わらじ観音、なわ観音でしょう。山にも田畑にも、明徳、功徳が埋まっている、掘り出し刈り出すほどふえて行く。だから「福聚(ふくじゅ)の海無量なり」だと思うんです。
考 (驚畏する)
金 人の間だって、売り手は売って助かり、買い手は買って助かる。「慈眼もて衆生を視る」とあったけれど、衆生もお互いに観音になりっこするじゃないですか。世の中は。
考 参った、金さん、恐れ入った。-わしは、この年になるまで、観音経を何百遍、いや何千遍読んだか知れん。じゃが、ついぞ今のような底をついた読み方を知らなんだ。空念仏じゃ。仏の大慈大悲、弘誓(ぐぜい)の深さを、心でこねまわしておったに過ぎん。民衆の困苦を実際に救うことができねば、衆生済度も屁のカッパじゃ。ハハハハハ、なんと五十余年を迂闊(うかつ)にもすごしてきたものよ。-教えられた!全く教えられた。わしにとっては今日のあなたがまさしく観音じゃ。
金 ・・・・・・
考 金治郎どの、改まってお願いじゃ。わしの代りに、ここの住職になって下さらんか。
金 エッ!
考 わしのようなものは引きさがる。どうかこの寺で、本当の菩薩行(ぼさつぎょう)を行じて下され。現世の衆生を、困苦から済度してやって下され。お願いじゃ。
金 いやです。とんでもない。そんな大層なこと出来やしません。おいらは、早く一人前の百姓になりたいんです。亡くなったお父さんやお母さんの霊を慰めてあげたいんです。ことしは、あの地所に五俵できます。来年は十俵も二十俵もとります。「福聚の海無量」なんです。さよなら、和尚さん!
考 (茫然として見送る。西日カッとさす)
―幕―
(昭和25年4月、神奈川県職員教養機関紙「教養月報」所載)

岡田博氏はこの寸劇についてこう言われる。
「ここで二宮金次郎は『念彼観音力』を、対象へのはたらき、労働の注入と位置づけたのである。
念彼観音力 願う人の姿になって現れて助けてくださる観音様といえども、その御名を呼んで念ぜねば助けてくださらない、それと同様に自然はあくまで自然のままである。人間の働きが加わって初めて人間の望む価値生命を生ずるのである。」

澤木興道師の「観音経の話」より。

○(第一講)いったい観音というのはどんなものか。
 二宮金次郎は14歳のときに観音経を二度開いて頭にピンと来て、一生の生活をそれで発明した。
だから我々からみると、二宮尊徳の一生は観音さんが二宮尊徳となって働いているということに見える。
それはどういうわけか。
これが世を救うところの観音。
世を救う仏さま、慈悲をもって世を救う菩薩の姿であるからである。
救うということはいったいどういうことか。
餅をついて人に食わすことか、貧乏人に金をやることか。
仏教でいう救うということは「如実に自心を知る」というところから出発する。本当に自分を知らなければならぬ。

 二宮金次郎は14歳のときに(観音経)普門品(ふもんぼん)を聞いて悟った。
そこで寺の和尚が「お前は普門品を一遍聞いて悟った。これからどれだけ偉くなるかも知れない。わしの寺を譲るから養子になれ」
と言ったが、二宮金次郎は
「私は坊主になろうと思って悟ったのではありません。私は百姓だ。百姓をしてこの観音経を実行するのだ」と言った。
二宮尊徳が一代をなしたのは決して自分のためではない。人のためである。自分はどうでもよい。
わしも若い時には偉い者になろうと思ってずいぶん勉強した。その時は夜も寝ないで本を読んだものであるが、あの本を読んでビックリした。
学問のために寝食を忘れる者ありといえども、救済のため寝食を忘れる者は珍しいということが書いてある。
二宮尊徳の一生というものは人のためばかりである。
まさしく観音示現の姿である。
わしは二宮観音があってもよいと思う。
村の人夫に草鞋(わらじ)を作ってやったり、桜町の再興をやったり、確かに観音さんである。



