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尊徳先生ナスを食べて飢饉を予知する


  尊徳先生ナスを食べて飢饉を予知する

○天保4年の夏、天候不順で冷たい雨が降り続いていた。
あるとき先生がナスを食べるとその味がいつもと違う。
あたかも秋の頃のナスのようであった。
 先生は、箸(はし)を投げ出してこう言われた。

「今は初夏である。
それなのにこのナスはすでに秋ナスの味がする。
ただごとではない。
考えるに現在の天候は陽発の気が薄く陰気がすでに盛んである。
どうして米や穀物が豊かに熟すことができよう。
あらかじめ非常に備えなければ、百姓が飢えに苦しむことになろう。」

 そこで先生が復興にあたっていた3村の民に命じて

「今年は五穀が熟すことはない。
あらかじめ飢饉に備えておかなければならない。
一戸ごとに畑一反歩(たんぶ)の税を免除するので、
すぐに稗(ひえ)をまいて飢饉を免れる備えをしなさい。
ゆるがせにしてはいけない。」

 百姓たちは、これを聞いて笑って言い合った。
「先生が知恵があるといってもどうしてあらかじめその年が豊作か凶作かがわかろう。
一軒ごとに一反歩の稗を作れば、3村では大変な量の稗となる。
どこに貯蔵しようというのか。
また稗なんてどんなに貧乏しようがいまだに食べたことがない。
そんなもの作ったからといって食べることができようか。
そうであれば無用のものというべきだ。
たとえ人にあげても誰が受け取ろう。全くしようのないことを命令するもんだ。」と嘲笑した。

 しかし先生は税を免除して作らせた。
違反すれば命令違反で処罰されようと、人々はやむをえず急いで稗を作った。
無益のことをさせるものからと怨む者もいた。

 ところが夏の盛りになっても雨が降りやまず、冷たい気候が続いた。
ついに凶作の年となり、関東から東北の地で飢え死にする者が続出した。
天保の大飢饉の始まりである。
この時になって3村の民は稗で食料の不足を補い
一人といえども飢えに及ぶ者がいなかった。

 そこで初めて先生があらかじめ凶作を予想し、百姓を安んじようとする深意を知り、先に先生の処置を嘲笑したことを反省した。
先生は翌年になって再び命令を下された。

「天の運行には規則性があり、飢饉となること、遅くて5,60年、早くて3,40年で必ず飢饉が来る。
天明の飢饉から考えると飢饉が来る頃である。
去年の飢饉はさほどでもない。
まだその年に当たったとはいえない。
必ず今一度大飢饉が近々来るだろう。
お前達はこれに備えなさい。
今年から三年間、畑の税を免除しよう。
家ごとに稗を植えて、あらかじめ飢饉の憂いを免れるがよい。
もしこれを怠る者がいたら、里正(庄屋)はこれを知って私に知らせよ」と。
 3村は去年のこともあり、命令通り肥料をやって稗作りに励んだ。
このようにして3年で数千石の備えができた。

 天保7年になって5月から8月まで冷気、雨天、盛夏になっても北風の寒いことは肌を切るようであった。
常に着物を2枚重ねた。その年大飢饉となった。
関東と東北で飢え死にする者がおびただしく、道路が累々と餓死者が横たわった。
行く者は顔をおおって通り過ぎるようであった。
 このとき桜町三村の民のみこの憂いを免れた。
先生は三村を戸ごとに回り、無難、中難、大難と三段階に分けて、老少男女を選ばず、一人に雑穀を交えて五俵ずつとし、その数に満たない者は補って与え、一戸5人であれば25俵というように備えさせた。
貧乏な者は豊作の時より豊かなほどであった。
先生はこう諭されたのであった。

「今年飢饉のため死亡を免れない者は幾万人、誠に悲痛の限りだ。
お前達はこのように処置することによって一人も飢える憂いもなく平年と同じだ。
これに安んじて食べていると天罰が下ろう。
お前達は世人の飢渇を思って、朝早く起きて縄をない、日々田に尽力し、来年のために土地を肥やせよ。
夜はまた縄をない筵(むしろ)を打って、来年十分の作物を得れば家々の永続の根本となり、天災変じて大幸となろう。
必ず怠ってはいけない」と教えられたのであった。




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