○(第五講)二宮金次郎と観音経というものには切っても切れぬ深い因縁がある。
二宮翁は子どもの時に早く父親に別れ、母親は病身、兄弟もたくさんある。
それを引き受けて途方に暮れてしまった。食べるものもない。
どうしようかという時代、13であったか、14であったか隣村の外れの観音堂に足を運んだことがある。
すると一人の旅の僧がお経をあげておった。
「ただいまおあげになったお経は何でございますか」と尋ねた。
旅の僧は「これは観音経ぢゃ」
「観音経ーしかし、いつもお寺の和尚さんがよんでおるのと今日のでは違っておりますが、どういうものでしょうか」とまた尋ねた。
「それはいつも聞くのは音読で『爾時無尽意菩薩』(にじむじんにぼさ)と読むからで、今日のは『その時、無尽意菩薩は』と読んだからである
ー今日の言葉でいえば国訳でよんだからー
お前さんがふだん聞いたのと違うのであろう」と言った。
そこで二宮翁は
「誠にすみませんが、もう一遍お経をあげてもらえますまいか」
といくらか金を包んで、そうしてお上げして。もう一遍お経を聞かせてもらった。
それが二宮翁の人格を転換させた。
金次郎はその足で先祖のお墓にまいって、生きた者にいうかのように何かを物語っておった。その時、金次郎が何を言うたかは誰にもわかっておらぬが、ここに
「いかんがしてこの娑婆(しゃば)世界に遊び、いかんがして衆生のために法を説く。方便(ほうべん)の力そのこといかん」の秘訣があると思う。
すなわち、まさに童男童女(どうなんどうにょ)の身をもって得度すべき者には、すなわち童男童女の身を現じてしかもために法を説く。
まさに百姓の身をもって得度すべき者には、すなわち百姓の身を現じてしかもために法を説く。商人の身をもって得度すべき者には、すなわち商人の身を現じてしかもために法を説く。
こういうような理屈で、二宮翁の小さい時の頭にピシピシと現実の問題として入ったものだろうと思われる。
 檀那(だんな)寺の和尚が、お前のように立派に観音経の分かる者はいない。
わしの弟子になってこの寺の後をついでくれ。
ところが金次郎は首をふった。
「私は百姓だから、一生を百姓で通します」
後の偉大な二宮翁の一生を決定したのである。
翁の一生は百姓であって坊主、坊主であって百姓。
「いかんがしてこの娑婆(しゃば)世界に遊び」
すっかり生活がつかまれておるわけである。

☆浅草寺の管長だった清水谷恭順師が尊徳先生と観音経についてこのように講和されていた。
(「観音信仰と坐禅の心」より抜粋)

「神奈川県の飯泉(いいずみ)観音は、板東(ばんとう)33箇所霊場の一つであります。
あの寺へ二宮尊徳先生が若いころにお参りをしました。
その日に先にお坊さんが行ってお経をあげておりました。
二宮金次郎さんはうしろでそれを聞いておりますと、日本語であげておるものですからよくわかります。

そこでお経が済んでしまったから、その旅僧に向かって
「ただいまおあげになったお経は何というお経でございますか」
「これは観音経でございます」
「そうですか、私はときどき菩提所へ参りまして、お坊さんが観音経をあげるのをお聞きしますけれども、少しもわかりませんでしたが、ただいまのはよくわかったのですが、どういうわけですか」
「いや、ふだんは呉音で中国風に棒読みにしておるからおわかりにならないんでありますけれども、ただいまのは和訳をして読誦(どくじゅ)しましたからおわかりになったんんであります」
「あ、そうですか、まことにありがとうございました。
ここに僅かではありますが、200文あります。
これをお布施におあげしますから、もう一度ただいまのように日本語であげてください」
「それはおやすいことですからいたしますがお布施はいりません」
「いや、そうではなく、どうぞ些細でありますけれどもお受け願いたい、
ぜひもう一度おあげください」
「かしこまりました。
それならばちょうだいいたします」
というのでその200文をいただいて、
旅僧がもう一度
「その時に無尽意菩薩(むじんにぼさつ)、すなわち座よりたってひとえに右の肩をあらわにして・・・」というふうに和訳して観音経を唱えました。

そうすると二宮尊徳先生は若い時から偉かった。
それをずっとお聞きして何と申されたかというと
「誠にありがたいことです。
観音経は要するに私には二宮金次郎観音になれということをお説きになったんですね」
と坊さんに尋ねました。
坊さんはびっくりしました。
自分などが長い間かかってそういうことを悟ったにもかかわらず、
二宮金次郎青年は二度聞いただけで直ちに観音経の真髄を体得されたのであります。
あありっぱな人であると感じまして
「あなたもお若いのになかなか偉い、
あなたのおっしゃるとおりであります。
観音様は、われわれに観音になれ、お互いが観音さまになって慈悲をもって一切の人々に対し、また動物にも対し、草木にも対せよということ、
つまりわれわれに観音さまになれということが、説かれてあるのであります」
という答えをしたそうです。

ですから、皆さんが観音経をおあげになり観音さまを信仰する以上は、皆さんがそのまま一分の観音さまになってください。
それが観音さまの思し召しであります。」






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